本当に怖い魅了魔法の話
公爵令嬢コルネリアには、皇太子の婚約者がいる。
コルネリアは将来皇妃になった時に備えて、視野を広げるために他国に留学していた。留学からようやく帰って来たコルネリアを待っていたのは、婚約者がピンク髪の娘にうつつを抜かす光景だった。ピンク髪の娘の名はユラフィ、つい最近男爵家の養女となった令嬢だ。
国内の貴族全てが集まる次の夜会で、皇太子が婚約破棄しようとしていると、コルネリアは偶然知ってしまった。大人しく婚約破棄されてたまるものか。コルネリアは信頼できる仲間を集めて、婚約破棄に立ち向かうことにした。
コルネリア自身に非は無く、皇太子とユラフィに非がある証拠を積み上げ、万が一の魅了魔法に備えて耐魔の魔道具を準備した。腕の立つ者や魔法のエキスパートを仲間に引き入れ、万全の準備の上でコルネリアは夜会に臨んだ。
そして今、コルネリアはその仲間のうちの一人に、まるで罪人のように床に組み敷かれている。加えて他の仲間には魔封じを施され、コルネリアは魔法を使えなくされた。またその他の仲間達は、コルネリアがユラフィに危害を加えようとしていたと口々に言う。
この場にコルネリアの味方は、誰一人としていなかった。
「ご苦労様です。ありがとうございます、みなさん」
ユラフィに笑顔で礼を言われ、コルネリアの仲間だった者達は、嬉しさのあまり顔を赤らめた。その様子を見ていた夜会の参加者から、ずるい、羨ましいの声が上がった。
「皆に、何を、したの……?」
何かがおかしい。何もかもがおかしい。抵抗するコルネリアは、気が狂いそうになっていた。
「ユラの虜になってもらっただけです」
ユラフィは何でもないことのように、笑顔でコルネリアに返す。
ここでコルネリアは理解してしまった。ユラフィの魅了魔法は、同じ空間にいるだけで発動する。それも耐魔の魔道具を貫通して。魔法耐性が生まれつき非常に高いコルネリアだけは、どうにか魅了を免れていると。
ユラフィに立ち向かおうとしたことが、間違いだったのではないか。コルネリアは頭を過る考えから、必死に目を背けていた。
「皆! しっかりして!」
コルネリアは床に押さえつけられた状態で、必死に声を上げた。
「何をしても無駄ですよ。一度魅了されると、死ぬまで魅了から抜け出せないのが、ユラの魅了魔法です。強力過ぎて、ユラもときどき困っちゃいます」
言葉を失ったコルネリアは、ユラフィに何も言い返せなかった。コルネリアの心が徐々に絶望と恐怖で満たされていく。
「折角時間がありますし、貴方にもっとユラのこと教えちゃいます!」
ユラフィが座るための椅子を、皇太子がどこからか運んできた。椅子に腰かけたユラフィが語る物語を、コルネリアはただ聞くことしかできなかった。
「ユラはとある王国の男爵家の娘として生まれました」
男爵家に生まれたユラフィは、何不自由ない生活を送っていた。国王が神託を受けるまでは。
『ユラフィの魅了魔法が原因で国が滅亡する』
神託は不可避の予言ではなく、未来を変えることは決して不可能ではない。
それまでユラフィは一度も魅了魔法を使ったことは無く、今後も使う気は無かった。にもかかわらず、国は罪のないユラフィを処刑することに決めた。家族、友人には見捨てられ、ユラフィは呆気なく捕まった。
ここでユラフィの中の何かが壊れた。
「さすがに死にたくはないですし、周りにいた全員を魅了して、処刑場から逃げ出しちゃいました。それでこれからどうしようと考えて。あ! そうだ! 予言の通りにユラが国を滅ぼしてあげよう! と思って、この帝国を乗っ取ることにしちゃいました。この国の軍事力はすっごいので、あんな国簡単に滅ぼせちゃいます」
皮肉なものだ。悲劇を避けようとした行いが、悲劇を手繰り寄せた。
今のユラフィの話を聞いていたのは、コルネリアだけではなかった。夜会の参加者達もユラフィの話に耳を傾けていた。ユラフィの話が終わり、可愛そうなユラフィと涙を流す者、今は自分たちがいると元気づける者、ユラフィの祖国なんて滅ぼしてしまえと熱狂する者、あまりに異様な光景だった。
「さて時間稼ぎはおしまいです。えへへ、婚約破棄の茶番だけでじゃ足りなくて、柄にもない自分語りまでしちゃいました」
今までが何のための時間稼ぎだったのか、コルネリアの背筋が凍り付いた。溢れそうな涙を必死に堪えて、コルネリアはユラフィに尋ねた。ユラフィは必ず質問に答えてくれると、妙な信頼感を抱きながら。
「今度は、皆に何を……する気……?」
「さっきから皆皆って……、まさかとは思うんですけど、自分は魅了魔法にかからないと思っちゃってるんですか? 自分が特別だとでも?」
コルネリアの脳は理解を拒絶していた。
「いくら魔法耐性が高くても、ユラは時間さえあればどうとでも魅了できちゃいます」
ユラフィに熱狂する異常な光景が、コルネリアの脳内でフラッシュバックした。あんなもの洗脳と何も変わらないと、堪えていたコルネリアの双眸から涙があふれていった。
コルネリアをあんなに愛しんでいた婚約者は、コルネリアのことなど眼中になかった。コルネリアの魔法耐性よりも、皇太子の魔法耐性の方が高かった。その皇太子が今はユラフィに跪いている。皇太子が知ってか知らずか、魅了魔法は時間をかけてじわりじわりと、今コルネリアがそうされているように。
自分が自分でなくなる恐怖で、コルネリアは押しつぶされそうだった。
「な、んで……、どう……して……」
コルネリアの涙は止まらない。どうすればこの事態を避けられたのか、コルネリアは分からなかった。何もかも対策は万全でこの場に来た。なのにこのざまだ。
ただユラフィの魅了魔法が最凶だったばかりに。
「この国の貴族で、貴方がユラの虜になってない最後の一人です。貴方を手に入れちゃえば、やっとこの国はまるっとユラの物です」
最後の一人、その言葉がさらにコルネリアを絶望させた。助けが無いと分かっていても、コルネリアの視線は会場内に救いを求めていた。コルネリアは遠巻きにこちらを見る人ごみの中に、両親の姿を見つけた。コルネリアを見るその瞳に宿っていたのは、純粋な敵意だけだった。今のコルネリアは会場内の敵意の全てを一身で受けている。
ユラフィはおもむろに椅子から立ち上がり、涙と色々なものでぼろぼろのコルネリアに歩み寄った。
「いや……、止めて……」
床に組み敷かれているコルネリアは、逃げ出したくても逃げられない。コルネリアの傍らにしゃがみこんだユラフィは、可愛らしく首を傾げた。
「どうして怖がるんですか?」
ユラフィはコルネリアの手を取り、無邪気に笑って見せた。
「怖がらなくて大丈夫です。ただこれからはユラの虜になって、ユラのために生きるだけですよ」
「いやあああああああああ」
コルネリアが上げた悲鳴は、何の意味もないものだった。