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春の章 合縁奇縁 18

現在に目覚めた不動明王こと王生剣は

仏像を専門とする学芸員の仕事をしていた。

剣は以前より気懸かりだった一体の仏像の転倒事故の原因調査に乗り出していた。

──大自在天像

大きな地震があったわけでもなく、未だに調査報告書が未完成の案件。

剣は直接現場に赴き当時の様子を探る。

そこで感受したものは…。


登場人物

王生いくるみ けん  

現在に目覚めた不動明王。普段は天然で抜けているふりをしているが、先見の明を持っており何事も卒なくこなす正に聖人君子。

職業は仏像学芸員。



東京都にある堅国寺。 

東京の春は北海道より暖かい。今日の予報では最高気温22度。

堂内を散策する背の高い一人の男性。腕には出発する時に着ていたトレンチコートを掛けている。

姿勢が良く、春色のライトグレーのスーツを着こなし、その姿は凛としていていた。

春風が吹き、花びらが舞い散る。

その一片ひとひらを男性が手に取る。

「八重桜か…」

再び風が吹く。

「観音の大悲の桜咲きにけり」

花びらが穏やかな風と共に目の前を掠める。

住職が本坊から男性の方に定まった道筋を一直線に歩いてくる。

「王生さん、わざわざ北海道から来て下さったというのに、お待たせして申し訳ありません」

「いえいえ、こちらこそ美しい桜を見れて感無量です」

「誠にありがとうございます。それでは早速ご案内致します」

住職に案内され参道を進み、過去から現在にまで長い年月をかけて少しずつ修復されたと思われる石段を登る。

近年は地震や豪雨が多いから痛みかたも激しかっただろう。石工さんに感謝だな。

登り切ったところで朱色の弁柄で塗られた往生門を通り抜けその先に見える本堂に向かう。

「本日は如意輪観世音菩薩像ではなく、何をご覧になりたいのでしょうか?」

「5年前に転倒して修復した大自在天像を拝謁したいと思いまして。と言いましても今は北海道のM.C.H.ですよね」

「ご存知ならば何故?」

「今なら転倒した原因が台座の虫食いによるものか湿気で床が傷んでいたのか様々な観点から真実を解明できると思いまして。あと修復した時の記録をまだ見ていなかったのでそちらも見れればと」

「例のプロジェクトの一環ですか?」

「まぁそんなところです。先ずは転倒した現場を見せていただけますでしょうか」

「かしこまりました」

本堂の入口で男の歩みが急に止まる。

「どうかなさいましたか?」

住職が気が付き声をかける。

「あっ、すいません。お守りを授かっていいですか?」

「えぇ、どうぞ」

「先程、私の手のひらに桜の花びらが舞い降りたので」

「さようでございますか。桜色は身まもりのお守りでございます」

「身代御守ですか…」

男の名は王生いくるみ けん

仏像専門の学芸員で「例のプロジェクト」=ウィーヴプロジェクトに携わっている主要人物である。

このプロジェクトは主に特別展覧会の開催や文化財修理に力を入れている。

国内の博物館で所蔵する書物や古くて痛みがひどく展示が叶わない作品をAIを使ってスマートフォンからでも気軽に鑑賞することができるようにしたりと文化財に関わるありとあらゆる取り組みをしている。

仏像の修復もその一つ。何百年、何千年もの間手をつけられなかった仏像を現代の卓越した技術と、修復師の力を借りて現在に生まれ変わらせている。

そしてここ堅国寺の大自在天像は過去に転倒し修復に出された経緯があった。

剣は以前からこの件に関して気懸かりなことがあり真因を解明しようとプロジェクトの仕事も兼ねて赴いたのだ。

二人は春うらら青空の下、春風を肌に感じ境内を歩く。

本堂に近づくにつれ、都会の雑音が聞こえなくなる。

いよいよ本堂に入るとその空間は神域とも言える静寂。

狂いなく並んだ檜の柱で支えられた廊下を通リ外陣から内陣に入る。

「ここから先は一般開放されておりません。心静かに」

——まぁ神域だからな。

剣は天井画を眺めながら歩みを進める。

「黒龍…」

如意宝珠を口と両手に抱えその先には火焔を背負った木造不動明王立像が祀られていた。

不動明王像の前で立ち止まり暫し見入る。

間近で見るとその大きさに圧倒される。台座高と光背高を合わせると優に2メートルは超えている。

一面二臂で降魔の剣と羂索を持って天と地を鋭く大きな眼で見つめている。 

玉眼…水晶か?

剣が濁りなき透明な輝きに目が留まる。

「鎌倉時代の作品になります。荘厳なお姿でございましょう」

「そうですね」

「直近の修理から100年は経過しておりますので、こちらも助成対象になっております」

「早く調査ができればいいですね」

その後二人は一言も発せず目的の場所へ向かう。

長い廊下は光りと闇が交錯し極楽へと繋がっているような錯覚に陥ってしまう。

ようやく大自在天像が祀られていた場所に到着する。

「こちらでございます」

勿論そこに大自在天像はない。あるのは虚空と剣だけが感じ取れる僅かな別世界の者の気配。

剣はしゃがみ込み仏像があった場所に指先をそっと近づけ目を閉じ全身全霊で感受する。

剣の指先が微かに震えた。

脳裏に霞がかった光景が浮かび上がってきた。

徐々に人影のようなものが見えてくる。一人、二人……。

大自在天と烏摩妃か…夫婦で見つめ合って何を話している?

後ろにもう一人誰かいる。誰だ?歓喜天か?この姿形は人間だな。まだ若い…青年?

随分と熱心に二人の話に聞き入っているようだが…。背中を向けていて顔が見えない。

こちら側に気が付いたのか青年が振り向く。

「迷い?」

剣が見たのは青年の沈鬱な目…それは幾度となく見てきたものの一つ。今彼は昏沈こんじんを抱えている。

まだ若いのに心の沈鬱、塞ぎこんでしまっている。

あの表情、人間界を垣間見ている。やはり迷いだ。早く救い出さないと…。

青年は再び大自在天の方へと真剣な眼差しを向ける。

ちょっと待てよ。以前どこかで彼と会った気がするのだが…。駄目だ直ぐには思い出せない。

でも、記憶が残っているということは、間違いなく私とどこかで会っているはずだ。

あの沈鬱な目。印象に残っているのだが…。もしかして…。

束の間に大自在天は手を差し伸べ、ひたすら聞き入っていた青年に歩み寄る。二人は見る見るうちに体が重なり合っていく。

これは…憑依か?

青年は無抵抗で大自在天を受け入れているように見えた。

妻の烏摩妃はその様子を不気味な笑みを浮かべながら黙って見守っていた。

ちょっと待て!現在へ、人間界へ降臨する気か!?目的は何だ!!

剣は慌てて不動明王真言を心の中で唱える。

「ノウマク・サンマンダバザラダン・カン、ノウマク・サンマンダバザラダン・カン———」

青年は大自在天を全て受け入れ姿を消した。

間に合わなかったか……。

今この場で確信した。大自在天は既に現在にいる。しかも彼の中に…。

今すぐ彼を見つけて救わなければ…。

剣はおもむろに目を開けて仏像のあった場所を見つめる。

おや?不可解だな、ここだけ床の色が違う。ざっと20センチ四方くらいか。もしかしてここだけ結界が張られてた?一体誰が?

どうやら転倒は自然現象でも事故でもなさそうだ。一時仏像を移動させこの場から離れるのが目的だったんだ。

意図的に結界の外への脱出を試みたということか。これは萌芽と捉えていいのだろうか…。

気になるのは彼と大自在天の関係だ。あの雰囲気からして何かを約諾したように見えた。

そして、妻の烏摩妃もそれを黙認していた。

奴は繰り返しこの世の支配者を夢見ているのか、又は復讐を目論んでいるのか。

とりあえず破られた結界を張らねば…。

「住職、ご提案なのですが昨今は地震も頻発していますし、今なら大自在天像がお留守なので免震台を設置してはどうでしょうか。確か先週も揺れを感じる程度の地震がありましたよね?」

「免震台?ですか」

「展覧会ではお借りした重要な文化財に何かあっては大変なので設置した上で開催して頂いています」

「なるほど、大きさはどの位の物なんですか?ここに収まりますでしょうか」

「そうですね…台座より若干大きい方がいいでしょうね。ちょっと測らせてもらってもよろしいでしょうか」

「えぇ、よろしくお願いいたします」

「それでは失礼します」

鞄とコートを置き、一歩前に出て両腕を広げては胸元に腕を戻り寄せ印を結び長さを測る素振りをする。

剣の虹彩が少しずつ鮮やかな青色に変化する。

さらに一歩前に進み床に片膝をつき、住職に気づかれぬよう心中で真言を唱えながら指先で床に素早く五芒星を書く。

そして再び両腕を広げると五芒星が大きくなり台座のあった場所を囲みこんだ。勿論住職には見えていない。

張り終えると虹彩が徐々に元の濃褐色に戻っていく。

「ありがとうございます。大体の大きさは把握できました。いつ首都直下地震が起こるかわかりませんからね」

ごくごく普通に普通に…普通を装わないと。

「心せねばなりませんね」

「それでは修復記録の方を見せていただけますでしょうか」

剣は立ち上がり何事もなかったように住職に閲覧をお願いする。

「かしこまりました」

「あっ、それと覚えていらっしゃるか分かりませんが、大自在天像が倒れる前に頻繁に本堂に拝観に来ていた人がいませんでしたか?」

「大勢の皆さまがいらっしゃるのでさすがに…あっ、でも王生さんと同じ学芸員の方なら私を訪ねてよく来ていらっしゃいましたよ」

「学芸員?」

「そのたびに大自在天像を拝謁したいと言われましたが流石に毎回ご案内はできなくて。実はその方に今回特別展に出品して欲しいと懇願されましてね」

「お名前わかりますか?」

「確か在原さんという方です。お若いのに熱心な方だったので覚えています」

「在原…」

「記録と一緒に名刺もお見せしましょうか」

「ありがとうございます」

「因みに、その方はいつも一人で来ていましたか?」

住職が少し考えて間をおいて答える。

「何度かお連れの方もお見受けしましたと思います」

「女性の方でしたか?」

「はい。年上の女性でした。尋ねるわけにもいきませんので」

「そうですか」

剣が黙考する。もしかして…。

「いかがなさいましたか?」

「すいません、ちょっと電話を」

「構いませんよ」

剣が回廊に出て急いで電話を掛ける。

「あぁ館長、実は急なお願いがあるんだが」

剣が相手と用件を済ませると申し訳ないといった顔で住職に話しかける。

「あの…すいません。もうひとつお聞きしたいことがあるのですが」

「どのようなことでしょうか」

「10年位前のことだと思うのですが、この方に見覚えがありますでしょうか?」

剣がスマホである人物の写真を検索して見せる。

そこには階級章を付けた凛々しい男性。

「あぁこの方でしたら当時テレビでよく目にしましたので今でも覚えています。確か自衛隊の海外派遣のニュースだったと。大安の日は大方参拝に来ておりました」

写真をスクロールすると下部に名前が表示される

『九条 忠 統合幕僚長』

「彼は何の心願成就を?」

「如意輪観音像を前に手のひらを合わせておりました」

「なるほど。隊員の安全祈願、国家の安泰ですかね」

私の知る限り九条家は応仁の乱で焼失した寺を再興し、本尊は鎌倉時代に製作された如意輪観音座像。

如意輪観音、又は救世観音…。

安全祈願、国家の安泰。それ以外にもあったのではないか。息子の無病息災、翻邪帰正ほんじゃきせい…。

本当は悪行を重ねる息子を改心させたかった…。

九条家…あの青年が143年前のあの男の末裔だとしたら…。

今はまだ憶測にすぎない。それより大事なことが。

「あの…すいません。最後にお聞きしたいことがあるのですが」

「どのようなことでしょうか」

それは王生家のルール。 行く先では必ず美味しいお土産を買って来る。

王生家は滅多に家族全員が顔を合わせることがないので、『ここに行きました』という自分の近況を報告する証拠品である。

そういえば宝はアメリカに行ってたよな。お土産は期待しない方がいいか。前はクッキーのようでクッキーではない謎のお菓子。しかもどこの国かもわからない。宝の場合センスがないから正直空港土産で美味しいものでいいのだが…。

「本当に唐突ですいません。お土産に何か美味しい物を買って帰りたいのですが、この辺で何かありますか?」

住職、突然の振りで少し動揺する。

「そうですね、やはり最中でしょうか。境内にある月光殿が名前の由来になっている月光最中です」

「最中ですか。いいですね。是非帰りに寄らせていただきます」


帰りの参道。剣は頭の中で色々と考えを巡らしていた。

在原…平安、九条…明治。そして再び在原…現在。そして三世の存在。

考えを吹き飛ばすように一斉に桜の花びらが舞う。

「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」 在原業平朝臣

春風が優しく肌に当たる。

「春風駘蕩。いつまで続くか…」

──クワーッ、グワーッ、グワッグワッ。

空から大きな鳥の鳴き声が聞こえてくる。

剣が思わず空を見上げる。

青空の中ぽつりぽつり浮いている綿雲の合間をアオサギが細長い脚を伸ばし大きな灰色の翼を広げ群れを成し飛んでいた。

「縁起がいい鳥を見たなぁ」


読んでいただきありがとうございました。

少しずつ複雑になってくるお話に自分の頭の中がパニック状態です。

次のエピソードでは

現在に目覚めた大威徳明王。王生 煌徳あきのりが登場予定です。

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