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国を作りましょう

リサ先生は美人だ。

流れるような赤い長髪は夕焼けのようだし、黄金色(こがねいろ)の瞳はその光に照らされた麦穂のようだ。どこかの有名劇団の女優、と言われても納得してしまう。


けれど壊滅的に字が汚い。そして、部屋も汚かった。


「な、何があるかはちゃんと分かるから!」

ドアを開けて執務室の惨状を目の当たりにして固まっているアルドを前に、言い訳になるのか分からないようなことをリザ先生は言う。


「よくこの部屋に生徒を呼べましたね」

本や資料と思われる紙の束が散乱している。それどころか、絶対に割ったであろう石版の欠片まで床の上に見つかるのは流石に引く。ゴミなどはないので不潔とまでは思わないが、古紙独特の匂いと、湿度が高いのだろうか。少しだけカビらしき匂いもする。


「そ、そこまで汚いかな」

アルドは信じられない言葉を聞いたかのように固まった。

「……ごめんなさい」

それを見て、すぐにリザ先生は謝る。しかし場所を変える気はないようで、リサ先生は目の前の魔窟に入って行った。


「あ、お茶出すから座ってて」

座る? どこに? いや、それ以前にこの部屋で出される湯呑みなどは安全なものなのだろうか。一瞬で様々な思考がアルドの中を駆け巡るが、それを見越したようにリザ先生が座布団を出して言う。

「飲食器とかは給湯室だから大丈夫です」

少し不機嫌な響きだった。

「すみません。失礼しました」

今度はアルドが謝罪する。それを受けてリザ先生は、いいよ、と笑う。綺麗だと思う。笑顔の背景がこの惨状でなければ。


リザ先生は給湯室に行き、アルドは主のいなくなった執務室のなかを見渡した。


本当に多種多様な資料が散乱している。セムダル朝、デンガロ朝、ホイフーム朝。資料を見ると、ほとんどがヒューム史関係の資料だ。年代がバラバラなのも先生らしい。

あと傑作と呼ばれる『ハルファン古代詩集』の横に『人生が100倍効率的になる整頓術』なんて本もあった。

本当に、どこに何があるか分かっているのだろうか……。


だがアルドの目を一番強く引いたのは一冊の本だ。


『石と血』 著者/リサ・ネムリンク


リサ先生の本だ。読んだことはない。手に取って開いて見る。最初に謝辞があり、導入、そして目次と続く。どうやら魔石が登場する以前の比較歴史学の本ようだ。青い血の種族と赤い血の種族のそれぞれの歴史を分解して比較している内容になっている。


「お、興味ある?」

ポッドとカップを乗せた盆を持ってリザ先生が現れる。

「これはね。それぞれの種族の歴史で魔石が誕生した時を基準点にして比較した研究なの」

床に盆を置くと、アルドから本を取り上げ、パラパラと開いた。


「魔石の登場は、あまりにも影響が大きい出来事だったから、それぞれの生活のなかで何が一番影響を受けたかをまとめたんだよ。大きく変化してしまったものほど、相互理解には必要かな、と思って」

リザ先生は挿絵のあるページで手を止めて、そのページをアルドに見せる。


「例えば獣人(ケルシー)のウル族って木簡に空けた穴の数で記録を残していたんだよね。でも石版の登場で大きく変わった。とは言っても当時の影響は確実に残っていて、彼らの言葉、ひいては価値観では『数』が重要で『性質』ってあまり重要視されないんだ」

本を閉じ、床に置く。というより戻したつもりなのかもしれない。いいのだろうか、それで。


「例えば彼らにとって、出されるお茶の『味』ってあまり重要じゃない。それより『量』の方が大切。いっぱいに注がれている方がお客様を大切に扱っていることになるの」

そう言いながら、リザ先生は用意したお茶をカップに注いでいく。なみなみと。


「ヒュームの価値観からすると、これを『野蛮』と思うかもしれないけど、数学的知識。特に測量技術は同時代のヒュームより遥かに進んでた。数字に対する強さからだろうね。彼らはある意味、非常に効率的で、逆に私たちのことを『非合理な蛮族』と見る傾向もあったらしいよ。こうした背景を知っているのって、偏見を取り除く力になるかな、って。はい、どうぞ」

そう言って差し出したカップをアルドはこぼさないように恐る恐る受け取る。


「だから現代までそれらがどんな影響を与えているかも知りたかったから現代社会学のテルマル先生と一緒に色々回ったんだ」

「それで去年は先生、いなかったんですね」

うん、とリサ先生は頷いた。先生は昨年、授業を持っていなかった。彼女の著作を読んだことのあったアルドは残念に思ったことを覚えている。入学前には在籍していることを聞いていたのに、情報違いだったのだろうか、と肩を落としたのだ。


ちなみに同級生のヘンリックも落ち込んでいたが、彼が事前に仕入れた情報は『リサ先生という美人教師がいる』というもので、アルドと理由は似て非なるものだ。ある意味、彼の姿勢は終始一貫していて清々しい。


「それで研究が一区切りしたけど、種族ごとの伝統や価値観の違いを見ていくうちに、今度は古代の多種族組織に興味が出てきて……」

「え。先生、セオンの研究しているんですか?」

そう尋ねると、また先生は頷く。アルドは驚いたし、納得もした。

いつも通りの授業の補足だと思っていたが、予想以上にリサ先生にとっては熱意の高い話題だったようだ。以前はなかった執務室での延長講義も腑に落ちた。


「でも、昨年で研究費をかなり使ってしまいまして……」

ぽりぽり、と恥ずかしそうにリサ先生は頬をかく。

「歴史学って、どうしても実学より軽視されやすいから元々予算が少ないんだ。それで比較研究のフィールドワークもテルマル先生と共同でしたんだけど、あっちこっち行ったものだから……」

あははは、と空笑いをする。


「そういう意味でも、セオンはとても良い研究題材だよ。このリンドルド国の国境付近にあったから現地に行くのに費用があまりかからないし」

「先生は凄いですね」

素直な称賛がアルドの口から出る。


アルドが内務での仕事を目指すのは、故郷への恩返しという意味もあるが、どちらかというと消去法的部分が大きい。これだけ家を空けてしまえば鍛冶屋を継ぐのは弟になるだろう。それは全く構わないし、好きに勉強をさせてくれている両親には感謝している。


だが、それなら将来どうするか、というと軍に行きたいとは思わないし、出世競争の激しい官僚など絶対に嫌だ。学ぶことは好きだが、人生を捧げたいと思えるほどの研究対象も意欲ない。


結局、自分のなかで出た答えは故郷に帰って、領主の内政手伝いくらいができれば良いか、というものだった。給与は安定しているし、結果的に故郷への恩返しにもつながっていく。


そんなアルドからすれば、優遇されない分野だと分かっていながらも自分の好きなことを追い続けるリサ先生は尊敬の対象だ。


「そう? 私からしたら好きなことしてるだけだけど」

先生はそう言って笑う。


「でもアルド君も凄いと思うよ。セオンをよく知ってたね。規模も小さいし、あまりにも古い集団だし、ただ勉強してるだけだと辿り着かない知識だと思う」

「初等部の先生がセオンの研究者だったんで」


アルドがそう言うとリサ先生の動きが止まった。


「ひょっとして、ゼルマン助教授?」

かつての師の名前がリサ先生から出てきたことに少したじろぐ。先生の目が大きくなっていた。どこか様子がおかしい。


「じょ、助教授かは分からないけど、ゼルマンという名前の先生でした」

初等部でアルドの担当になり、進学の口添えをしてくれたゼルマン先生。


田舎の教師にしては非常に知識が豊富で、トープル研究都市に推薦状をかけるほどの伝手もあった。ただの教員ではないと思っていたけど、大学助教授だったのか。アルドは息遣いが荒いリサ先生から目を逸らし、一人で納得する。


「アルド君って、カルディオン地方の出身者だったっけ?」

「は、はい」

リサ先生がにじり寄ってくる。だが甘い雰囲気は一切ない。目が据わっている。怖い。


「夏季休暇は実家に帰る?」

「え。まぁ……」

なんだか雲行きが怪しい。


「ご実家は何を?」

「さ、三代続く鍛冶屋です」

リサ先生が、アルドの両肩を掴む。力は強くないのだが、少し爪が食い込んでいる。痛い。


「連れて行ってください!!」

「ま、待ってください!! 全然話が見えないです!!」

そう言ってアルドは身をよじるが、リサ先生は離さない。


「ゼルマン助教授の最新論文読んでないの!? セオン設立以前の異種族交流記録をみつけて、その記録を元に■△●☓▲っ☓ぃバ◯■……!!」

リサ先生は興奮しすぎて早口になり、もはや何を言っているか分からない。


「お、落ちついて! な、なんで先生を連れて行かないと行けないんですか!!」

先生は正気を失ったような様子で、もはや尋常じゃない。


「セオン紛争未発生の謎が解けるかもしれない!」

普段は穏やかで綺麗な声なのに、老婆がなるような勢いだ。


「アルド君……!!」

先生の細い指が更に腕に食い込む。目は見開いていて、笑顔なのが逆に怖い。息遣いが荒い。怖い。


「私と一緒に国を作りましょう!!」

少しこの先の行動が見えてきましたね。


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