艦隊派の答え
会議室の空気は、重かった。
磨き込まれた木製の卓上には、赤と黒のインクで記された艦隊整備計画の草案がずらりと並ぶ。椅子に腰かける男たちは、それぞれが海軍の未来を担う者たちであり――同時に、異なる「信仰」を持つ者たちだった。
「天城・赤城の空母化は、確かに成功でした」
口火を切ったのは、条約派筆頭の若手将校・高瀬中佐だった。
「航空主兵」を掲げる条約派の急先鋒であり、ワシントン条約の成立にも携わった交渉官のひとりである。
「今後、主力艦の設計は空母中心とし、戦艦の新造は極力抑えるべきと考えます。航空機の精度、運用能力を考えれば、旧来の戦艦は過剰投資です」
その言葉に、艦隊派の重鎮――榊原大将は、ふっと息を吐いた。
「……貴殿の言い分は分かる。わしも赤城の演習を見た。確かに空母の力は無視できん」
だが、と彼は指を掲げた。
「それでも、戦艦の全廃には与せん」
高瀬中佐の目が細められる。
「理由を伺っても?」
「航空機の能力には限界がある。燃料、搭載量、天候、航続距離――それらを前提に組まれる作戦は、戦局全体に柔軟性を欠くことがある。そして何より……『抑止力』としての存在だ」
「抑止力、ですか」
「うむ。敵国が艦隊を持つ限り、我が方にも相応の象徴が必要だ。それが戦艦だ」
会議は、静かに熱を帯びていった。
条約派が主張するのは「空母を中核とした機動艦隊」。対して艦隊派は、空母の脆弱性と不確実性を補う「打たれ強く、高速で、戦力を投射可能な艦種」を提案する。
「我々艦隊派は、旧来の戦艦主義を捨てることも辞さぬ」
榊原は静かに言った。
「だが、空母偏重でもない。そこで、提案がある」
彼が取り出した一枚の設計草案――そこには、異形の艦影が描かれていた。
「これは……?」
「我々の『代替案』だ」
その艦の概要は、こうだ:
•排水量 3万トン以下
•速力 30ノット超(金剛型並)
•主砲 41cm連装2基(前部集中)
•航空機運用能力なし
•代わりに、対空火器と装甲配置を航空戦を想定して最適化
•対艦よりも「空母への随伴・防空支援」に特化した、高速砲戦艦
すなわち――「空母艦隊を守る戦艦」
その名も『翔嶺型』と呼ばれる試案であった。
「戦艦の一撃力は必要だ。だがもはや戦列を組んでの打ち合いではない」
榊原は言った。
「空母機動部隊が戦の主軸となるなら、その防御の最前線に立つ艦が要る。単なる随伴ではない。航空攻撃にも耐え、対空火器で援護し、敵の巡洋艦隊を叩き潰せる……新たな艦種だ」
「高速戦艦というわけですか」
「いや――速力に寄せた重装甲巡洋戦艦、と言ってもよい。金剛型の役割を、真に現代化したかたちで置き換えるつもりだ」
高瀬中佐は資料をめくる。
すでに米英でも、類似の艦構想――「空母随伴艦」「防空巡洋艦」――は一部議論されていた。しかし、ここまで戦艦の形を残した設計は、日本海軍としては新しい。
「翔嶺型を、条約下にて建造可能な範囲に収める――そういう計画ですか」
「そうだ。金剛型四隻は老朽化が進み、主砲の小口径と防御力の不足は否めぬ。廃艦扱いとし、その代艦として翔嶺型を建造する。条約で定められた戦艦の総トン数を越えずに、未来の戦を見据えた艦を持つことができる」
「一艦隊あたり、三隻までなら……総排水量比率も許容範囲でしょうな」
「うむ。我らの妥協だ。戦艦を捨てぬが、時代に逆らう気もない。条約派との融和こそが、我が海軍の進路を開く」
会議室に沈黙が訪れた。
それは、互いの誠意が初めて交錯した静けさだった。
「……分かりました。条約派としても、翔嶺型のような構想には賛意を示せます」
高瀬はゆっくりと頷いた。
「空母は主力となるべきですが、それを支える盾がなければ、矛は折れる。我々もそれは理解しています」
「おお、そう言ってもらえると、老骨も報われるわ」
その日、条約派と艦隊派は初めて真正面から手を握った。
それは、海軍の未来が――戦艦と空母の共存という「答え」を持って進む、第一歩であった。
後年、この構想は翔嶺型として正式採用され、金剛型四隻の後継艦として空母機動部隊の中核を支えることになる。
条約に縛られながらも、信念を捨てず、変化を受け入れた者たちの知恵が、やがて歴史の潮流を導いていくこととなるのだった。