第3話 揺らぐ“日常” ― 心の奥にあるもの ―
昼下がりの教室。
チャイムが鳴っても誰も立ち上がらない、微妙な沈黙の時間。
直哉は窓際から、美咲の背中を見ていた。
笑っている。
でも、その笑顔の奥にある“影”が気になって仕方なかった。
放課後、蓮が声をかけてきた。
「今日も観測、行くか。」
直哉は頷いた。
もうそれが二人の“日課”になっていた。
彼女のバイト先――商店街のパン屋。
ガラス越しの美咲は、まるで別人のように優しい表情で子どもにパンを渡している。
けれど、その頭上の数字は昨日よりわずかに小さく、【残り5日】を示していた。
「……話しかけてみようか?」
直哉の提案に、蓮は首を横に振った。
「焦るな。観察が先だ。」
「でも、このままじゃ――」
「“助ける”って決めたのは、数字のためじゃないだろ。」
その一言に、直哉は言葉を詰まらせた。
蓮の視線は真っ直ぐだ。
数字を見慣れすぎたその瞳には、どこか冷たい理性が宿っていた。
「……蓮、お前は“人を救いたい”んじゃないのか?」
「違う。俺は“数字を理解したい”んだ。」
その瞬間、直哉の胸の中で何かが軋んだ。
協力者だと思っていたのに、目的が違う。
“救い”と“研究”。
同じ力を持ちながら、二人の心は違う方向を向いていた。
パン屋の閉店時間、美咲が店を出る。
空はオレンジ色に染まり、遠くから子どもの笑い声が聞こえた。
彼女はスマホを見ながら小さくため息をつく。
その表情を見て、直哉は思わず駆け寄った。
「佐倉さん!」
振り向いた美咲の瞳が驚きで揺れる。
「神崎くん……? どうしたの?」
「いや……なんか、元気なさそうだったから。」
彼女は一瞬、黙ったまま微笑んだ。
「ううん、大丈夫だよ。ちょっと疲れただけ。」
でも、その笑顔はどこか張りついていた。
帰り道、蓮が言った。
「……彼女、自分で“終わり”を決めてる。」
「どういう意味だよ。」
「俺も前に似たパターンを見たことがある。
“死ぬ予定”を立てた人の数字は、こういう減り方をするんだ。」
「やめろよ……そんな言い方。」
「現実を見ろ、直哉。俺たちは“神様”じゃない。」
風が吹いた。
夜の街灯の下、二人の影が長く伸びていく。
その間にあるのは、確かに同じ“力”なのに、
心の距離は少しずつ広がっていた。
翌朝、美咲の数字は【残り4日】。
蓮のメモには、淡々と記録が増えていく。
直哉はその文字を見て、拳を握った。
「……俺は、数字じゃなくて“彼女”を見たいんだ。」
その小さな声は、ノートの紙に吸い込まれるように消えた。




