春の章 磑風春雨 6
三世の体は10年前に水難事故で意識を失った青年だった。
そして千世でもない血紅色の瞳をした降三世明王が姿を見せる。
王生 剣
王生家の中心人物。現在に目覚めた不動明王。普段は天然で抜けているふりをしているが、先見の明を持っており何事も卒なくこなす正に聖人君子。
職業は仏像学芸員。
王生 宝
剣と前妻の子供。現在に目覚めた軍荼利明王。143年前は男性として現れるが、現在は女性として現れる。職場は脳神経外科医(脳神経内科兼務)。
名医で海外に派遣されることも多い。性格はかなり奔放。三世とは馬が合わない。お酒が大好き。
王生 大耶
剣の現在の妻、愛の連れ子。現在に目覚めた金剛夜叉明王。職業は刑事。職業柄常に沈着冷静。無表情。趣味は料理。宝とは幼少の頃より一緒に暮らしている。
王生 煌徳
剣と愛の実子。現在に目覚めた大威徳明王。現在酪農大学の学生で三世の跡を継ごうと獣医師を目指している。愛くるしい顔をしているが怒ると家族の中では一番怖い。
三世の理解者でもある。
王生 三世
降三世明王が現在で体を借りている人物。意識だけは降三世明王が支配している。
現在は獣医師をしており、生命に関わる仕事に携わっている。
体は10年前、水難事故で意識を失っていたことが判明。
煌徳がサニタリールームからそそくさと出てきた。
「父さんお帰りなさい」
まだ髪の毛はバッサバサで、完全に乾いておらず
首に掛けたタオルで拭きながらリビングに入ってくる。
「煌徳、ただいま。試験に向けて順調か?」
「えっ、まぁ…。今ゴールデンウイークだから、バイトが忙しくて勉強は夜にちょっとだけしかできないけど」
「お店のインスタの反響で忙しいみたいですよ」
大耶が補足する。
「何それ?」
お店のインスタの事は全く身に覚えのない様子。
「煌徳、見てないのか?」
「雑誌の方は見たよ。店内にも掲示してあるし」
「はい、これ。お店が警察署管内だから職場でもこのイケメン君が話題になっていてね」
大耶がスマホで動画を見せる。
画面には隠し撮りされたと思われる雑誌の写真撮影中の動画が流れていた。
このカメラアングル、絶対店長だ。いつの間に…うわっめっちゃカメラ目線意識してる。この慣れない笑顔、超恥ずかしい。
でも店内って撮影禁止だよね…。店長は許されるのか!?しかも勝手にSNSに上げてるし。コンプライアンスはどうなってんの?
四人は注目して動画に見入っていた。
1分ほどの動画が終了する。
煌徳が堂々と剣に約束する。
「でもこの前の模試の結果は良かったよ。G.W.明けたら試験に集中するから安心して」
試験は来年の二月だけど、今年の夏はお客さんの側かな…。店長に早く伝えておかないと。
「頼もしいな」
剣が安堵の微笑を向ける。
「ところで三人で何話してたの?大事な話なら三世もいた方がいいんじゃない?お風呂入っちゃったけど」
「三世には後で一対一で話そうかと、逆に問いただしたい事もあるし」
「その方がいいかも。だって三世の様子絶対変だよ。だから気味悪くて髪も乾かさずに出てきちゃった」
まだ乾ききっていない髪の毛を触ってアピールする。
「そうか。私も避けられているような気がしてな」
剣もため息交じりで浮かない顔。
「そういえば最近うなされていることはよくありますね。何度か僕も目を覚ましましたから」
大耶も三世の異変に気がついていたようだ。
「来月脳波の定期検診だから、何か意識障害の兆候があったら報告するね」
剣は三世に定期的に脳波の検査を受けさせていた。
勿論、漏洩対策として主治医は宝にお願いしている。
万が一、現在に現れた降三世明王が過去のように暴走しないよう万全の備えである。
「さっ、今から特別展で展示される大自在天像について話をしようか」
「あの降三世明王に歯向かった?」
煌徳が率直に言う。
「そっ」
今度は三人が剣に注目する。
剣がワインを一口飲み、口を潤す。
グラスを静かに置いて真剣な表情で話を始める。
「大自在天像のM.C.Hでの展示がどうも腑に落ちなくてね。私なりに調査しようかと思って仏像が納められている東京の堅国寺に赴いていたんだ」
「何の調査?」
さっきの話の場に居なかった煌徳が質問する。
「M.C.H.で開催される特別展で降三世明王を含む五大明王像と大自在天像が同じ空間に入れられるんです。どうやら手引きした人物がいるみたいで…」
大耶が答える。
「動き出したら戦だね。怖っ」
「僕も惨殺の様子を想像してしまいます」
「まぁ大自在天は執念深いからね」
宝は他人事に捉えているような感じだ。
「実は今回展示される大自在天像は、5年前に転倒し修復をしているんだ」
剣が本題に戻る。
「転倒?僕の記憶では関東圏でマグニチュード6以上の大きな地震はなかったと思いますが」
流石は大耶。気象、地震、火山現象に詳しい。
「凄い記憶力だな大耶。その通り観測されていない。私見では創建して300年も経つので最初は床が湿気で傷んだのか台座の虫食いとかが原因かと思ったんだが、実際現地に赴いて拝見したところー」
大耶、宝、煌徳が息を飲む。
「どちらでもなさそうで」
三人の肩の力が一気にぬける。
「父さーん」
宝と煌徳の声が揃う。
「あっ、一応住職には免震台をお勧めしておきました」
「原因はわかったんですか?」
大耶が問い詰める。
「その転倒事故は、結局原因がわからないまま今日に至っている」
大耶は剣があっさりと諦めるわけがないと思っていた。更に問い詰める。
「剣さんには一体何が見えたんですか?」
やれやれ大耶には敵わないな。完全に見抜かれている。
「現地で残存思念を感受したところ私の脳裏には大自在天、烏摩妃と誰だかわからないがもう一人の姿が見えた」
「誰ですか?」
「歓喜天でもなかった。頭は人間だったからな」
「人間ですか…」
「はい!はい!私も歓喜天の存在を感じていないから絶対違うと思います!」
お酒の勢いでテンション高めの宝。挙手をして意見を述べる。
「その手引きした人物が大自在天を現在に目覚めさせたのではないかと…。そして何かを約諾した」
「大自在天が現在にいるということですか?」
大耶が険しい目つきになる。
「あぁ、私は既に現在に目覚めていると思っている」
三人は驚いて目を見開く。
「三人ともそんなに驚くことじゃないだろ。我々も三世も現在にいるんだから」
「確かに」
剣は10年前に起きた水難事故で、降三世明王が意識を制圧して三世が九死に一生を得た瞬間を思い出した。
降三世明王が現在にいることは我々と目覚めた者しか知らないはず。
まさかあの時、大自在天として目覚めた人物がその瞬間を目撃していた?
「もう少し仏像について詳しく話そう」
剣が気を取り直して話す。
「寺で修復記録を拝見させてもらった。転倒した拍子に右の玉眼が綺麗に真っ二つに割れたらしく頭頂部を一度分解したんだ。その際に眼の裏に小さな胎内仏が隠れて収められていたことがわかった」
「凄い!世紀の大発見だね」
煌徳が思わずタオルの端をグッと掴むほど興味深い話だ。
「CTスキャンした事なかったんだ。エジプトのミイラだってするのに」
医者らしい宝の発言。
「剣さん、続けてください」
冷静な大耶。
「新事実だったので、胎内仏は京都の研究機関に預けられ、解析されることになった。一方、大自在天像と割れた右の玉眼は奈良の国立博物館の保存修理所において修復師の元で修理された」
「で?何かわかったの?」
煌徳が結論を急かす。
「胎内仏は烏摩妃だったんだ。つまり大自在天の奥さん」
「ずっと一緒だったんだ……。素敵…。永遠の愛よ愛。羨ましいわ」
宝は酔いが回ってきたのか大耶の肩に寄りかかり手をそっと握る。
「宝、手!手!もう勘弁してくださいよ」
宝の手を振りほどき、すかさず大耶が質問をする。
「つまり、ずっと一緒だった烏摩妃と大自在天は離れ離れになってしまったんですね」
大耶が宝を突き離す。
「まぁ少しの間だけね。玉眼の修理には半年ほどかかったみたいだけど」
「きっと、彼女一人で寂しかったでしょうね。泣いていたでしょうね」
宝の目には何故か涙が滲んでいた。
「何ひたってるんですか。ほらしっかりしてくださいよ」
「酔うと脳機能のブレーキが利きづらくなるって知ってた?つまり感情をコントロールできないの」
既に酔いが回っているようだが医学的根拠の有無は判別できるらしい。
「要するに涙もろい状態なんですね」
「うん」
剣がいつものことだと思って話を続ける。
「実は大自在天像の割れて修理された玉眼が保管されていた場所から無くなったんだ。しかも未だ見つかっていない」
「どういうことですか?」
大耶が問う。
「そうだよ今回展示されるって事は右の玉眼はちゃんと修理されて入っているんじゃないの?」
煌徳も答えを求める。
「それが…担当した修復師は間違いなく保管庫に入れたと言っているし、記録簿にも記されているから紛失なんてあり得ないんだが…。今の像には致し方なく新たな別の水晶と合わせたものが納められているんだ」
「えっ?まがい物?」
「まぁごく一部の関係者しか知らない事だし、展示に至っては問題ないからね。しかも、すでに胎内仏は戻されているし、姿は元通リになってる。だから、烏摩妃は今大自在天像と共にM.C.H.にいるんだよ」
「で、その右眼ちゃんと開眼したの?」
「さぁ…私もそこまでは聞いていなくて」
「僕は嫌な予感がします。もし元来の玉眼にちゃんと魂が籠っていたとしたら…」
大耶の表情が引き締まる。
「何かが起こる…」
宝が男性のような低いトーンで告げる。
「胎内に銘文や納入品はなかったんですか?」
「銘文はあったようだが」
「そうですか」
結縁した人物の名前が連なっていたものだったが、その中に九条家の者が記されていたのが気にはなっている。
静まり返る広いリビング。
「僕も何か飲もうかな!ねぇ大耶、ノンアルある?」
煌徳が場の空気を変える。
「ちゃんといつもの買ってあるよ」
一転、大耶が口元を緩めて返事する。
「さっすが兄さん、気が利くぅ。うわっチーズにピザもある美味しそう。食べていい?」
「どうぞ」
煌徳がノンアルを取りにキッチンに向かおうと立ち上がった時、
三世がバスタオルで頭を拭きながらリビングに入ってくる。
一瞬二人の目が合った。
煌徳はその場に立ちすくむ。
それは前髪の隙間から見える三世の目が人間味のない冷めた視線に思えたからだ。
「さ、三世。あ、あがるの早いね。髪の毛まだ濡れてるよ」
「何か面白そうな話が聞こえてきたんで」
軍荼利明王は歓喜天に対して特別な影響力がり支配する力を持つと伝えられている。
結縁……仏道に縁を結ぶこと
読んでいただきありがとうございました。
今、お盆休み。
家族がいるので(子供は後ろでお昼寝中)集中して書けないです…。
明日から仕事…。早く寝なければ。




