第6章 二人の視界 ― 希望の始まり ― 第1話 重なった世界
放課後の廊下は、冬の陽が傾いて橙色に染まっていた。
直哉は昇降口で靴を履き替えながら、背中に視線を感じた。
何度か振り返っても、誰もいない。
それでも、確かに“誰かに見られている”気配がした。
――また、あの感覚だ。
この数日、妙に胸騒ぎが続いていた。
数字が見えるようになってから、世界は少しずつ歪んでいく。
人の頭上に浮かぶカウントダウン。
それが視界の端にちらつくだけで、心がざわつく。
そのときだった。
「君にも、見えるんだろ?」
階段の影から、榊原 蓮が現れた。
整った顔、冷たい瞳。その静けさが一瞬、時間を止めたように感じた。
直哉は反射的に息をのむ。
「な、何を……」
「数字だよ。人の頭の上に浮かんでる、“残り時間”。」
その言葉を聞いた瞬間、足の力が抜けた。
誰にも言えなかった“秘密”を、初めて他人に言われた。
胸の奥に張りつめていた氷が、音を立てて割れるような感覚。
「……見えるの、君も?」
「見える。ずっと前から。」
蓮の声は淡々としている。けれど、その瞳の奥に微かな疲れがあった。
「最初は、幻覚だと思った。でも違った。どんなに目をこすっても、消えなかった。」
二人の間に、長い沈黙が流れる。
夕陽が差し込み、廊下の床に長い影を落とした。
「俺……事故のあとから、見えるようになったんだ。」
直哉の声は震えていた。
「最初に見たのは母さんの数字。あと、妹のも。怖くて、誰にも言えなかった。」
蓮は静かに頷いた。
「俺も、最初はそうだった。数字の意味を知っても、何もできないと思ってた。」
彼はポケットから小さなノートを取り出した。
中には、びっしりと数字と日付が書かれている。
「これ、全部…記録?」
「うん。三年間分。誰が、どれくらい“残り”を持っているか。
でもね、ある日気づいた。――“変わる”人間がいる。」
直哉の心臓が跳ねた。
「変わる?数字が?」
「そう。減ったり、増えたり。ごく稀に、だけど確かに変動する。」
蓮の視線が直哉の目を捉える。
「君の数字も、見た。あの日、数値が増えたんだ。」
直哉は息を呑んだ。
事故の夜のことを思い出す。
心臓が止まりかけた瞬間、母の泣き声と、光の中で見た誰かの手。
――あれは、彼女の“想い”が俺を引き戻したのか?
「……もしかして、数字って“気持ち”で変わるのかもしれない。」
ぽつりとこぼした言葉に、蓮の瞳が一瞬だけ揺れた。
「理屈は分からない。でも、もしそれが本当なら……」
「誰かを救えるかもしれない。」
二人の声が重なった。
次の瞬間、蓮が小さく笑った。
その笑みはどこか不器用で、初めて人に心を開いたような、柔らかいものだった。
「――試してみようか。」
「試すって?」
「数字を、変えるんだ。二人で。」
教室の時計が、カチリと音を立てた。
その音が、何かの始まりを告げる合図のように響いた。
冬の空が群青に染まるころ、
直哉と蓮は初めて、同じ方向を見つめていた。
見えない“死”の数字に怯えながらも、
そこにわずかな“希望の光”を見つけるように。




