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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。

解体屋で働く女は天井裏で出会う

作者: RODS
掲載日:2025/10/16

世の中には得体の知れぬ事実に、そんな馬鹿なという事実が加わると、ありえない事柄が生まれたりする。それまで事例がないことだからなどと言っているとそれがつい最近生まれ

た新事実であったりする。


見祐子(みゅうこ)はフラワーショップで忙しい日々を送っている。昨今インターネットでの販売もでき、経営は”うまくいっている”といったところだ。綺麗な花を喜んでもらえる、やりが

いのある商売だ。少し意外なことではあるが、このフラワーショップの前は内装系の解体屋で働いていた。それまでホステス、クリーニング屋、掃除屋、アイスクリーム屋、ス

ーパーのレジ打ち、運転手など数え出したらキリがないほどそれまでに色々な仕事をしてきたが、この解体屋は1番長くやっていた。…続いてしまったといった方が正しい表現かも知れないが。解体屋からフラワーショップ、やはり違和感があるだろう。


その季節はジメジメとした梅雨を過ぎ、夏の暑い季節に入ろうかといった時だった。解体屋に限らず建設作業員のほとんどが憂鬱になる季節である。見祐子はその日、古くてボロボロになってきた天井を壊すという仕事でその現場に来ていた。全て取り除いて次の新しい天井を張る業者に渡す時に何か残っていては直ぐに作業に入れない為、解体屋は何も無い状態にしておかなければいけない。何か残っていればやり直し、または残っている箇所が多ければその場で取りに来るように”次の日”に呼び出されてしまう。しかしその次の日はまた別の現場の仕事を組んでいる為仕事が重複してしまう。これは大変なリスクであるので何としても決められたその日、またはその期間でやり切ってしまわなければいけない。解体屋は常に時間とリスクヘッジとの闘いなのだ。


そのビル、1階はカフェテラス、2階はカフェテラスの姉妹店レストラン、そして園芸店が移転していった後のその日の現場3階と4階には悪い噂が絶えない産婦人科であった。ビ

ルのテナントというのは階の間に必ず大き目の隙間があり、この中をパイプやダクト管が張り巡らされているのだがテナントにやってくるお客さんにはそんなこと分かりもしないよ

うに造られている。実際の天井は見上げた天井よりさらに高いところにあることになる。そして今回上の階からの漏水で3階の天井が痛んできており張り替えるということで内装系解体屋の出番というわけだった。

脚立に上り最初の天井一枚を正拳突きで破りそこにぶら下りながら力を弱めると一気に天井全体が落とせる。余談にはなるが見祐子は黒と赤のアクセントがきいたHASEGAWA脚立しか使わない。屋内で使うときは専用の赤い”ソックス”をはかせて使っている。屋外で使うときは”同じ脚立”を”屋外

専用”で使っている。屋内にソックスはいるのだろうかと問に思うが、そこは彼女のポリシーがあるようだ。必ず外の物は外で、中の物は中でというポリシーの徹底をしていた。


どんなことでもそうだが、力任せにやれば(ろく)でもない結果になることは世の中には数多く存り、これまでの歴史も物語っている通りである。どんなに切れ味の良い刀剣でも力任せに切れば、切れたとしても本当の深いところの意味では切れていない筈だ。そんな使い方で良いなら(ナタ)で十分であろう。そしてこの天井の場合、力任せにぶら下がればその掴まった個所付近”だけ”が破れて…また落とす為にハシゴに上って…つまり一からやり直しというわけだ。それが積み重なると時間的にも大変なロスになってしまい、1日で終わるものでも2日、3日かかってしまうことがある。割と経費もかかるのだ。現場に行くまでの燃料費、予定していた次の日の仕事の仕切り直し、食事や材料や装備品、その他諸々と散々な結果になり、これが続けば当然会社はひっくりかえってしまう。くどいようだが時間との闘い、リスクの低減に努めなければ簡単につぶれてしまうのだ。そして解体とは早くやるだけではダメだった。本当の深いところの意味で進めなくてはならない作業なのである。如何に効率よく壊すか、どう壊したらその後仕分けてトラックに積めるか、どの位置に固めておけば邪魔にならず全体を進めていけるか、ただ阿呆の様に壊すだけでは務まらない仕事であった。シャカリキに走り回って作業するものでもない。そんなことをし続ければどんな若者だってヘバってしまう。スポーツではない。仕事なのである。

解体とは色々な面で非常に奥が深い仕事である。プロの解体師は脚立の上で作業していても壊し取った廃材を種類別に投げておき、後から集めやすいように計算しながら壊していく。これが素人では壊したまま下に落とし、降りてきては分け、上って行っては壊し、時には折角分けた上にまた落としと無駄な動きばかりを繰り返す。プロの足元ほど綺麗で作業外で廃材が落ちていることは先ずない。そして極め付けは、行って戻ってくる間にも手ぶらで行くということはまずありえない。必ず何かを持って行き、戻ってくるときにも必ず何か持って戻ってくる。流れるような作業で無駄な動きなど何ひとつもないのである。(ほこり)(まみ)れても本物の解体師は本当に美しく見える。


見祐子もどちらかといえば最初、ただ阿呆の様に壊すだけで金銭が得られて、力任せにバールで破壊し、ストレスも解消でき一石二鳥だと考え、はじめたのだが、始めてみると当然奥が深いことを知る。見祐子はそれを面倒くさいと思わず、楽しいと感じた為にここまで続いてきていた。色々な仕事をしてきたおかげで要領も愛想も良い。大抵一度教わったことを二度聞くことはなかった。それどころか教わった技術を極めてしまった後で自分なりに昇華することができ、熟練の解体師からもその腕や態度を見込まれていた。


更に見祐子はよく見ればなかなかの美人でスタイルも良く、次々働きにくる手伝いの男たちから言い寄られることも往々にあったがそれも煩わしいと思わずに飲みに行ったり、食事をしたり、気に入った男であれば夜を共にすることも一度や二度ではなかった。ただし、その場で関係が終わることの方が多かった。互いに都合よくストレスや性欲を発散できてバランスが取りやすかったこともあった。見祐子もそれはそれで割り切った付き合いをして楽しんでいた。今では従者の男を二人も使っているのだからなかなかの器量と采配の持ち主である。


話が少し逸れていってしまったがその天井解体の仕事のその日、見祐子は思わぬ事態に出くわすことになった。全てを整え、さぁと勢いよく例のやり方で天井を落とした時に何か違和感を感じた。おかしい、引っかかるものは全て外しておいたはずだったのに。


ドスンと鈍い音と共に天井裏から何かが一緒に落ちてきた。


10秒ほどであったろうか、景色が見えなくなるほどの凄まじい埃で何も見えなかった後、今度はその何かに引っかかって天井裏にまわしてあった電気コードが外れ、真っ暗になった。実はこんなことはよくあることで然程驚いてはいなかったもののまあ何か小動物の死骸か前者の置き忘れの道具か何かだと、やれやれといった感じで腰袋のポケットからライトを取り出し電気コードを復旧しようとその外れた付近に向かうと、何やら塊のようなものがありほんの微妙にだが動きがあったような気がした。やはり小動物か、これには見祐子も少し驚き電気より先にそこを照らした。


そこには煤や埃で汚れた小男が(うずくま)る様に丸まって横たわっていた。ほんの時折り”ヒクヒク”といった感じで動くくらいであとは微動だに動きはなかった。見祐子には若干の混乱が頭の中を駆け巡っていた。まず何故そこから落ちてきたのか。何故動かないのか。ははあ、冬眠中だったのを起こしてしまったか。いや、何を言っている。ここは都会の真ん中である。熊が山奥深くで眠っていたのではない。

監禁でもされていたのか。

こんな世の中である、日に日に以前では驚かれた様なことも、ああまたかとありそうなという免疫が付いてきているような時代だ。驚きよりも段々と疑問ばかり出てきていた。

何よりもまず見祐子は判断が非常に難しい選択をしなくてはならなかった。救急に連絡した上で、一つは併せて警察に通報すること。もう一つは仕事を終わらせてから通報すること。この二つだ。

先程も言った通り屋内の部分的解体屋とは次々と現場が変わっていくものである。ここで余計な時間がかかってしまってはまずいのだ。

何故なら解体屋とは建設業の作業ルーティンの中でも一番最初に入っている業種であるからだ。つまり壊して綺麗にしなければその次から入る大工や電気工、配管技師の連中に多大な被害や迷惑をかけることになるのである。その連中にだって自分たち”の”ルーティンがあるから当然であり、では次の日に回せなどと、そうそう簡単に出来るはずはなかった。仕事がひっ迫している時にはありえないことなのである。そして何より大企業のようにいるかいないのかわからない細々とした社員、ダラダラと悠々に定年を待つ公務員ではないのだ。

その日、その時が大事なのだ。その瞬間はあまり重要ではない。


さてどうしたものか、少し考えた後、見祐子は後者の仕事を終わらせてから通報する方を選んだ。やはり見祐子にも次の日の予定は決まっており当然遅れを出すわけにはいかなかった。いや、通報より何よりまず救急だろう、虫の息なのかもしれないし、ううむ、しかし困ったことである。例え仕事を終えてからでもその後にいろいろ聞かれることになっては心身共に疲れが倍増する。何故この時、こんな場所でなのかと見祐子もイライラを募らせていた。それでもやはり救急が先

だと決めたその瞬間にそれまでのごちゃごちゃした全てのことが吹き飛ぶような錯覚を覚えさせた。


その小男が閉じていた眼を開け、見祐子を(ほの)かに優しく見つめたのである。それは吃驚仰天(びっくりぎょうてん)するほど透き通った…まるでガラス玉の中に美しい銀河が入っているかのような瞳でこちらを見たのである。


これには見祐子も目を何かで貫かれたような、痛みすら感じる程の衝撃を受けた。(まばた)きと首を振って自我を確認した。頭をクリアにしなければ到底正しい判断に辿り着けないと思い自我の確認を3度ほどしてみた。結果としてはその美しい銀河を見ることは2度となかった。困惑するしかなかったがただひとつはっきりしていたことは先程の美しい瞳に心を奪わ

れてしまったことは確かだった。恋だとか愛だとかははっきり境目がない。ただの衝撃だっただけかも、驚いただけなのかも、しかしこの先、一生、目の前の小男のことを忘れることはできないだろうという心の奪われ方だった。見祐子にとってこの手の体験は3度目であった。1度目は金縛りにあって後ろの壁から生霊(いきりょう)がしゃべっているのが聞こえた時のこと、2度目は国内でも有数の高さを誇る山の頂上から360度の絶景を観た時のこと、感覚は3つとも全く違えども何れも心を奪われた事象であったことに違いはなく、見祐子はこの時既に小男に大いなる関心と底抜けの興味を抱いてしまった。


「よし、一先ず休憩しよう」


従者の男達もそれはそうだといった雰囲気で埃を払って外に出て行った。ため息をついていた者もいたように思う。見祐子は自分だけになったことを念入りに確認し小男に近付いて行

った。先程のあの”衝撃の眼”は開く気配すらない。それよりも…だ。一体どうしたもの…か。兎にも角にも話しかけてみようかという選択肢が浮かんだ見祐子は小男にそっと話しかけた。

「ねぇ…ちょっと、何なの。」

小男の身なりとしては、だが、長い間その格好で横たわっていたのか落ちた衝撃で手の位置が動いたのだろう、真っ白な服であった様で、ちょうど手の形に白い衣服が見えていた。

特徴的なのは身なりよりもその不可解な動きである。3度程呼吸のようなものをしたかと思うとその後10分強程は微動だにしないのである。先ほどの衝撃の眼が合ってしまった時もその呼吸の間だったのである。まるで石化してしまったかのようにピクリとも動かない。聞こえてもいないと思われる固まり具合である。呼吸の際に聞こえるか聞こえないかくらいのヒュウ、ヒュウという音がその後耳から離れそうにない。


謎めいたものを持つ人間に、人間は惹き込まれるのだ。


それは見祐子にとっても例外でないことは言うまでもなかった。もう一度ハッキリ言うが、身なりや外見で人は人に惹かれるのではない。人を惹きつけるものとはその人を知りたいという好奇心と興味である。たった一つの謎に何千万人もの人々が引き寄せられることだってあるのだ。言い換えれば何か興味があるうちは生きて学んで探し求めることにきちんとした価値は存在するということだ。

しかし今のこの現状では警察に通報して引き取ってもらうより奪われた心を取り戻さなくてはいけないという思いにかられこのまま連れて帰ろうかと見祐子は考えている。この奇妙な、明らかに不自然で、得体の知れない小男を一先ず事務所兼倉庫に運んで観察してみようかと思ったのだ。観察という言葉が正しくないことはわかっていたが、見祐子のこの想いには先程射貫かれた彼の瞳の美しさに心を奪われていたことが非常に大きかった。そしてやはり好奇心と興味である。もうひとつ、感情でいえば言葉にしがたい母性のようなものも少し入っていた。


見祐子はその場で小男に天離(てんり)と呼び名を付けた。


上から離れて降りてきたということで名付けたようだ。「天離、あなたを連れて帰ることにする。私は、あなたを離さない。」見祐子のこの言葉には多分に意味を含んでいた。しばらくすると従者の男達が戻ってきたので特別の手当を付ける約束をし、自分は一旦離れるが必ず作業を終わらせる様に言付けておいた。もうこれで仕事に対する信用を失ってその先なくなってしまうかもしれないがそれ以上深くは考えられないほど天離への興味が頭から離れないのだ。天離とは我ながらぴったりの名前を付けたものだと思った。

タイヤだけが付いた板の台車を2つ重ねてその上に天離を乗せた。天離は驚くほど軽かった。さほど無理なく運ぶことができた。


ここでただひとつはっきりしていたことは天離に対する恋や愛で動いたわけではなかった。今までに経験したことのない感情でその境目がぼやけていてはっきりとしない。いろいろな感情を抱えたまま天井裏から落ちてきた天離を載せて事務所に向かっていった。そしてもう一つ天離について見祐子を驚かせたのはその臭いである。生まれたばかりの赤子のような、新しく植物の芽が出てきた時のような臭いであった。落

ちてきたときは凄まじい埃の臭いで判らなかったがきれいに体を洗ってからはあの独特の臭いしかしなかった。腐ったような、または排泄物などの異様な臭いがしていれば誰かが天離の存在に気付いた筈である。壊してみてみるまでは誰も気付かなかっただろう。そういえば排泄物がかけらもなかった…まあネズミとかの餌になっていたのだろうとその時はあまり気にしなかったが。さらによく見ていると異常に光を嫌うようで、嫌うというより体的にアレルギーなのか光が当たっている部分だけ水分を失ったかのようにみるみる乾いて(しわ)だらけになってしまった。大急ぎで近所の24時間空いている店で霧吹きを買ってきて吹いていた。

絶対に死なせるわけにはいかない。

そのうち追いつかなくなると思った見祐子は天離に水滴が

落ち続けるように廃材や資材で支えを造り水圧を調整して何とか定期的に水が落ちるようにした。


天離がいつか起き上がってくるのではないか、話しを返してくれるのではないかという日を夢見ながら、見祐子は夏の中盤の長い休みが来るまで暫くの間仕事をしながら同じような毎日を繰り返していた。見祐子が一番心奪われたあの輝きをもう一度見つめたい、彼女の心はすっかり恋する女性の気持ちになっていたが、どういうわけか出会ったあの日以来その眼が見えることはなかった。いつか応えてくれるだろうと信じてはいるが…ゴールがないマラソンほどキツくて物凄く長く感じる、それと同じ感覚を毎日味わっているのである。

事務所の冷蔵庫の中は酒とつまみくらいしかなかったのに天離を連れて来てからは食品でいっぱいになるようになった。”いつかのその日”の為に絶えず準備をしていた。見祐子も近くの銭湯に身体を洗いに行き、出来る限りすぐ事務所に戻ってきて天離のそばを離れなかった。

そして、いつの間にか天離に語りかけている自分に気付いた。


随分いろいろな話を聞かせたものだった。自分の生い立ちや辛かったこと、先の未来の予定や考え方、こんなこともやってみたい、以前に交際していた男とのこと、もしも天離が話

し返してくれたその日の時のために見祐子は自分のことを全て知ってもらいたかったのだろう。そうしておけばまるで今のこの一方通行なやり取りではなく自然に向き合って話せるだろうと考え、夢見ていた。しかし一方通行のやり取りとは非常に辛いものである。先程のマラソンの例えを思い返してほしい。こうなってくると悪い方悪い方に考え出すのはいくら明るい性格の見祐子でも例外ではなかった。社交的にも優れている彼女である。いつの間にか天離に対する感情は愛に変化し、最初は(こば)みつつあったその感情も巨大に膨れ上がったその愛情に飲み込まれてしまっていた。そうでなければ自分の時間をこれほどまでに誰かに使うなどということは出来ないだろう。


暗雲が立ち込めていたとしてもその雲の切れ間からわずかに(のぞ)く光の筋道に、いつかのあの美しい銀河を重ねていた。


いつ切れてもおかしくない心の糸はその光の道筋によっ

て力強く支えられてきたのだが、それも段々と薄れてゆくように感じられた。

そんな日々が彼女の精神の限界近くまで続いていたある日、起きていつものように天離の様子を見にいくと彼が寝返りを打ったかのようにほんの少しだけ傾いていることに気付いた。嬉しかったのか驚いたのか、その時持っていたコーヒー入りのボトルを落としてしまった。


「天離、天離、おはよう。わかる?聞こえる?天離?」


残念ながら天離は見祐子のどの問いかけにも応えることはなかった。それから暫く似たようなことが起きたが天離は見祐子に応えることはなかった。本当に彼は生きているのだろうか。業を煮やしたわけでは無かったのだが、いよいよ見祐子は天離と話しをしてみたい、なんとか応えて欲しいという思いに気持ちが押しつぶされそうになるところまできていた。


見祐子はホステスの時に知り合った江美理央(えみりお)という医者がいたのを思い出し、連絡を取って看てもらうことにした。ここへきて自分一人で解決しようとしていたことで、もしも天離に負担がかかっていたら大変だと思ったからである。以前使っていた手帳を探し出し番号を探し当て電話を掛けた。

「もしもし?江美理央、久しぶりね。元気にしてる?」

『もしかして見祐子?見祐子ね!本当に久しぶり。』

「いや、元気かなと思って。」

『あなたはそんな電話をしてくる女じゃない。何かあったというわけね。』

「病院に行ければいいんだけど、事情があって行けないんだ。少し来られない?」

『あら。指でも落としたかしら?』

江美理央は見祐子が解体屋で仕事をしていることは知っていた為来られない事情はそのあたりかとアタリを付けて聞いてきた。

「そういうことじゃない。」

『そう、わかったわ。明日の夕方…夕方くらいがいいのでしょう?』

「うん。ありがとうわかってくれてて。頼むわ。」

『それじゃあ明日ね。会えることを楽しみにしとくわ。』

電話を切った見祐子は明日にでも何かが変わるかも知れないと少し期待をして酒を飲みながら天離を見つめていた。相変わらず動いたり、まさか急に話し出したりと、そんなことはなかった。江美理央に診てもらうことにしても本当は嫌であった。これ以上絶望するのはもう耐えられないのがすぐそこまで来ている感じがしていたのだ。

嫌なことを待つ時の時間というのは恐怖に思えてくるほど早い。あっという間にその時間はやってきてしまった。約束していたくらいの時間に江美理央は見祐子の事務所にやってきた。

『久しぶりね。』

「そっちも忙しいのに申し訳ないな。」

『いいのよそんなことは。それで?』


「うん。こっちに来て。」


見祐子は江美理央を誘導して天離の所まで連れてきた。天離を一目見た江美理央は第一声をどんな言葉にしようか、迷っている感じだった。彼を失礼のない態度で指さしアイコンタクトで確認を取ってきたため見祐子は頷いた。

『一体これはどういうこと?作業員の人が怪我でもしたの?え、病気?いや何か小さくない?』

「悪い。私にもよくわかってないんだ。」

『どうしてもっと早く呼ばなかったのよ。救急とか。』

「いや、あの、経緯を話すと…」

見祐子はそこに至るまでの一連の流れを話していった。話している間江美理央は天離を念入りに診断していった。しかしそんな程度でわかるのかと思うところで手を止め、こちらを見ず天離を見つめたままこう言った。


『なるほどね。申し訳ないんだけど、、』

「いや、悪かった、あんたに診てもらうことじゃないよな。」

江美理央の言葉を遮るように見祐子は返した。どういうわけか江美理央は天離から目を離さない。そして沈黙の後ようやくこちらを見て言った。


『いえ、そうじゃないわ。あなた白い服が見えたって言ったわね?しかも何?呼吸ですって?…ごめんね見祐子。そこまで想ってしまっているあなたには悪いけれど、”これ”は”植物”よ。』

「…え…」


この時の見祐子の絶望感はなかった。今日にでも江美理央が天離を起こしてくれるかもしれないといった微かな期待もそれら全て吹っ飛ばした。以前PCでみたどこかの国の水爆実験の映像に近い衝撃が見祐子を襲い、後ろ髪が揺れていないか姿見でチラリと確認したほどだ。


『あなたが見間違えるのも無理はない。私だって最初は人だと思ったもの。それに確かに人のような雰囲気や臭い、本当に微妙だけど動きもある。でも医学的な目で見たとしても不可解な感じの方が多い。つまりね、これは植物だわ。あなたをそう思わせた理由の一つにあのビルの産婦人科があるでしょう?ほら4階の、あそこは違法中絶もおこなっていることは私も知ってる。あなたもその過程で何かおかしなことが起こってこんなことになったんじゃないかって思ったのよね?そうじゃないかしら?でも…ごめんね。断言させてもらう。これは植物。球根に近いといった方が説明がつくわ。』


また暫く沈黙の時間があった。江美理央は見祐子のその素振りから瞬時に察知してこう答えた。


『ねえ見祐子、私は無意味な期待は持たせないわ。あなたがどういう感情を抱いたにせよこれは植物。ずっと待っていても返事が来ることはないわよ。』


全て錯覚から生まれてきていたのだ。人のような形をしていた、呼吸のような動きがあった…。見祐子は生物学上からの視点で見ても植物である天離にずっと話しかけていたのであ

る。あの時目が合ったと思われた事実は偶然出てきていた芽だったのか。芽と眼との違い。

大粒の水滴が銀河のように見えただけだったのか。話しかけても返事もしない男は何人もいたが、最初から返事も出来なかった、そして何よりこの先も天離から返事が来ることはないのだと分かってしまったその瞬間、情景がゆるんだと思ったら見祐子は目から大粒の涙がこぼれていた。そしてその涙は止まりそうにない。その顔は絶望を物語っていた。直視すればもらい泣きしてしまう。

そう思った江美理央はそれ以上何も言わず彼女の事務所を後にした。


その人にとって大切なことは、他の人から見ればくだらないことや些細なことだったりする。天離にとっては天井裏でじっとしていた方が、もしかしたら幸せだったのかもしれない

。ただ見祐子が天離を見つけてしまい、愛してしまったことは他人にはどうにも踏み込めない事実であるとともに簡単には変えられない不条理でもある。天離にもし感情があるならば見祐子に感謝しただろうか、それすらも確かめることはできない。哀しくともこの先、見祐子はそれを勝手に悟ってゆくことになるのだ。兎にも角にも天離からの返事は来ることはない。

天離がもしも全てを理解していたと仮定して、見祐子にただ一言返すことができたとしたら一体どんな言葉を返しただろうか。感謝の言葉だろうか。それとも放っておいて欲しかったの一言だろうか。前者だと思いたいがその答えという天離の花は永遠に包まれたまま花咲くことはないであろう。しかし救いなのは全て忘れられる日は必ず来ることである。良い思い出には悪いが、良くない思い出には終止符無くして救いはないと私は思いたい。


その後、見祐子は暫く鳴りを潜めていたものの、内装系解体の仕事の全てを従者の男2人に託すことに決めた。天離と自然と一緒に過ごしていくためにフラワーショップを開き、そこでの植物や花を育てる農園も経営をすることに決めた。見祐子のことである。フラワーショップの経営はそのままうまくいくだろう。


農園は裏山がある小屋付きを見つけた。裏山だけではなくその中に洞窟があるところがあった。今ではその洞穴の奥で静かに、とても静かに天離は成長を続けている。見祐子には天離が植物であっても人間ではなくても生きていることに変

わりはないと考えている。天離と出会えた自分に誇りを持っていた。あの銀河が夢ならそれで良かった。


風が吹いたのだと思ったら、天離の方から『ミュウコ、アリガ、トウ』そう聞こえたような気がした。天離の方から

何か光ったように見えたと思ったら微かだが底抜けに美しい銀河の道筋が見えたような気がした。

それは自分の大粒の涙だったのだろうか。


錯覚だろうと見祐子には構わないのだから


変だと思われようとも、私は部屋の植物達によく話しかけている。風に揺れた時、返事を貰えるている気がした。あの朝日は本当に綺麗だった。

色んなインスピレーションからこの話しを書きました。

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