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国、とは

「ごめんね。わざわざ」

昼休み、言われたように研究室に足を運ぶとリサ先生に謝られた。

「大丈夫ですよ。午後最初は空き枠ですし」

アルドは実技科目を最低限しか選択していないので、午後に空きが生まれることが多い。昼休みを潰されても問題ない。


意外に思われることが多いが、アルドは知識階級の出身ではない。実家は3代続く鍛冶屋だ。

ただ勉学はアルドの性に合っていたらしい。本来なら初等教育だけで終わるはずだったのだが、幸運なことに師に恵まれ、その人の伝手で中等、そしてトープル研究都市への特待生での進学を許された。


そのせいか同級生たちが軍や政治の世界を目指す手段として勉学に励むなかで、アルドは特に強い目標もなく、ただ知的好奇心を満たすために学んでいる。進路については、故郷に恩返しできれば、と内務を希望する程度だ。

ただ、好きこそ上達の母、というのだろうか。おかげでここに来てからも研究科目の成績は優等のままだ。

そしてそれを証明するように苦手な実技関連は及第をもらいつづけている。それもあって、アルドはできる限り実技科目の選択を少なくしていた。


逆に軍を目指すヘンリックは実技科目で大半を埋め、研究科目をできる限り削っている。ちなみに何故少ない枠のなかで実務と直結しない歴史学を選んでいるかは言うまでもない。


そんな彼だが、気になるなら一緒に来るか、と誘ったものの一瞬で断られた。ふざけてはいるが、結局、甘い展開など待っていないと確信しているのだろう。それはアルドに対してというより、リサ先生に対する信頼から来るもののはずだ。

良い友人を得たものだ、とアルドはため息をつきたくなる。


「どうかした?」

そんな様子を見てリサ先生は首をかしげた。昼休みだからか、黒縁の眼鏡をかけている。

「なんでもありません。それで、多分『奇跡の国・セオン』についてですよね」

アルドがそう言うと、リサ先生は眼鏡の奥の瞳を輝かせ強く頷く。


「そう! 補足したいと思ったけど時間が足りなくて。でも、そのままにしておけなくて!」

「そうだと思いました」

アルドは予想通りだったことにがっかりするのではなく、もはや賭け事が当たったような嬉しささえ覚えてしまう。


「じゃあ、最初に訊くけどアルド君は『国』の定義ってなんだと思う?」

まるで個人授業のようにリサ先生は質問をする。いや、実際そうなのだろう。


「領域と国民。それと『契約』ですか?」

アルドはリサ先生の反応を伺いながら答える。アルドの回答は予想通りだったようで嬉しそうに、うんうん、と頷く。


「まさに教科書的な回答だね。国際法的な観点では正しいけど、私が訊きたいのは『歴史学としての国の定義』だよ」


ふむ、とアルドは少し考える。きっとリサ先生が言っているのは『六盟制度』のことだ。この制度は古いが、長い歴史から見れば登場したのはつい最近の話である。


6種族が戦争回避のために生み出した制度。

種族内・種族間での戦争が発生した際、残りの種族はどちらにも(くみ)しない、もしくは残りの種族で両種族の敵となる制度。非常に細かい付記がされており、まだ発動されたことはない取り決めだ。今の平和に大きな貢献をしている制度である。


そして内戦と戦争を明確に区別するため、この六盟制度の条文の中には国家として認められた国の名前が羅列されている。逆に言うと、ここに名前のない組織は国として認められていないことになるのだ。

そして条文に名前を載せるには六盟制度に同意する『契約』が必要となる。


では、六盟制度の登場以前はどうだったのだろうか。

アルドは思考を深める。


恐らく『領域と国民』が国の定義に必要なのは変わらないはずだ。だが、それでは巨大な武力組織も国として定義されてしまう。それにアルドの知識のなかには独立自治を持った都市や宗教圏の名前も存在する。それらは国家として歴史学では扱われていなかったはずだ。


「国王?」

思いつきで口にしたが不正解のようだ。リサ先生は腕で☓印を作る。だが相変わらず笑顔のままアルドの答えを待っている。

「わかりません」

アルドは素直に答えた。途端にリサ先生は不満そうな表情になる。


「もっと考えて良いのに」

「昼休みが終わります」

アルドがそう言うと、うっ、と小さく唸った。予定の半分も終わらなかった授業を思い出したのかもしれない。


「本当は自分で考えて欲しいんだけどな。仕方ない。答えを言ってしまうと『最高法律』だよ」

「ああ」

アルドは納得した。自治権を持っている都市や宗教組織であっても、より大きな国のルールに従っている。逆に自分たちで最高法律を作り出している都市や宗教組織は、もはや都市国家や宗教国家と分類されている。確かにそうだ、とアドルは得心した。


「そしてアルド君は『奇跡の国・セオン』って言っていたけど、歴史学上ではセオンが国家なのか、ただの集団だったのか意見が別れているところなんだ」

「なるほど」

アルドはまた理解して頷いた。セオンについてではない。リサ先生の補足の細かさについてだ。ここまで来ると授業の補足というより、蘊蓄(うんちく)に近い。だがアルドはこうした話が嫌いではなかった。学ぶことは楽しいことだ。


「つまりセオンには法律がなかったんですか?」

「法律はあったけど実効性の証明がない、が正しいね」

リサ先生の顔が真剣になる。教師ではなく、研究者としての顔だろう。先生は腕を組んで思案をする。どうやって説明をするか考えているのだろう。


「例えばこのトープル研究都市で、都市長たちが独立を宣言したとしようか」

いきなり不穏な例を言い出した。


「小さいけど領域はあるし、人口もそこそこ。都市法や校則もあるから、ある意味法律もある。独立した研究都市は歴史学上で『国』として扱われるかな?」

アルドは思案する。きっと先ほどの『実効性の証明』と関わる例えの話のはずだ。それにわざわざ『都市長たちが』と主語を置いたのも気になる。

「独立に民意があれば」

そう答えると、ぐふ、とあまり女性らしからぬ笑い声をリサ先生があげた。


「アルド君は文脈を掴むのが上手いね。そうだね。民意がなければ、ただのクーデターで、国家の樹立とは言えないかもね。じゃあ都市住民が王政に反抗していて、住民の賛同があったとすれば?」


国になるのだろうか? 歴史学の試験で共和国家の誕生年が問われることがある。あれは革命が成功した年だっただろうか。法律の制定年だったろうか。

なるほど、試験のための勉強か。年号は出てくるのに理由が出てこない自分の記憶を振り返って、本質を理解せずただ暗記していただけだったと少し反省する。ヘンリックのことを笑えない。

だがリサ先生は悩んでいるアルドを見るのが楽しいのか、によによ、と笑っていた。少し悔しかったので、興味ないです、とか言って帰ったらどうなるだろう、とほんの少し思う。


「まだ駄目です。都市法では機能しないものが多すぎるので」

退席は我慢して、思いついたことを答えてみる。リサ先生は嬉しそうに、んむ~、と言って身を震わせた。何が楽しいのだろうか。もはやちょっと引いていると、それに気がついたリサ先生が慌てる。


「ご、ごめん! 学生が自分で必死に考える姿って、こう、なんというか、尊いなぁ、って! 君たち若くて頭は柔らかいのに、型に嵌まった知識ばっかり吸収していくからさぁ!」

「いや、先生も若いじゃないですか」

「え、そう?」

まんざらでもない様子でリサ先生が素直に照れる。あざとさがないのが実に卑怯だと思う。少しでも打算的な部分があったら男はともかく、女子生徒からは不評だろう。だがリサ先生は同性の生徒にも人気がある。


「ちがうちがう。そうじゃなくて! アルド君の回答だと難しいね。完璧に機能する法律なんて存在しないから国家がなくなっちゃう」

またリサ先生☓印を腕で作る。


「もう先に言っちゃうけど、都市長の勝手な独立でも、民意のある独立でも、国家としてみなすことはできるよ。独裁国家なんて歴史上珍しくないし……。

 問題は住民が支配者の定めた法律に従っているのか、ってこと。

 だからアルド君の言った『民意の有無』や『法律の機能性』だって国家の定義には間接的には影響してるよ。その方が国民が法に従いやすいからね」

そう言って今度は指で◯印を作る。


「セオンでも法律の存在は確認されている。でも他種族の集まりだからね。それぞれの種族がセオンの定めていた法律に、ちゃんと従っていたのかどうか。これを示すような証拠がまだ見つかってないんだ」

だからセオンは現状では国家と認めるか意見が別れてる。リサ先生は最初の結論をもう一度言った。


なるほど、とアルドは唸る。

だが法律に従っていることの証左とはなんだろうか。


例えばこの国でだって脱税などが問題になる。そういう意味では国民が法に従っていないとも言える。数の問題だろうか。だがそんな証明、歴史上のすべての国でできるはずがない。何をもってして法の支配を確認するのだろうか。


「お、気がついた?」

尋ねようとしてリサ先生を見ると、先生はまた少し興奮した様子でにまにましている。

「法律が機能していたことの証明はどうするんですか?」

そう尋ねると、くぅ~、と手を振りはじめた。アルドはもうツッコまない。


「そうなるよね! 一般的には『裁判』の実施なんかを参考にすることが多いよ。でもね……」

そう言ってリサ先生は一拍置く。

「セオンでは裁判が一度も実施されていない」

とても重大な出来事のように。先ほどの様子とは打って変わって、真剣な表情で静かにそう言った。


「記録が見つかっていない、とかじゃなくてですか?」

リサ先生はゆっくりと首を振る。

「記録はあるんだよ。でも、一度も裁判が行われていないって記録があるの」

リサ先生が綺麗な声で(そら)んじる。


『王は天上の楽園を地上に生み出した。

 四の種族はその偉業に頭をたれた。

 裁きの剣が振られることは一度としてなし。

 ただ穏やかな平穏だけがセオンを満たす。』


「流石におべんちゃらですよね?」

時の権力者におもねった歴史資料は数え切れない。それをいちいち真に受けていたらきりがないはずだ。だが先ほどと同じようにリサ先生は首を振った。


「いくつかの資料が同じようなことを示してる。例えば、裁定官が残した日記があるんだけど『暇で死にそう』だなんて愚痴が残されている」

なんか非常に低俗だ。だが、低俗だからこそ等身大で真実味があってしまう。


「そんなことあり得るんですか?」

それでもアルドは信じられない。


「わからない。でも実際、歴史上初めて他種族をまとめ上げた英雄がいたのは事実。当時の世界でそんな偉業を達成することでさえ信じられないのに、こんな作り話みたいな記録まで見つかってる」

リサ先生の声は静かだった。


「争いがないと、国家の証明にならない、なんて皮肉ですね」

アルドは思ったことをそのまま口にする。本来、平和は望まれるものであるはずなのに、セオンは平和であることで国家とみなされていない。というよりも国家であるかを疑われている。


「ある意味、人類の歴史は戦争の歴史だからね」

リサ先生の表情も珍しく暗くなる。

「だからこそ、セオンについての研究はとても意味のあるものなの。もっと沢山の人に興味持ってもらいたいんだけど、あやふやな説では教科書に載ることもないし、そうなると試験で扱われることもないから、結局、歴史好きの間の知識に留まざるをえないの」


奇跡の国、とアルドが答えた時の先生の嬉しそうな表情を思い出す。あれはただ生徒が回答したことの喜びだけではなかったのかもしれない。


「でも、争いがなかったことの証明、なんて無理じゃないですか?」

存在しないことの証明は、存在の証明よりも遥かに難しい。


「そうね。でも信憑性を高めることはできる。どうやってそんな平和を実現したのか。圧倒的な力か。王の威光か。もしくは他の何かか」

「他の何か、って例えば何ですか?」

「例えば裁判が行われていないのは事実だけど、調停は行われていた、とかね。多民族の集まりだから、民族内で解決していて、それでも無理なものだけ中央での裁定になっていた、とか。それで裁判の記録が存在しない。これでも凄いことではあるんだけど……」

「それすらも見つかってない?」

うん、とリサ先生は頷く。


もはや神話に登場する国のようだ。そんなこと本当に可能なのだろうか。


アルドが考えていると午後最初の予鈴が鳴った。思った以上に話しこんでいたようだ。退席しようとしたら、服の袖をリサ先生に掴まれた。


「午後の授業はないんだよね。ここは授業で使われるから、私の執務室に場所を移しましょうか」

「え」


予想外の事態だ。色っぽい展開など一切ないと断言できるが、ヘンリックの妄想が半分当たってしまった。断ろうかとも思ったがセオンの話は非常に興味深い。特に将来は内務を目指すアルドにとって平和的な多種族組織など興味の対象にしかならない。


もっと話を聞いてみたいと思ってしまった。


気がついたらアルドは、わかりました、と返事をしていた。

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