春の章 磑風春雨 14
さくらは足の痛みを我慢して職場に向かう。
そこに在原の姿はなかった。やはり、列車事故で入院していたのだ。
宝と炎は看護師が亡くなった件でN署の刑事、大耶の聞き取り調査を受けていた。
登場人物紹介
烏丸 さくら
MUSEUM OF CONTEMPORARY ART HOKKAIDO(通称M.C.H.)の学芸員。気分転換に訪れた山中で怪我をして三世に救われる。
在原 朝臣
さくらの職場の上司。さくらの大学の先輩でもある。実はさくらに想いを寄せている。
列車事故で天野病院に入院している。
王生 宝
剣と前妻の子供。現在に目覚めた軍荼利明王。143年前は男性として現れるが、現在は女性として現れる。脳神経外科医(脳神経内科兼務)。
入院している在原の担当医。
御手洗 炎
現在に目覚めた烏枢沙摩明王。143年前に現れた時も同じ消防の仕事に就いていた。見た目はガタイもよく少し怖いが家庭では家事をこなす良き夫。
王生 大耶
愛の連れ子。現在に目覚めた金剛夜叉明王。職業は刑事。職業柄常に沈着冷静。無表情。趣味は料理。
藤原 后恵
さくらと同じM.C.H.の学芸員。以前は奈良国立博物館に勤務。剣とは面識がある。
昨日の慌ただしい一日から一夜明けた。
さくらは足のケガを心配しつつも今日から休まず出勤。
マンションの玄関から一歩出ると、路肩には風で散った桜の花びらがいっぱい落ちていた。
「夜中風強かったんだ。実家から帰って来て直ぐに寝落ちしたから全然気が付かなかった」
タクシーを拾おうと挙げた右手に桜の花びらがひらりと落ちる。
「あっ」
幸運にもタクシーはすんなりと止まってくれた。
今日はツイてるかも。昨日は呼ばないと来てもらえなったからな…。
ドアが開くと最初に断りを入れた。
「すいません、近いんですけどよろしいでしょうか」
普段は徒歩通勤のさくらだが、足の痛みが引かないので諦めてタクシーを利用することにした。
足を庇いながら乗車する様子をルームミラーで確認したのだろう。
乗務員さんが心配して声をかけてきた。
「足をケガしてるんですか?ゆっくりで構いませんよ」
「ありがとうございます」
親切な人でよかった。本当に今日はツイてる。
「M.C.H.までお願いします。あっ正面ではなく北側の入口まで」
さくらは右手に花びらをつけたまま乗車する。
「あっ、桜…桜色のお守り」
カバンを開けて中を確認する。
「ちゃんと入ってた」
さくらは乗車時間3分ほどの車内で色々と考え事をしていた。
在原主査の事が心配で、昨日 藤原先輩に電話してみた。
やはり主査は例の列車事故で病院に運ばれたいた。緊急連絡先がM.C.H.だったらしく転送電話で病院から藤原先輩にかかってきたらしい。
在原主査って家族いないのかな?
確か出身は奈良で、育ちは東京って言ってたよね?
まだ足が痛くて無理できないのはわかっているけど、特別展が迫っているし主査の分も頑張らないと。
あっ!その前に内覧会があったの忘れてた…。専門家や著名人、なんか偉い人も来るって藤原先輩が言ってた。
──どうしよう。凄いプレッシャー。
自信がないから主査に音声ガイダンスのチエックしてもらおうと思っていたのに…。
きっと、しばらくお休みだよね。
「着きましたよ。一人で降りれますか?」
「あっはい、大丈夫です。おいくらですか?」
「830円になります」
初乗りプラス加算運賃160円。本当にごめんなさい。
「すいません。これで」
スマホで決済を済ませ、足を庇うように慎重に降車する。
「お気をつけて、ご乗車ありがとうございました」
乗務員さんの一言、「お気をつけて」。
最後まで感じのいい運転手さんだったな。今日は良い一日になりそうな予感。
「ありがとうございました」
さくらは軽く礼をしてタクシーを見送る.
「よし!」
思わずガッツポーズをして自分に気合を入れて出社する。
その時、桜の花びらが手から離れた。
館内では既に大勢の職員が特別展に向けた準備をしていた。
「おはようございます!」
「さくらさん、おはよう」
切羽詰まっているから皆仕事始めてる。もう少し早く来た方が良かったかな。
「ちょっと、さくらさんどうしたの?その足」
やっぱり一番先に気が付いたのは藤原先輩だった。
ローファーを履いているのにぎこちない歩き方だし、テーピングが見えていたので直ぐに気付かれてしまったみたいだ。
「普通に歩いてたらつまづいてしまって…。すいません大事な時に」
事の発端から話し始めると長くなりそうだから適当な理由でいいよね?
「大丈夫なの?」
「捻挫なので大したことないです」
「無理しないでね」
「はい。すいません」
午前10時の時報が鳴ると職員全員がホールに集まった。
早々に藤原が切り出す。
「じゃあ皆揃ったので朝のミーティング始めよっか。皆もニュースで知っていると思うけど主査は昨日の列車事故で入院中です」
ホールが一瞬ざわつく。
「とりあえず今日は私が指揮を取ろうと思うんだけど、いいかな?」
「以前 奈良国立博物館にいた藤原さんなら任せていいんじゃない?専門分野でしょ」
「あそこなら一年中仏像展や宝物展開催しているし、藤原さんが適任だと思います」
みんな藤原が奈良国立博物館にいた事は知っているので異論はなかった。
「じゃあ、今日一日よろしくお願いします!」
「お願いします!」
「先ずは今日のスケジュール確認。主査がいないので調整しています。各自確認お願いします」
スケジュール確認から始まり、各部門からの進捗状況の報告、連絡事項、ミーティングはスムーズに進行した。
しかし、さくらだけは胸中穏やかではなかった。
ケガのせいで歩くのもおぼつかないから物は持てないし、できる仕事が限られてスタッフ皆に迷惑かけてしまいそうだし、不安要素がいっぱいすぎる。
予感は的中しなかった…。
私の今日のスケジュールと担当は何だろう?怖くて見れないよ。
とりあえず痛み止め飲みながら何とか今日一日頑張ろう。
──事故か自殺か。
病院の外ではまだ警察の現場検証が続いていた。
N署の管轄区域ともあって大耶も臨場していた。
宝と炎は宝の診察室にいた。
「彼女の身に一体何が起きたんだろう」
宝は自分の椅子に座り、悩まし気に肘を机につきながら溜息まじりに漏らす。
すかさず炎が返す。
「感じませんか?」
「何かは感じるんだけど…私の力じゃ無理」
「あれは女性の死霊です」
「はぁ?」
「北東の方角から出てくるのを感じました」
「北東…角の部屋…306号室」
陽炎のようなゆらゆらした空気、僅かな霊力、冷たい空気…。
その正体が女性の死霊!?
「先程亡くなられた彼女に触った時、私の手にキラキラした粉が付きました。その粉からは微かにレモンのような香りがしたんです」
「もったいぶらずに早く教えて」
宝が指で机を叩き始める。
炎は内心怖気づきながらも顔色変えず伝える言葉を選んでいた。
「鱗粉だと思います」
「鱗粉?」
「蛾や蝶の羽根についている粉です。発香鱗と呼ばれる雄だけにある鱗粉は,雌を虜にする特殊なフェロモンを放ちます。それはレモンのような香りがするんですよ」
宝が思わず吹き出す。
だから言葉を選んでいたんですよ…。眉をしかめ渋い顔をする。
「特に毒蛾の鱗粉は触ると皮膚が腫れて痛みを伴います。毛虫皮膚炎もそうですが遠足の時季になると多いんですよ」
「特殊なフェロモンね…。そういえば彼女何かに支配されているようだった。周りの言葉が全く聞こえてない感じがしたもの」
さり気に除菌シートで机を拭きながら会話を続ける。
「彼女の皮膚は腫れてなかったので恐らく蝶の鱗粉…。誰かの邪術でしょう」
炎が出した答えだ。
「誰かって?」
「私もそこまでは…」
宝は306号室の在原が術を使ったと直感した。
「で、傷病者の件って何?」
机が拭き終わり宝が最初の話題に戻す。
「列車事故があっただろ?その列車内から運び出された男性の瞳孔観察をした時、珍しいものを見たんだ」
「珍しい物?」
「水晶の眼、玉眼です。それが男性の右目に無理やりはめ込んだような感じで何というか…」
宝は目を丸くした。
「カラーコンタクトと間違えてないよね」
「あの独特の輝きは水晶です。しかも、その男性の意識はなかったが、妙な気配を感じた」
「妙な気配?」
「現世の空気に馴染まない、違和感。過去の人間の毒念を奥底に秘めている感じだった」
「毒念って…そんなに邪悪な物を感じたの?」
何か紫色のどよどよしたものを想像してしまう。
「しかも過去にどこかで会っているような気がしてな」
「ねっ、どんな人だったか覚えてる?」
宝が執拗に聞いてくる。
「身長は私より少し低くて細身、年は30前後だと思います。スーツを着ていたので仕事帰りかと」
「男性で180センチあるかないか、30前後…。トリアージの識別色覚えてる?」
「黄色です」
思い当たる人物はただ一人だった。
──在原 朝臣。
「炎、時間大丈夫?少し長くなりそうな話なんだけど」
「えぇ。構いませんよ」
「実は昨日父さんから重大な話があって…」
宝は剣から聞いた大自在天像に関する話の一部始終を炎に話した。
M.C.H.で開催される特別展で展示される大自在天像は、5年前に転倒し修復をしており、
その時に修理に出された玉眼が保管場所から無くなり未だ見つかっていない事。
剣が堅国寺で感受した光景の中で見た大自在天と約諾したであろう人物が陰陽術を使い式神を操れるのではないかという事。
そして大自在天を現在に目覚めさせた可能性がある事。
それが306号室の在原朝臣という人物に当てはまるという事。
宝が隠さず話している相手、レスキュー隊隊長の御手洗 炎。彼は143年前同様、烏枢沙摩明王が現在に目覚めた姿である。
「なるほど、またしても魔縁が現在に現れたと…」
炎の目が職務中よりも鋭さを増す。
「確証はないけど、彼が関係しているのは間違いないと思う」
「宝さんは右眼を見ましたか?」
「眼科の担当だから見てないのよね」
「今から見ることは可能ですか?」
「無理。彼、今日退院する」
「黄色のトリアージを付けられた負傷者がすぐ退院できるわけないだろう!」
「だよね。絶対変だよね」
炎が途方に暮れる。
「王生先生いますか?」
看護師の南海がドアを叩く。
「どうぞ」
手を除菌してドアを開ける。
南海の後ろには、もう一人誰か立っていた。
「失礼します。あっ御手洗隊長もいたんですね」
「こんにちは」
「実は刑事さんをお連れしまして…」
「失礼します」
N署の大耶が話を聞きに来たのだ。
「一応皆さんから話を聞いているので」
大耶がペンと手帳をポケットから取り出す。
「宝、彼女のことで何か気が付いたことはあるか?」
「ちょっと様子はおかしかったわよね」
ざっくり過ぎる返答。
「そういえば死んだ魚の目をしてた」
南海が補足。
「レモンの香りがしました」
更に炎が補足。
三人の話に整合性がないような気がするのだが…。
「もっと真面目に、具体的にお願いします」
「南海、任せた。私あんまり彼女のこと知らないんだよね」
「私は先週、彼女と菊田先生が言い争っていたのを見かけたって聞きました」
「それは噂ですか?」
「真実です」
真っ向から否定する。
「私もですけど看護師はみんな菊田先生と毎日言い争ってます。もう日課のようなもんですよぉ」
大耶がメモを取る。
「先週の事なんですけど、菊田先生、虫垂炎を見過ごしたんですよ!あの後親族に謝罪したのは彼女を含め私たち看護師たちなんですよ。おかしくないですか?」
この病院、大丈夫なんだろうか…。医療過誤じゃないのか?宝が心配だ…。
南海のカミングアウトに大耶は少し冷や冷やしていた。
「あと、彼女が羽黒先生と不倫してたとか」
「えっ!?羽黒先生奥さんいたの?」
宝が思わず大声を上げる。
「王生先生知らなかったんですか?確か小学生のお子さんもいますよ」
「うん。ディナーに誘われたことあるからさ」
大耶のペンがピタリと止まった。
次の瞬間、ペンを真っ二つに折る。
「大耶、どうした?」
炎が突然の事でびっくりする。
「だってあの二人今日から揃ってゴールデンウイークのお休みだったんですよ。羽黒先生の机の上に旅行雑誌があって、何箇所か頁を折ったところあったんで気になってたんですよね」
「南海さん。その羽黒という人物について詳しく教えてもらえますか?」
「いいですよ。あれぇ?大耶ぁ何かいつもより顔が怖いんだけど」
「仕事中ですから」
南海がジロジロ嗅ぎまわる。
南海も王生家の秘密を知っているようだ。
「宝、ペン貸してくれ」
「はい」
白衣の胸ポケットからペンを取り、大耶に渡す。
炎は一歩づつ後ずさり、静かにドアを開ける。
「私は仕事があるので失礼します」
慌てるように診察室を出て行った。
「あれって嫉妬かな?」
目の前の廊下の窓から空を見る。
気のせいか午前中なのに薄暗くなってきた。
「雷落ちる前に職場に戻ろう」
読んでいただきありがとうございます。
日本ハムのCSが気になり中々書けません…。
200行を超えると集中力も限界です。
久々にさくらが登場した…。




