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少年よ、妄想を抱け

「僕、リサ先生に執務室で押し倒された」

「……は?」

アルドの発言で、ヘンリックが固まる。


自分がどれだけ大変だったのか、つゆ知らず。にやにやしながら『先生との逢瀬はどうだったよ?』などと、からかいに来たヘンリックに対する意趣返しだ。


「キズモノにされた上に、夏季休暇に先生を両親に紹介することになって」

「……」

ヘンリックは、ぱくぱくと魚のように口を開いては閉じる。

顔も赤くなったり青くなったりと忙しい。


「知ってた? 先生って、結構激しくてさ。爪痕がくっきり…」

「ぎぃいやぁーーーー!!!!」

「うるさいっ!」

許容値を超えたのか、ヘンリックが大きな奇声を発して倒れた。


……。


「落ちついた?」

「いや、まだ平静じゃない……」

ヘンリックは、ふぅ、とため息をついて答える。


「まぁ、説明したように色っぽいことは微塵もなく。恐怖体験でした」

アルドは両手を挙げて、何もない、と手振りする。


「でも、リサ先生と夏季休暇に旅行に行くことは事実だろ!?」

「行きが一緒ってだけで、そんな恋愛詩的(ロマンチック)なことは皆無だよ」

「それでも羨ましい! 俺もついて行こうかな」

「軍参謀の御子息が訪れるような場所じゃないぞ」


観光名所でもなければ、特産品もない。都会育ちのヘンリックは絶対に田舎を甘く見ているだろう。流石に友人の貴重な休日を潰すのは気が引ける。本当に何もないのだ。


「警戒するなよ。どうせ夏季休暇は俺も実家に帰らないといけないんだ。無理さ」

ヘンリックは左手をふらふらと遊ばせながら言う。

「いや、本当にそういうことではなく……」

邪魔どころか、ヘンリックが構わなければ付いてきて欲しいくらいだった。


リサ先生のような美人と二人で里帰りなどしようものなら、田舎では大騒ぎだ。火消しが大変になることは目に見えているし、今日の先生の尋常でない様子を見ると、教師ではなく研究者としてのリサ先生は少し、というよりかなり狂気的なのかもしれない。


先生が故郷で暴走したら、誰が対応することになるかといえば、間違いなく自分だろう。それを考えると暗くなる。


結局、あの後、リサ先生に追い詰められ、後ずさりしていった結果、執務室の大量の本と資料の山が崩れた。二人とも下敷きになり、紙の瓦礫から這いずり出る間に落ちついたのか、リサ先生はいつものように戻って、平身低頭謝られた。

目の光だけは、まだ怪しかったが……。


執務室を片付けながら話を進めた結果、絶対に里帰りについてくるという意思は変わらなかった。だが流石に教師と生徒で旅をするというのは、いらぬ邪推を招きかねない。一度、リサ先生の監督教員の許可を得た上で、ということで着地した。


セオンについての話は興味があるが、恩師のゼルマン先生が論文を書いているのなら本人に訊けば良い。アルドとしては監督教員が許可を出さないことを願っていたが、リサ先生によると『多分、大丈夫』とのことだった。恐らく許可は出てしまうのだろう。


研究経費が削減できる上、それなりの成果が期待できるなら許可しない理由はない。ゼルマン先生が現地にいるなら尚更、ということらしい。


ゼルマン先生はトープル研究都市で最も古い大学であるアロン校に籍を置いているそうだ。

研究者内の格付けはアルドには分からないが、リサ先生の口ぶりからすると恐らく低い権威ではないのだろう。もしくはゼルマン先生の人徳だろうか。


はぁ、とアルドはため息をつく。


「なんだなんだ。幸せのため息か?」

ヘンリックも調子を戻しているらしい。軽い調子でアルドを叩く。

「なんだか一気に疲れたよ。休暇も本当に休みになるのかも分からないし……」

仮に本当に先生と一緒の里帰りとなれば、地元だけでなく、学級内、下手をしたら校内でも噂になりかねない。気苦労はしたくなかった。


「おい。しっかりしろよ、これはチャンスだぞ!」

「だからそんな(ピンク)色の展開はないって」

アルドは辟易とする。しかし、ヘンリックは真剣な表情だった。


「違う! 『特等』を得るチャンスだ!」

「……」

アルドは何も言わずに、ヘンリックを見つめる。


「リサ先生が大きな発見をしたとして、アルドも共同発見者に名前を連ねれば『特等』をもらえるはずだ!」

リサ先生と同じようにアルドの両肩をヘンリックが掴む。

だが先生と違って、優しく、力強く、そして熱い。


「僕は出世に興味ないんだよ」

「でもトープルには残りたいだろ!?」

ヘンリックは手を離さない。


この国の建前は、実力主義だ。だが実際には様々なところで、生まれが力を発揮する。

卒業後はそれが特に顕著だ。


官僚になるための上級試験では、何故か貴族の合格率が高い。

軍での初期配属には、何故か偏りが生まれている。

暗黙の了解、というものだ。


圧倒的な実力があれば、そうした謎の谷を超えていける。もちろん、飛び越えた先に花畑が待っているはずもない。能力のある少数の人間は、意味のない障害を何度も超えていかなければならない。アルドにそんな気力も気概もなかった。


「俺は弟が親父の後を継ぐことに疑問はない。アイツの方が圧倒的に優秀だからだ」

ヘンリックはまっすぐにアルドを見つめて言う。本心の言葉だろう。

「だけど、お前が田舎領主の小間使いになることは許せない。不合理だ」

彼のまっすぐな視線が眩しい。

「……ヘンリック。君はいい奴だよ」


学内で差別はないが区別は存在する。生徒は将来の繋がりを無意識に、あるいは意識的に考えて交流をしている。自然に出来上がる学内の交流関係は、まるで整えられたように出身階級にそったものだ。排斥はないが、それでも見えない壁は確かに存在する。

そしてその壁は決して分厚くはないが強力なものだ。


本来ならヘンリックとアルドもその壁によって阻まれるはずなのである。それでも二人は気をおかずに付き合えている。これはアルドによるものではなく、ひたすらにヘンリックの人柄によるものだろう。


だが二人の交流は、このままならあと1年半で終わる。


高等学校の卒業後、アルドは恐らく大学に進むことはできない。大学試験でよほどの高成績を残すか、在学中になにか大きな成果を出して『特等』を得ない限り。

アルドは優秀ではあるかもしれないが、天才ではない。だから前者での大学への入学は不可能だろう。ヘンリックもそれは分かっている。同時にアルドが心底、勉学が好きだということも、よく分かっていた。


このままでは大して意欲もない、血筋が恵まれただけの人間が肩書のために大学の席を埋め、純粋に学びたいと思っているアルドはそこから弾かれるだろう。まっすぐなヘンリックにとって、それは非常に納得のいかないことだった。


アルドに大学を卒業して官僚になりたい気持ちなど微塵もない。

だが学び続けたいと思う気持ちはヘンリックの言うように確かにあった。


「わかった。リサ先生の研究を真剣に手伝う。でも先生の成果を急かしたり、無理に自分も発見者に名前を出して欲しいなんて頼まない。あくまでも手伝いだ」

ヘンリックはアルドの返答を聞いて微妙な表情をする。足りない、と思っているのだろう。

官僚の出世競争と同じで、清濁併せ呑むような強い意欲を持たなければ『特等』など普通は貰えない。相対評価の『優等』とは違って、『特等』の評価は絶対評価だ。誰にも有無を言わせぬような成果が必要だった。


だがアルドはヘンリックの友情に感謝するのと同様に、リサ先生のことも尊敬している。

ヘンリックと同様に、まっすぐに古代へ情熱を傾ける先生には、生徒のくせに余計なお世話かもしれないが、雑音など気にせずそのまま走り続けて欲しいという想いがあった。もちろん、暴走は怖いが。


「でも」

まだ納得をしていないだろうヘンリックに、アルドは続ける。

「研究都市への推薦状を書いてくれたゼルマン先生と話をしてみる。大学に行きたい、って相談してみるよ」

ヘンリックの手の力が少し緩む。

「先生も小間使いにするために推薦状を書いたつもりはないだろうしね」

「……お前は面倒な奴だな」

ヘンリックは肩から手を離し、小さく笑う。


今までのらりくらりとヘンリックの言葉をかわし続けていたアルドが『大学に行きたい』と初めて口にした。それは満足ができるだけのものではないかもしれないが、ヘンリックにとっては望んでいた変化だったはずだ。


「君は本当にいい奴だよ」

アルドも笑いながら、もう一度言った。

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