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ミスターとエーアイ ~異世界放浪物語~  作者: 三鷹
江戸東街区編

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009:エスト広場

 地下探索で残るは、フリースペースのエリア。

 居住区から見れば左手前。地下街の入口からなら右奥。


 近くを通っていたので、その存在は知っていた。

 だが、あえて最後に残していた場所だ。


 フリースペースの名前は“エスト広場”。

 フリースペースとは言え、実際は地下の小さな公園のような場所だ。

 湿った空気と静かな雰囲気が漂い、決して居心地が良いとは言えない。


 エスト広場でやることは、極めて単純だ。

 寝たふりをしながら、周囲の会話に耳を傾ける。


 一見地味な作業だが、決して無駄ではない。

 普段の会話の中で出る情報が重要なのだ。


《私が代替えすることを提案します》

「いや、一緒にやろう。私が聞こえないエリアを補ってくれ」

《了解しました、ミスター》


◇◇◇


【居住区に住む、買い物帰りの主婦二人】


「ねぇ、聞いた? 五号室の娘さんのこと」

「聞いたわよ。まだ隔離されてるんでしょう?」

「他の人はもう治ったのに、あの子だけなのよ」

「三年前みたいにならないか心配だわ」

「やめてよ、思い出したくもないわ」

「神田川先生もいい加減諦めてくれればいいのに」

「先生、頑固だからねぇ」

「他の先生なら安楽死を選ぶんじゃない?」

「正直なところ、その方が気が楽だよね」



【居住区に住む、若い男女二人】


「やっぱ魔界人の薬屋、絶対怪しいと思うぜ」

「そうかなぁ。あたしお世話になってるし」

「あの病気も、あの薬屋ができてからだろ?」

「ちがうよ、あの病気は薬屋ができる前からだよ」

「そうか? 薬屋が怪しいって噂だぜ」

「しっかりしてよ。どうして事実を見ないの?」



【医療関係者、男性二人】


「神田川先生も、いい加減、妥協すればいいのに」

「治せる可能性がある限り、諦めない人だよ」

「でもさ、政府の方針に逆らってるよな?」

「だから、隔離室に一人で籠ってるんだろ」

「俺たちに迷惑かけないようにしてるんだな」



【門番、男性三人】


「江戸東街区管理者が政府に連絡したらしい」

「仕方ないか。隠すのも、そろそろ限界だよな」

「三年前と同じように、軍が動くかな?」

「早くても到着に五日間。それまでに治れば……」

「いや、軍専用道なら五日間だが、中央公園経由なら即日だよ」

「そうか。中央公園のゴーストが消えたんだよな」

「ただ軍の到着日なんて、正確にはわからないよ」

「でも、軍が来るのは確定だろ?」

「ああ、それは間違いない」

「軍が到着したら、あの患者の処分は確定だな」

「神田川先生がいるから、患者がモンスター化する直前までは、軍相手でも阻止しそうだけどな」

「いや、三年前もそれで失敗しただろ。今回は無理じゃないか?」

「そうだな。難しいかもな」

「あと薬屋の店主も心配だよ」

「何かあったのか?」

「神田川先生に薬を渡していたんだよ」

「効果があったんだよな?」

「あの患者を除いて、他は全員、助かったよ」

「じゃあ、問題ないんじゃないか?」

「いや、病気の件をすべて、政府が薬屋に責任転嫁しそうな気がするんだ」

「確かに、その可能性はありうるな」


◇◇◇


 一旦、頭の中で整理する。


 まず、患者の状況とモンスター化について。


 現時点では、住民の憶測のみ。

 三年前に同様の事実があることは否定しない。

 だが、今回も同じとは限らない。

 真実を観察した上で、対応を見極める。



 次に、神田川医師について。


 神田川医師は、国家方針を理解している。

 治療に対するリスクも覚悟している。

 それでも医師として、ギリギリまで治療する。

 患者が助かるかもしれないという希望だけで治療しているわけではない。

 安楽死の選択がまだ確定していないだけだ。

 医師として、倫理的な線を守りつつ、最後まで治療を続けているのだ。



 次に、軍の到着や行動について。 


 軍の到着日も軍の行動も不確定だ。

 住民の推測を、私は鵜呑みにしない。

 自分の目で観察し、必要ならば、対応する。

 それだけのことだ。



 最後に、中央公園のゴーストについて。


 中央公園のゴーストの存在が、ここへ人を近寄らせない緩衝地帯の役割を担っていたことが事実だとするならば、私が公園のゴーストを駆逐した過去があるだけに、今後はその影響を軽視するわけにはいかない。


◇◇◇


 今、私が知るべきは、患者の一次情報と軍の動きだけだ。


「軍の位置情報を取得可能か?」

《軍の特定はできません。門番を除く、武装集団として位置情報を取得します》


 現在の座標ビューアから武装集団は確認できない。

 表示エリアが地下街から中央公園までだからだ。

 それ以外のエリアは空白のままだ。


「座標ビューアの空白に武装集団は表示されるか?」

《空白には何も表示されません。仕様どおりです》


 現地で私が確認した範囲、あるいはエーアイが私の代わりに認識した範囲以外は空白のままなのだ。


「居住区内に、隠密で侵入することは可能か?」

《可能です。ただし、ミスターはできません》


「患者の人数と容体を調査することは可能か?」

《病気の原因特定を除き、問題ありません》

「早急に頼む。居住区内のエリア情報は不要だ」

《了解。所要時間、七分以内と推測します》


◇◇◇


 エーアイの調査結果を待っている。

 開始から、三十秒ほどが経過したころ、あの掃除のオジサンが現れた。


「よぉ、アンタ、ここにいたのか」


 掃除のオジサンは私の反応を待たず、一方的に話を続けた。


「アンタをここに案内しちまったからよ。ちょっと気になったんだよ」

「ありがとう」

「ど、どうしたんだよ。元気ねぇな」


 オジサンは、肩と顔の境目が消えるほど首を九十度傾け、私の顔を覗き込む。

 一瞬、吹き出しそうになったが、必死に堪えた。


「あっ、わかったぞ」


 私は無言で、オジサンの言葉を待つ。


「三年前の話。誰かから聞いたんだろ?」


 肯定とも否定ともつかない態度で、私は沈黙を貫く。

 その沈黙を見て、オジサンは小さく息を吐いた。


「……処分されたことだけは、知ってるって顔だな」


 オジサンは、三年前の騒動を思い出したかのように、肩をすくめた。


「その患者は、怒ったり怯えたりすると、体のまわりの空気が一気に弾け飛ぶような、そんな妙な力を持っていてな。ちょっとでも感情が揺れると、周りの物がまとめて吹っ飛ぶんだ」


 オジサンはいつもの弾んだ調子とは違い、静かに淡々と話している。


「患者が少し落ち着いた様子をみせても、声をかけようとするだけで、空気の爆発がまた起きちまう」


 オジサンは耳の後ろをかきながら、小さくため息をついた。


「よし、これで、この話は終わり!」


 オジサンはいつもの調子に戻った。


「ま、心配なら、とにかく居住区には近寄らねぇことだな。じゃあな」


◇◇◇


《ミスター、任務完了しました》


 患者の人数:一名

 年齢・性別:二十歳、女性

 患者の容体:ほぼ安定


 通常は静かに眠っているが、突然、大声を出すことがある。


「こちらも掃除のオジサンから情報を得た。共有しよう」

《情報共有、完了》


 私は、座標ビューアを見ながら、次の行き先を考えていた。これ以上、ここに留まる必要はないと、思い始めたからだ。


 その時、エーアイは私へ警戒情報を伝えてきた。


《危険度不明、要警戒。対象が接近中です》


 警戒情報を伝えていたのは初めてのことだ。

 恐らく、尋常ではないのだろう。


 私は平然と落ち着いた状態を保ち、立ち上がる。

 周りに気づかれないよう、周囲を警戒する。

 今のところ、エスト広場に対象者はいない。


(逃げるか、待ち構えるか)


《対象者、三秒後に、エスト広場に入ります》


 私は待ち構えることを選択した。


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