春の章 合縁奇縁 7
三世は本来見るはずのない夢を見たり、錯覚したりと体に少しずつ異変が生じてくる。
それは徐々に現在にいる自分の存在意味を知る一端の出来事でもある。
登場人物紹介
王生 大耶
王生家の一応長男。相反する宝と三世の仲介役。
職業は刑事。趣味は料理と買い物(食材)。
現在に現れた金剛夜叉明王。
日が明け事故翌日の朝。
時刻は朝7時を少し過ぎたところ。
仕事が休みのさくらは自宅マンションでいつもより遅い起床。
「全然寝てない気がする…」
昨日はみんなで一緒に飲み会のはずだったのに、
列車事故で事態は急転してしまった。
あれから何度も主査に電話をかけたけど、結局繋がることはなかった。
おもむろにスマホを見る。
“7:20 5月1日”
LINEも未だに既読になっていない。
「そうだ、ニュース。この時間は丁度道内ニュースをやってるはず」
慌ててリモコンを手に取りテレビをつける。
「昨日函館本線S駅とK駅の間で列車と動物との接触事故がありました。帰宅時間とも重なり乗客は列車内で折り重なるように倒れこみケガ人も多数出ました」
これだ!この事故だ。
さくらは暫しニュースに見入る。
「ケガ人のほとんどは軽傷で重傷者は10人。何れも命に別条はありません」
「今年も鹿や熊が街中に出没していますね。先日は熊が人間を背後から襲うというショッキングな出来事もありました」
「どのようにしたら人里に下りてくるのを防げるのか今一度対策を考えなければなりませんね」
この重傷者の中に主査がいるかもしれない。
だから連絡がつかないのかも。
列車事故のニュースは終わったが、さくらはリモコンを持ったまま何となくテレビを見ていた。
「きっと大丈夫」
画面は今日の星座占いのコーナーに切り替わっていた。
「今日の1位は牡羊座さんです。ラッキーカラーは白。ラッキーワードは“会いたい人に会える”です」
「私、1位だ」
電源を切る。
同時刻
札幌の郊外H地区。ここは札幌市でありながら緑豊かな自然と澄んだ空気が味わえる地域だ。
王生家はここに居を構えている。
広い敷地には紫陽花が一杯植栽されており自宅と道場らしき建物が建っている。
そして玄関先には推定樹齢は100年を超えるだろう大きな桜が咲いていた。
家の裏手には雪解け水で増水した川が豪快な音を立てて流れている。
春から夏へと季節が変われば中洲に生えているエゾノカワヤナギの葉が風になびく音とツクツクボウシの鳴き声が響き渡る。
川に沿ってサイクリングロードも整備されていて、アップダウンも少なく快適に散歩やランニングを楽しめる。
朝7時を過ぎても三世は自室のベッドでまだ寝ていた。
真っ赤な火の海…白波は桜のはなびらのようだった。その中で誰かが助けを求めている。
大声で何かを叫んでいるようだが、はっきりとはわからない。
次の瞬間、目の前で銃口を突き付けられる。
「うわっ!!」
三世が思わず起き上がる。
「夢…?」
首を横に振り否定する。
「おかしい。俺が夢を見るなんて有り得ない」
右手で額を押さえ現実か夢か…過去の記憶か冷静に考える。
そして恐々と右手の甲を見る。
「大丈夫だ」
傷一つない少しゴツゴツしている普通の右手。
「あれは一体…」
ゆっくりとベッドから下り窓辺に立ち一気にカーテンを開ける。
「桜…」
窓の向こうに見える満開の一本桜がこっちを向いて花を咲かせているように見えた。
「気のせい、気のせい」
三世は後ろめたさを感じたように一本桜から目を背け部屋を出る。
階段を下りているとダイニングルームから味噌汁のいい香りがしてきた。
「おはよう↓」
トーンが低い寝起きの悪い三世の朝の挨拶。
素足、スウェットのままで、ダイニングルームに入って来る。
宝はすでに仕事用のスーツに着替えてダイニングチェアに座りテレビを見ている。
三世が宝の向かい側の席に眠い目をこすりながら座る。
「朝からテンション超低いね」
宝がテレビから目線を逸らし横目で三世を見る。
「運転疲れたんだよ」
気だるそうに返事をする。
「運転って一時間ちょいじゃん」
「往復すると二時間だ」
「突っ込むね」
「それより高速代払え」
「ケチ」
一方キッチンではデニムに白シャツ、めくった袖から見える血管の浮き出た逞しい腕が魅力的な男性がお椀に味噌汁を入れている。
淡々とお盆に味噌汁とごはん、宝専用の箸を載せてダイニングに運ぶ。
「はいどうぞ」
宝の前に配膳する。
「大耶ありがと。帰国した時はやっぱりワカメとジャガイモの味噌汁だよね。さっすが気が利くね」
「いえいえ」
彼は王生大耶。一応、王生家の長男で家事担当。特に料理の腕は趣味の域を超えている。
そんな彼の職業は意外に刑事だったりする。
「朝風呂も入れたしやっぱり実家はいいね。しかも登別カルルスの白濁湯」
「……」
三世の沈黙。
「三世あんた大丈夫?」
「何が?」
「なんかボーっとしてるよ」
「まだ目が覚めてないだけ」
気難しい顔で返事をする。
「さっきは部屋から大きな声したし、夜驚症じゃないの?」
「何だそれ?」
「ジャガイモは今金男しゃくです。お土産の蒲鉾も温めておきましたよ。醤油は十勝の大豆で作った無添加白醤油でいいですよね?」
大耶が空気を読んだのか一度二人の会話を断つ。
「さすが大耶、やっぱ最っ高」
「何なん?」
二人の間に絡む気も無し。ムッとしてテレビを見る。
「夜の運転は疲れますからね」
大耶が気を遣う。
宝は我関せずという素振りでお味噌汁を飲む。
「うまっ♡」
久々の日本食にご満悦の様子だ。
「お味噌は北海道産大豆とお米でできた白粒味噌を使ってます」
「もしかして私の大好きな大根の柚子漬けもあったりする?」
「もちろん作ってありますよ。今持って来ます」
優しい笑みで返す。
「大耶、ついでに水持って来て」
「はいはい」
宝が箸を休め三世を見て呆れる。
「ちょっとぉ三世、水ぐらい自分で持っておいで。あーちょっと寝ぐせついてる!あんた素はいいんだからさ、ちゃんと鏡見てきちっとしなさいよ」
「朝からうっさいな…」
右手でわざとらしく寝ぐせをササっと整える。
三世の寝覚めがいつもより悪いな…何かあったのか?
大耶も三世が普段の様子と違うことに気がついていた。
ちょっと覗いてみるか。
大耶は三世が心に痞えているものを探り出そうと目力が入らないよう気を付けて意識の中にに潜り込む。
彼に備わる特殊能力のようなものだ。
桜、炎、慟哭、拳銃、銃口、暴発?…悪夢でも見たのか?
「有り得ない…」
二人のたわいもない喧嘩をよそに大耶は何知らぬ顔でキッチンに向かう。
テレビではニュースが流れていた。
「昨日函館本線S駅とK駅の間で列車と動物との接触事故がありました。帰宅時間とも重なり乗客は列車内で折り重なるように倒れこみケガ人も多数出ました」
「へぇ昨日列車事故あったんだ。動物と接触?また鹿か?」
三世がニュースに目を止める。
「はい、お水。昨日は警察も大変だったんですよ。何かこういう事故が年々多くなっている気がしますね」
三世にはお水。宝には大根の柚子漬けを出す。
「列車と鹿の衝突事故は年間4000件以上。毎日道内のどこかで事故が起きてる」
「そうなんですか。結構多いんですね」
三世がお目覚めの水を一気に飲む。
「あー目が覚めた。頭の中もさっぱりした」
「えっ!?」
大耶がその一言にドキッとする。
「鹿との交通事故だってかなり増えてきてるはず。まぁ推定だけど72万頭位いるらしいから」
「72万もいるんですか?さすが動物に詳しいだけありますね。生息数まで把握してるとは」
何となく意識の中を見たのがばれた気がして、大耶が話を合わせる。
「札幌市、鹿、旭川市の順」
「札幌市は約197万、鹿が72万、旭川市が約31万。なるほど」
どことなくぎこちない会話。
大耶が自分の朝食を用意しにキッチンに戻る。
「昨日列車止まっていたんだ。三世に迎えに来てもらって正解だったわ」
宝が柚子漬けを箸で一気に摘まむ。
「断る隙もなかった」
「そう?」
「そうです」
「でも、ちゃんとお礼言ったじゃん」
「聞いてねーよ」
「言った」
「言ってません」
「言った」
「言ってません」
二人ともお互い引かない頑固者。
「はいどうぞ」
大耶がタイミングを見計らったように小鉢に入った梅干とご飯を三世の前に置く。
「即効性はないかもしれないけど、梅干しに含まれるクエン酸には一応疲労回復効果はあるみたいだし」
「どーも」
「Y町の梅干し屋さんのです。赤紫蘇のいい香りがしますよ」
大耶は本当に気が利くし優しい。見た目はでかくて無表情だけど。
「大耶、大根の柚子漬け美味しいわ。めっちゃごはんに合う」
「お米も美味しいでしょ?僕のイチオシです」
「すんごく美味しい。どこのお米?」
「H川町です。大雪山の雪解け水が育んだお米です」
プラス食へのこだわりが半端ない。
王生家の食事は北海道産の食材がメインで使われている。
三世は梅干しをつまみながらテレビに流れている事故現場の映像を真剣に見ていた。
投光器の光の中に何か浮き上がった感じの青白い光が見える。
でも鹿の目ではないな。
それに息絶えていたら光るはずないし。
じゃあ一体?
「三世、今日は熊の追い払いなんだろ?時間大丈夫なのか?」
大耶も椅子を引き宝の前の席について朝食をとる。
「今日は9時集合なんでれんれん(全然)余裕。あっほうだ(あっそうだ)、クリスさんも連れてふぃくから(行くから)」
梅干しがすっぱかったのかご飯を掻き込んでもごもごした口調で喋る。
宝が三世の食べ方に一言。
「三世行儀悪い!!」
「ゴホッゴホッ」
「ちゃんと食べなちゃんと!」
「酸っぱかったんだよ。ご飯粒飛ぶから前見て食べろよ」
「うっさい」
前にいるのは僕なんですが…。
大耶は二人をよそ目に柚子漬けをつまみ黙々とご飯を食べる。
「……」
「ところで大耶は今日休みなの?」
「代休です。リフレッシュしたいんで久々にドライブでも行こうかと…」
「やっぱり。だって髪型がいつもと違うもん。何か久々に見たかも」
「あのですね、オフくらいは多少ラフでもいいでしょ」
思わず宝の方を見つめる。
ご飯粒は飛んでなさそうだ。
「カッコイイから許す。ひら天ウマっ」
確かに普段はワックスで整えているヘアスタイルも今日は完全オフモードでサラサラとしている。
「俺はやっぱ味噌南蛮。何で1枚しか買ってこないんだよ」
三世が不満気に言う。
「何を言う、王道はひら天でしょう」
「俺は味噌南蛮が好きなの。次から3枚な」
「じゃぁ高速代払わない」
「はぁ?」
頬張りながら張り合う宝と三世。
「やれやれ…二人とも行儀よく静かに食べてくれないかな…」
大耶は二人をよそ目に朝御飯を食べる。
「今日の1位は牡羊座さんです。ラッキーカラーは白。ラッキーワードは“会いたい人に会える”です」
テレビから今日の星座占い1位が発表された後、
緊急地震速報の報知音が鳴る。
「ちょっと地震?ねっ揺れた?」
宝がダイニングテーブル上のライトで揺れを確認する。
「ここは大丈夫みたいですよ」
大耶がテロップを確認する。
「S町、F町、Y町震度2か…」
スマホを見ても札幌市の震度情報は表示されていない。
「日本と違って海外での地震は怖いから。ついつい」
「ここ最近は本当に天災地変が多いですね…気にはなるのですが…」
今の地震もそうだが、過去に観測されてない地域での群発地震が多い気がする。
「隙あり!最後の漬物一枚もーらいっ」
「あ―!ちょっと三世!」
「あの…もう少し静かに食べてくれないかな…」
大耶がぼやく。
少しずつ物語が進んできました。
この事故で在原の身に何が起きたのか。
そしてラッキーワードの「会いたい人に会える」
さくらはまだ知らぬ会いたい人にどうやって会うことができるのか。
以降のエピソードで展開していきたいと思います。
今回は地元ネタ満載でした。
読んでいただきありがとうございました。
久々に蒲鉾食べたい。




