第3話 奇跡の朝
空はまだ暗い。夜と朝の境界、世界が息をひそめる時間。
びしょ濡れのまま、美咲のアパート前に立つ直哉のスマホが、再び震えた。
《神崎くん……ごめんね。》
その一文が画面に浮かんだ直後、足が勝手に動いていた。
息を切らし、階段を駆け上がる。
美咲の部屋の前で、ドアを叩いた。
「佐倉さんっ! 開けて! 頼む、開けてくれ!」
返事はない。
けれど、内側からかすかな音がした。
――泣いてる。
直哉は全身でドアに体当たりした。
重い音とともに、鍵が外れる。
部屋の中は真っ暗で、カーテンも閉ざされていた。
その中央に、美咲が座っていた。
手の中に、小さな薬の瓶。
涙に濡れた頬が震えている。
「神崎くん……なんで来たの……」
「来るに決まってるだろ……! お前が消えそうだったから!」
彼女のそばに駆け寄り、瓶を掴んで投げた。
ガラスが割れる音。
静寂の中で、美咲の肩が震えた。
「もう……疲れたの。
生きてる意味なんて、わからない。」
「それでも、生きてくれよ。」
直哉の声はかすれていた。
彼の手が、美咲の手を包む。
その瞬間――数字が光った。
【残り2日 → 5日 → 8日】
美咲がはっと息を呑む。
「……見えるの?」
「見えるよ。
俺には、お前の“残り”が見えるんだ。」
涙がこぼれる。
「それって……呪いじゃないの?」
「そうかもな。
でも、もしそれで誰かを救えるなら――俺は、呪われたままでいい。」
朝日が差し込んだ。
カーテンの隙間から、淡い光が部屋を染める。
数字がゆっくりと、さらに伸びていく。
【残り8日 → 12日】
美咲の頬に、初めて“生きたい”という色が戻った。
「……まだ、死にたくない。」
「その言葉を、ずっと待ってた。」
二人の手が、強く結ばれた。
その時、玄関の方で音がした。
扉の影に立っていたのは――蓮だった。
彼の顔にも、涙の跡があった。
「……君たち、本当に数字を動かしたんだな。」
直哉は頷く。
「なあ、蓮。俺たちで、もっと救おう。
きっと、この数字には“希望”の法則がある。」
蓮は少しだけ笑った。
「協力しよう。もう、誰も一人にはしない。」
朝の光の中、三人の影が交わった。
そして、その影の中で――
蓮の視界にも、初めて“自分以外の数字”が浮かび上がる。
それは、美咲の頭上にゆらめく【残り12日】という数字。
そして、自分の胸元に浮かぶ【残り13日】の光。
「……俺にも、見えるようになった。」
その瞬間、世界が変わった。
彼らの“奇跡”が、静かに始まったのだ。




