春の章 色即是空 9
三世はさくらのマンションに招かれていた。
そこには招かれざる先客が一匹、さくらの部屋を覗いていた。
登場人物紹介
王生 三世
降三世明王が現在で体を借りている人物。意識だけは降三世明王が支配している。
実は143年前、平安時代にも下界に姿を現している。
10年前、とある島で三世の意識を支配してからは王生家で生活している。職業は獣医師。
佐伯 千世
降三世明王が143年前に体を借りていた人物。
優れた能力を持つ陰陽師。
今もなお降三世明王の意識に影響を与えているようだ。
烏丸 さくら
MUSEUM OF CONTEMPORARY ART HOKKAIDO(通称M.C.H.)の学芸員。気分転換に訪れた山中で怪我をして三世に救われる。
それ以来三世に少しづつ惹かれていく。
在原 朝臣
さくらの職場の上司。さくらの大学の先輩でもある。実はさくらに想いを寄せている。
悲運なのか不運なのか運命なのか、彼の血筋には代々運ばされている「恨」があった。
その「恨」を糧に大自在天が意識を支配し始める。
藤原 后恵
さくらと同じM.C.H.の学芸員。以前は奈良国立博物館に勤務。剣とは面識がある。
霊感が強いらしい。
王生 愛
剣の今の奥さん。現在に目覚めた愛染明王。剣との間に煌徳を産んでいる。職業は舞台女優。仕事の関係で北海道にはいない(東京在住)が、クリスマスと年末年始は必ず家族と過ごしている。
王生 煌徳
剣と愛の実子。現在に目覚めた大威徳明王。現在酪農大学の学生で三世の跡を継ごうと獣医師を目指している。愛くるしい顔をしているが怒ると家族の中では一番怖い。
在五
在原業平
内倉は窓から二人を見送っていた。
「チェリーちゃん。今日は楽しかったわね」
──ピュイ。
彼女、何か勘違いしてたみたいね。
この絵の桜とお名前のさくらが同じだと思ったのかしら?
私は絵の作者のSakuraさんとお名前が一緒だという事を言いたかったんだけど…。
内倉は壁に飾ってある桜の絵に近寄り、目を凝らして右下を見る。
そこには深緑色の絵具で“Sakura.K”とサインが書かれてあった。
母から曾祖父の教え子さんに美術の先生がいたって聞いたことがあったわ。
多分その方の絵じゃないかしら。
色褪せてしまっているけど、きっと美しい桜色だったんでしょうね。
「そうだ。今日は桜茶でも飲もうかしら」
湯呑に塩漬けの花びらを一つ入れゆっくりと湯を注ぐ。
「あら…」
湯吞の中の花びらが開き一輪挿しのように立つ。
──ピュイ。
「次の信号右です」
三世の車がウィンカーを上げて右折専用レーンに入る。
「右折したら直ぐ左に駐車場の入口があります」
駐車場はマンションの裏か。
一本手前で曲がったのはそういうことだったんだ。
「右奥の506番に駐めてください。まだ私の車が修理から戻ってきてないんで空いてますから」
506…5階か。
「まだできてないんだ」
烏の式神が落ちて天井凹んだヤツね。諸悪の根源は在原なんだから、上司面しないで責任とれよ。
「結構日にちかかるみたいで」
三世は506番に車を慎重に駐める。
「結構ギリだな」
全長約4.70m、全幅約1.70mの車両には少し狭いかも。
二人は車を降りマンションの正面までやって来る。
外扉が自動で開く。
──二重扉にオートロックなら安心だな。
さくらがオートロックにカードをかざして内扉を解錠する。
何で家は顔認証なんだ?多分、宝か愛さんの提案だな。二人とも美意識高いからな…。
二人は降りてきたエレベーターに乗りあっという間に5階に到着。
三世は緊張しながらさくらの後に付いていく。
「ここです。どうぞ」
さくらが506号室のドアを開け三世を先に通す。
「お邪魔します」
「1LDKで狭いですけど、そこにかけてください」
手前のリビングにはナチュラルな木目のセンターテーブルに二人掛け用のソファーベッド。
ウチのリビングが広すぎるんだよ。確か30畳あったっけ。クリスさんいつも運動してるし…。
「三世さん何飲みますか?」
「あー」
さくらは紅茶派だから多分コーヒーは無いだろう。ま、来客用のお茶くらいは…。
「お茶で」
「お茶ですね」
確かティーパックがワゴンの中にあったような…。
冷蔵庫と壁の間にある隙間収納ワゴンの中を探る。
ふりかけ、ごま塩、味付け海苔、梅昆布茶、スティックのミルクティー…これは大好きなオレンジペコだった。
あった…けど先月で賞味期限切れてる…。
やっぱズボラなところ母に似たのかな…。
思わず項垂れる。
「俺は気にしないぞ」
「えっ?あっ…すいません」
何か心読まれるの慣れてきた。
やばっ!また俺余計な事言った。
言葉に出さずお互い心の中で自覚する。
さくらは電気ケトルに水を入れ、お湯を沸かす。
三世はさくらの姿をずっと見ていた。
やっぱり桜とは全然違う。あの時はいつも茶葉で飲んでたし。
俺、何で懐古してるんだ?桜を好きだったのは千世だろ?そうだよ。何重ねてるんだよ。おかしいだろ?
正常な意識に戻れ!
咄嗟に右手を抓るが赤くなっただけで星の痣は出ていなかった。
「………」
さくらが冷蔵庫を開け自分のミルクティーとチーズケーキを出す。
三世は目に入った光景に愕然とする。
マジ?ペットボトルとヨーグルト以外冷蔵庫の中に何も無いじゃん。せめて卵位はあってもよくないか?
「さくら、ちゃんとご飯食べてるのか?」
「朝はヨーグルトで昼はコンビニでおにぎりとか買って食べてます。夜はレンチンが多いかも」
桜は当時でもオムライスやビーフシチューを作ってくれたぞ。
「車ないし、ケガして重い物持てないし、仕事忙しいわで…」
「連絡くれれば買い出しくらいつきあったのに」
「さすがにそこまでお世話になるわけにはいかないです」
自分で怪我して、病院まで連れて行ってもらって、ボランティアも引き受けてくれて、お世話になってばかり。
それに…そこまで親しい間柄じゃないと思うし…。
だって私、三世さんのこと獣医師だってこと位しか知らない…。
「来週の水曜日には車できるって連絡あったんでそれまでは何とかしのぎます」
「しのぐ…」
「お茶です。どうぞ」
コーヒーカップに煎茶…。
やっぱ桜には似ても似つかない。お茶はちゃんと急須で適温で入れてくれたし。電気ケトルだと沸点に達してるよな…。
三世、お茶を見つめ沈黙。
──少し濁ってる?
「す、すいません。お客さんなんて来ないから湯呑が無くて」
「気にしないよ。ケーキ食べようか」
「お皿とフォーク持ってきます」
さくらがキッチンからケーキ用の小皿とフォークを持ってくる。
「あの…これしかなくて…」
紙の袋に入ったフォークが小皿の上に置かれる。
コンビニのパスタとかに付いてくるフォークだよな…これ。
桜は菓子を食べる時にはちゃんと黒文字を用意してくれたぞ…。
気にしない、気にしない、気にしない。
さくらは三世の隣ではなく下座にクッションを置いて座る。
「いただきます」
三世が一口大のチーズケーキをフォークに刺して頂く。
「美味い」
煌徳に感服だな。パティシエの方が向いているんじゃないか?
さくらも三世より少し小さめに切ったチーズケーキを頂く。
「美味しいですね」
二人は目が合っても照れることなく静かに笑いだす。
そして笑い声が次第に大きくなる。
いつの間にかお互いの気持ちが打ち解けていた。
「三世さん聞いてもいいですか?」
「何?」
不思議…。初対面の時は一つ質問するにも怖くて言葉選びに慎重になっていたのに、今は全然平気。
「年きいてもいいですか?私はさっき26って言いましたけど」
「28くらい」
やっぱ年上か。ん?くらい?実際はもっと年上なのかな?30代?いや隠すようなことでもないよね?
「身長は?結構高いですよね」
「186.2」
気にし過ぎか。身長は少数第一位まで答えてるし。
三世はチーズケーキにフォークを刺したまま考えていた。
──現在の時の流れがよくわかんないだよな…。
確か三世の意識を支配したのが28歳。在原の言う通リ俺の姿は10年前と変わっていない。
このままだと永遠の28歳だ…。
身長は病院で毎回測ってるから間違いないはずだ。
「ん?」
三世がふとリビングの窓からベランダを見る。
何だろう。この違和感。
存在しないものが視界にあるような気がする。
それに…どこからか視線を感じる。
「三世さんどうかしました?」
「前にも聞いたけど、誰かに見られてるような気がするとかない?」
「ないですよ。だってここ5階ですよ」
いや、この窓の外から感じる。在原がどこかで見てる。
蝶?ルリシジミ?こんなに小さい蝶が5階に?ベランダに花でもあるのか?
ベランダの手すりには小さな青い蝶が一匹止まっていた。
ん?この蝶はルリシジミとは色が違うな。濃い青に外縁の黒い部分が広い。以前どこかで見たことがあるような…。
ルリシジミ…蝶…小笠原…オガサワラシジミ?10年前ならまだ生息していたかもしれないが、現在生きた個体は確認されていないはず。
しかもここは北海道だぞ。
待てよ。翅の模様が…鱗粉…黒い縁…目がある?前翅に目の模様がある。眼状紋?
その眼で見てたのか!
三世が在原の言葉をはっと思い出す。
「もし、さくらさんの相手があなたではなく私だったら?桜の相手が九条ではなく佐伯千世だったら?」
──意味わかんねぇ。千世、何か知っているなら出てきて教えろよ。
三世はフォークの袋を小さく丸めて手の中に隠し持つ。突然立ち上がり、リビングの掃き出し窓を開けベランダに出る。
「どうしたんですか?いきなりベランダに出て」
「植物でもあるのかと思って」
「私、水やりとか苦手で…」
誰かとそっくりだな…。
三世はさくらに見られぬよう背を向け、手の中にあるフォークの袋で作った式神を空に放つ。
放たれた瞬間、袋がスズメの姿になる。
指で蝶をさしながら、唇の動きだけで伝える。
『ここにご馳走があるぞ』
スズメが手摺りに降り立ちぴょんぴょんとホッピング。一瞬で蝶を捕食する。
「お前も頑張れよ。絶滅危惧種相当だからな」
──チュンチュン。
「ごちそうさまでした」
スズメが微塵になり消滅する。
三世が何事もなかったかのようにリビングに戻って来る。
さくらはチーズケーキを食べていて三世の行動を見ていなかったようだった。
「さくら、床じゃなくてここ。俺の隣に座れよ」
「い、いやその。狭いですし」
「じゃあ俺がそっちに行く」
「こ、こっちも狭いんで私が隣にいきます」
緊張しながら三世の隣にちょこんと座る。
な、何もされないよね?私ったら自分で家に招いて何変なこと考えてるんだろう…。
あっ、心読まれる前にこっちから話を持ち出そう。
「そ、そうだ三世さん。その…来週の水曜日って診察の予定とか入ってます?」
「毎週水曜日は西町のコミュニティーセンターの駐車場を借りて診察してる」
「何時からですか?」
「10時から15時まで」
渡りに船とはこのこと。
「すいません!ついでに車の修理工場まで乗せてってください!」
「別にいいけど。何処?」
「西町の南です」
「今度忘れずに食事おごれよ。前回の分と今回の分」
「ありがとうございます」
やった!次の次まで会う約束ができた。
こういうのって親しい関係になるのかな?
自分で否定しておきながら、心のどこかに会いたい気持ちがあるのかな…。
さくらが残りのチーズケーキを口に入れようとした時だった。
「頼ってくれてありがとう」
右耳の黒いピアスに三世の唇が触れる。
「えっ……」
さくらは刺したケーキを口に持っていくことができなかった。
「お茶、おかわり」
「は、はい」
何かされちゃった…。
M.C.H.事務室
「主査大丈夫ですか?」
藤原が背後から心配そうな顔をして在原に声をかける。
「えっ?」
「さっきからずっと頭を抱えてますけど」
「あぁ大丈夫ですよ」
在原は顔を隠すように席を立つ。
「主査?」
様子が変。いつもなら気を遣って笑顔で答えてくれるのに…。
「怪しい…」
藤原は目についた机上の書類に染みがあることに気が付く。
「血?こっちは涙?」
指で触れて確かめる。
在原は事務室を出て人気のない廊下で壁を一発叩く。
「喰われた…」
降三世明王、何もかもお前の思う通りになると思うなよ。“恨”は私の生きる糧だ。それを血肉化し私がこの世の支配者となる。
それは在原朝臣ではなく降三世明王に復讐を目論む大自在天の意識だった。
──痛い!
右目から赤い滴が落ちる。そして左目から透明な滴が落ちる。
それは涙。
──それは私もです。あなたの思い通リにはさせない。私の意識はまだ存在してます。あなたはこの世界に存在すべきじゃない。
「馬鹿な…」
──やられてもやり返さない。在五とあなた呼んでいる人物も復讐など望んでいません。
「黙れ!」
それは大自在天ではなく意識を乗っ取られたと思われた在原朝臣本人の意識だった。
「……」
各務は廊下を曲がった先で息をひそめて在原の様子を窺っていた。
三世はさくらのマンションを出て車に戻っていた。
モニターシステムで全方位確認。
「切り返すか」
ふとルームミラーで自分の顔を見る。
鏡は嫌いだ。いつも自分が誰だが確認しているようで…。
──琥珀色…。今は三世の顔だ。
頭の中で整理がつかない。
どうしてあんな行動をするんだ?
愛するとういう気持ちが俺の中にあるはずがない。
絶対千世だ。千世の意識のせいだ。
だから自分は人間の行動をとる…。
さくらはソファーベッドを倒し仰向けになり放心状態だった。
「いきなりびっくりした…」
右手をそっと心臓に当てる。
まだドキドキしてる。
「三世さん…」
体の向きを変えようと膝を立てた瞬間、膝小僧をテーブルにぶつける。
「痛っ」
──目の前の現実。
お皿、コーヒーカップ、飲みかけのミルクティー、空き箱…。
「サッサと後片付けするか」
お皿とコーヒーカップを重ね、ケーキの空き箱にフォークをまとめる。
「あれ?フォークの袋が一枚無い。ゴミ箱に捨てたっけ?」
オレンジペコ……紅茶の種類
黒文字……菓子用の楊枝
眼状紋……蝶とか蛾の翅にある眼のような模様。
読んでいただきありがとうございます。
Sakura.Kのサインの絵が何故内倉家に?
そのうち書ければと思っています…。
昔、バイト先で蛾の群が店内に入ってきて恐怖を覚えました。(当時はLEDじゃなく蛍光管)
大きさからして恐らくクスサン。眼状紋があったので…。




