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春の章 磑風春雨 13

 急遽、在原の退院が決まった。

宝は納得いかない様子。

退院当日、天野病院で奇怪な事件が起きる。



登場人物紹介


王生 たから

剣と前妻の子供。現在に目覚めた軍荼利明王。143年前は男性として現れるが、現在は女性として現れる。職場は脳神経外科医(脳神経内科兼務)。

名医で海外に派遣されることも多い。性格はかなり奔放。お酒好き。三世とは馬が合わない。


倉橋 清隆きよたか

現在に目覚めた制多迦童子。陰陽師、安倍晴明の血筋。それ故に式神を操れる。

宝と同じ病院に小児科医として勤務している。


野原 南海みなみ

宝が勤める病院で一番信頼できる看護師。



在原ありはら 朝臣ともおみ

さくらの職場(M.C.H.)の上司。さくらの大学の先輩でもある。実はさくらに想いを寄せている。

列車事故で宝の勤務する病院に搬送され、入院している。


御手洗みたらい ほのお 

現在に目覚めた烏枢沙摩明王。143年前に現れた時も同じ消防の仕事に就いていた。見た目はガタイもよく少し怖いが家庭では家事をこなす良き夫。

妻は天野病院売店勤務の明子。




天野病院3階東病棟

看護師による夜のラウンド(見回り)が行われていた。

「夜勤が終われば待ちに待った三連休。グルメ三昧、買い物三昧、そして一泊二日の温泉旅行。朝まであと少し。頑張ろう」

看護師はゴールデンウイークの休みが待ち遠しく心落ち着かない様子。

気付かないうちに早歩きになり、思わず足音を立ててしまう。

「いけない、いけない」

空室の305号室を通り過ぎ、隣の306号室に入る。

病室入口のネームプレートに記された名前は一人。

【在原 朝臣】

ペンライトを照らし静かにカーテンを開けて患者さんの状態と点滴を確認をする。

すると突然ライトの前にキラキラした細かい粉のようなものが舞い始めた。

「埃?」

次の瞬間、寝ていたはずの在原がいきなり左目を見開き、鋭い眼光で看護師に暗示をかける。

「私の願いを聞いていただけますか?」

在原は一生忘れられないような怖い目で暫し看護師と向き合う。

「…は、はい」

自分の意志に反して口角が痙攣し、震える声で答える。

「あなたは私の言っている事を理解してくれるのですね。もっと顔を近づけてもらっていいですか?」

看護師は言われるがままに在原に顔をピタリと寄せる。

触角、四枚の羽。蝶の様にも見える光った物体が彼女の頭にひらりと止まる。

「私の願いは……」

在原は耳元で直接願いを伝える。

「それでは、おやすみなさい。──永遠に」

在原は不敵な笑みを浮かべ最後に不気味な一言を告げると、光った物体も消滅した。

冷たい空気が在原の周りに渦巻いた後、揺らめくカーテンの隙間から何かが病室の外へ出て行った。

306号室を出た看護師は何かにとりつかれたように無表情で足音を立てず幽霊のように廊下を歩いていた。

明かりの点いたナースステーションに戻り、無言で看護記録をパソコンに打ち込み始める。


翌朝

3階東病棟ナースステーションでは日勤への申し送りの最中だった。

「306号室の在原さんですが、眼科の羽黒先生のご指示で本日退院予定です。薬剤部、医事課には連絡済です」

夜勤の疲れからか看護師の声は小さく、平坦な口調でさっさと報告を済ませる。

南海が真っ先に異変を感じ、看護師を注意深く見る。

その目は照明の光さえも映し出せれていない死んだ魚のような目をしていた。

唇も時折痙攣しているようだった。

「羽黒先生の眼科でオーダー出したのはいいけど、随分急ね。王生先生は知っているのかしら」

南海は不審に思い問いただす。

「…」

南海が看護師を見ても目を合わせてくれない。

「どこか具合が悪いの?大丈夫?」

看護師は頷いて返事をするだけだった。

南海は長年の看護師経験から視点がどこにあっているかも分からない、べた塗りしたような黒い目が気になっていた。

「おはようございます。あっ南海、コーヒー入ってる?一杯もらおうかな。何かまだ目が覚めてなくて」

タイミングよく宝が首のストレッチをしながら出勤してくる。

「王生先生おはようございます。まだ時差ボケですか?」

「いや、日本に帰って来たらついつい飲みすぎちゃって…」

「大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫、大丈夫。申し送り続けてていいよ」

南海がコーヒーを宝の前に置く。

「エスプレッソです」

「ありがと」

「今、ちょうど先生が担当している306号室の在原さんの件なんですけど、今日退院って聞いてます?」

「ううん、聞いてないわよ。私の方は何の初見も見受けられなかったから問題ないけど、でもそんなに早く退院なんてできるわけが…」

えっ?ちょっと待って。何で昨日今日でこんなに話が進んでるの?やっぱり時差ボケしてる?そんなわけないか。だって昨日私が帰る時はオーダー入ってなかったはず。

「ごめん、ちょっと確認していい?」

宝は近くのパソコンを借りて退院サマリーを慌てて確認する。

「何で!?」

いつの間にか退院オーダーが入力されてる…。

入力された時間は24時05分。あり得ない。

ログインしたのは……。

画面にかじりつきながらパソコンのカーソルを上に持って行く。

えっ?彼に診察履歴がある。

10年前にY町からドクターヘリで搬送されてる。

三日間意識不明…。

溺水による脳障害が考えられる。

精神科……解離性同一性障害。

「やっぱりね」

例の看護師が宝の後ろをそっと通リ挨拶もせず退勤しようとする。

「あっ!ちょっと待って!」

その直後、パソコンのモニターにキラキラした粉のようなものが付着した。

「何これ?ホコリ?コーヒーに入っちゃうじゃないの」

慌ててコーヒーをすする。

看護師は無言でナースステーションを後にする。


天野病院1F売店

「ホットコーヒーSサイズ1つ」

消防の制服を着た男性が店員の明子に注文する。

明子は身長差30センチ程ある男性を見上げる。

「家で飲んでくればいいじゃん」

「豆切れてた」

「えーっ!?うっそぉ!」

「明子のおごりな」

明子が黙ってカップを渡す。

まるで夫婦の日常会話のようだ。

客の男性はレスキュー隊隊長の御手洗みたらい ほのお。そして売店の店員、明子の夫である。

「はいはい、おごるわよ。だけど制服で来るなんて珍しいね。いつもはオレンジなのに」

「今日は搬送で来たわけじゃないからな。ちょっと宝さんに用事があって」

「王生先生に?どしたの?」

「あぁ、先日の列車事故で搬送した傷病者の件でね。宝さんは何階だっけ?」

「3階の東病棟」

「サンキュー。ちゃんと帰りに豆買ってこいよ」

コーヒーマシンから注ぎ終わるとリッドをし、目の前に持ちながら念を押す。

「いつものね」

「深煎りで」

「OK~」


炎は売店を出てロビーでコーヒーを飲みながら病院全体の気の流れをを感じとっていた。

忌まわしい魂がひとつ…。

北東の方角。悲しいほど冷たい。体はとうに亡くなっているのだろう。


「何度見ても慣れないんですよね、明子さんの旦那さん。押しても倒れ無さそうな体だし、向かうもの敵なしみたいな目力だし」

同僚の店員が不思議そうな顔で明子を見る。

「職業柄そういうもんじゃない?家ではマメだよ。トイレ掃除もするし、洗濯もしてくれるし、アイロンも掛けるし、食器も洗ってくれるし、カレーライスは美味しいし、助かってるよ」

「っていうかほぼ主夫ですね」

「はははははは」



時刻は9時30分。入院病棟の朝の回診が始まる15分前。

宝はあれからもう一杯エスプレッソを飲んだのにもかかわらず、欠伸をこらえながら重い足取りで院内の廊下を歩いていた。

退院の件、何か変。いや、絶対変。

彼女は一番最後の看護記録を入力した直後に同じパソコンで羽黒先生のIDとパスワードを使って退院サマリーにログインしてる。

何で彼女は羽黒先生のIDとパスワードを知ってたの?

あぁあ…個人的に探りたい事もあったのに。退院したら無理じゃん。

「うっ…」

それより二日酔いの症状が辛い。頼みの綱の漢方薬は切れてたし。

アルコール度数13%は流石に堪えたかもしれない。

回診終わったら売店でお茶買って来よう。

南海 何も言わなかったけど私お酒臭くなかったのかな…一応サッと朝風呂入ってきたんだけど。

「王生先生、おはようございます」

小児科医の倉橋が挨拶する。

「清た…か…あっ倉橋先生、おはようございます。ねっちょっとちょっと私お酒臭くない?昨日飲みすぎちゃって…。朝風呂入ってきたんだけど匂う?」

倉橋が顔を近づけて、さっと匂いを嗅ぐ

宝は嫌がる素振りもなくじっとしている。

「全然。グレープフルーツの入浴剤の香りがします」

「よかった…ねっ、顔、顔むくんでない?ちゃんと見てよ」

宝が倉橋に詰め寄る。

「だ、大丈夫ですよ。いつもの綺麗な王生先生です」

「ありがとー清隆」

それ言わないと絶対一日中不機嫌でしょ。

「呼び方は倉橋で。って前にも言いましたよね?院内では一応幼馴染みで通ってますが…。まぁ彼氏という設定なら別に名前で呼んでもいいですよ。ところで何飲んだんですか?」

「えっ!?ちょっと待って!何で幼馴染ってばれてるの?恥ずかしいから秘密にしておいたのに!」

「別に業務に支障をきたすようなことでは…」

宝がふらついて勢いよく壁にもたれかかる。

「王生先生、大丈夫ですか?やっぱりまだ酔ってます?」

「だ、大丈夫。多分。回診行ってくるわ」

「ちゃんと歩いてくださいよ」

くるっと軽やかに振り返って思い出したように剣からの伝言を倉橋に伝える。

「そうだ、剣さんからの伝言。もう少し上手く鳶を飛ばしなさいだって。この下手くそ!とか言ってたかな…」

「さすが剣さん。僕の式神に気づいてたんですね」

でも、剣さんは下手くそとか言わないと思いますけど…。絶対足しましたよね。

「じゃっ、そういうことで」

倉橋は宝の後ろ姿を心配そうに見ていた。軽やかに振り返ったけど上手く反動使ったでしょ。

「──恥ずかしいってどういうこと?」

倉橋はその言葉に悩まされれる。

「宝さん足元ふらついていますけど、何かあったんですか?」

「あっ、御手洗さん」

倉橋の後ろから同じく宝を心配そうに見ていた御手洗が声をかける。

「何か二日酔いみたいで」

「珍しいですね。てっきりお酒にはかなり強い方かと思ってました」

「僕もです」

「見かけも強そうですが…相当飲んだんですかね」

「同感です」

二人は宝の後ろ姿を廊下を曲って見えなくなるまで追っていた。

「で、何でここにいるんですか?制服だし、ミーティングか何かですか?」

「あぁ全然そういうんじゃなくて、宝さんに伝えたいことがって」

「電話でよくないですか?」

「まぁそうだけど、ここに搬送した傷病者の容態、いや、気になる気配を確認したくてね。お前は気づいているのか?143年前にも感じたことのある憎悪に満ちた怨毒の塊。奴だよ」

「ええ。何となく」

やはり、清隆も気が付いていたか。

「それにしてもこの病院は淀んでいるな。彷徨う魂は奴につきまとっているのか?」

「恐らくこの魂は亡き妻ですよ。つきまとい、ストーカーとは違いますかね」

清隆は急に目つきが変わり見慣れない冷たい表情に変わる。

「流石だな。お前はもう見たのか?」

「御手洗さん、鳥の色彩感覚はすごいんですよ。人間よりはるかに多くの色を見分けれるし紫外線も見えるんです。人間には見えない淀んだ空気の色を直ぐに教えてくれます」

廊下の突き当りの窓に視線をやると一羽の白っぽい鳥が飛んでいた。

「あれ?鳶やめたんですか?」

「剣さんにダメ出しをされまして…」

御気の毒に…。目を細めて取り敢えず気を遣った表情を見せる。

「あれは何ていう鳥ですか?」

「ノスリです」

少し小さくなっただけのような…。

「宝さんの回診が終わるまで巡回でもしますか」




306号室では在原が退院の準備をしている最中だった。

まだ顔の右半分は少し腫れあがっていて打撲した右目には眼帯をしていた。

「失礼します」

宝が気持ちを切り替えて病室に入って来る。

「在原さん退院後のケアについて眼科の羽黒先生がご説明に来ましたか?」

「はい先程説明を受けました」

「そうですか。頭の方はCTの検査結果、異常なしでしたので経過観察でいいかと思います。眼科と同じ二週間後に予約を入れておいたので、後で予約票をお渡しします。その時念のため脳波の検査もしようと思っていますのでお時間がかかると思いますがよろしくお願いします」

「脳波?ですか…わかりました。でも、仕事が忙しいので早く退院できてよかったです。お世話になりました」

宝は会話の最中も気付かれぬよう病室内を見回していた。

「どなたかお迎えは?」

「いぇ独りなんで、タクシーで帰ります。荷物も少ないですし」

「そうですか」

どうして?今はあの時の霊力を全く感じない。他に誰もいないようだし…。

「在原さんいらっしゃいますか」

医事課の担当者が書類を持ってやって来る。

「在原さん退院のお手続きの説明に来ました」

「あっ、はい」

「在原さんもし具合が悪くなったり、変調に気がついたらすぐに受診して下さい」

医者としての診断は特に問題なしで経過観察でいいんだけど、他に気になる事があるのよね…。両端が千切られたパンフの謎、大自在天と何かを約諾をした人物ではないかという事。

何か異変…異変はないかなぁ。駄目だ。今日は二日酔いで頭痛いから回転が超鈍い。しかも何かキラキラした物が見えるし。

これって閃輝性暗点せんきせいあんてん?やっぱり赤ワイン飲み過ぎかな?

気になるけど、退院じゃこれ以上話もできないし諦めるしかないわね。後は父さんたちに任そう。

「お大事にどうぞ」

宝が病室を出た直後だった。

一瞬、病室の窓の外に上から何か大きなものが落ちてきたように見えた。

「!?」

今、何か上から落ちて来なかった?また清隆の式神?


「宝さん。回診終わりましたか?」

御手洗が廊下で宝を見かけ声を掛ける。

「あっ炎」

御手洗が軽く会釈をする。

「制服で来るなんて珍しいね」

「さっき、妻にも清隆にも同じこと言われましたよ」

宝がフフッと一瞬笑う。

「病院に何か用事?」

「いえ、宝さんに。列車事故で搬送した傷病者の件で気になることがありまして」

宝の表情が急に引き締まる。

「場所変えようか」


「キャー!!」

外から何人もの悲鳴が聞こえた。

御手洗は反射的に目の前の階段を駆け下り正面玄関へと向かう。

宝も後を追う。

「もう…スカート走りずらい!」

御手洗は玄関を出て、左右を見回し人だかりの方向に走りだす。

「すいません、消防です!通してください!」

現場にたどり着く。

そこには多量の血痕と何かの断片らしきものが散乱していた。

身体の状態は顔が真後ろに向いて、両腕、両足は屈曲骨折していた。

御手洗は髪は後ろで束ねられ、スカートを着用していので恐らく女性であろうと思った。

脈と呼吸を確認。

目を瞑る。

後から宝、病院関係者が次々と駆けつける。

宝も脈と呼吸を確認。瞳孔は頭部の損傷が激しいので確認出来なかった。

宝が死亡の判断を下す。

「彼女、ウチの看護師……。夜勤明けでさっきまで申し送りしてた…」

宝は信じられないとういう表情をしていた。

「警察を呼びます。病院のスタッフには現場に近づかないよう協力してもらって下さい」

御手洗がスマホを手に取り操作しようとすると彼女を触った手の方にキラキラとした粉が付着していることに気が付く。

「何だこれ?いつ付いたんだ?」

手についた粉の匂いを嗅ぐ。

「レモン?」

在原は臆することなく病室の窓から下を見ていた。

「なんだか外が騒がしいようですが…」



いつも読んでいただきありがとうございます。

閃輝性暗点せんきせいあんてん。赤ワインは飲みませんが、よくなります。目の中に波線やキラキラしたものが降ってきたり…。

運転中になると最悪です。

少し残酷な描写がありましたが大丈夫だったでしょうか…。

昔、JRの運転手さんからリアルなお話を聞いたことがあります。

会社裏の路線は年に1回は何かが起こります。北海道では有名な路線です。

急停車すると怖いです。


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