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4.新たな門出にはオレンジのパウンドケーキ

 買い物用バッグに財布を入れ、肩から提げる。

 カウンターに寄り、女将さんに声をかける。


「今から買い出しに行ってきます。何か必要なものはありますか?」

「あ、パン屋に寄って明日の分の注文してきてくれるかい?」

「分かりました」


 親父さんにも確認し、市場に繰り出す。真っ先に向かうのは馴染みのパン屋である。


 ドアを開くとパン屋のおばさんが笑顔で迎え入れてくれた。


「いらっしゃい。明日の分の注文かい?」

「はい。これ、女将さんから預かってきたメモです」


 うちの宿の売りの一つに食事があるのだが、パンは必ずここのものを使っている。


 親父さんの作る料理はどれも美味しいのだが、パンの味だけは本職には敵わないのだとか。


 ジゼルも王都に来てからすっかりここのパンの虜になった。

 外は固く、中はふんわりと。噛めば噛むほど小麦本来の味が口いっぱいに広がるのである。


 宿のお客さんにも、このパン目当てでやって来る人がいるほどだ。


「明日は多いのね」

「サンドイッチのお客さんが宿泊されているので」

「ああ、いつもの」

「このお店のパンは美味しくて、いくらでも食べられますから」


 サンドイッチのお客さんとは、昼食を頼む常連冒険者のことだ。

 宿泊日数はまちまちだが、宿泊中とチェックアウト日は宿を出る際にバスケットいっぱいのサンドイッチを持っていく。


 五人分のパンを使うのだが、帰ってくるとバスケットの中にはパン屑一つ残らない。その上、夕食も残さずペロッと食べてしまう。


 その食べっぷりはいつ見ても気持ちがいい。

 お昼代は多すぎるほどもらっているので、宿としても嬉しいお客さんである。


「嬉しいこと言ってくれるわね~。じゃあいつも通り、明け方に持っていくわ」

「よろしくお願いします」

「そうそう。錬金ギルドに頼みたいことがあるんだけど、確か今はランプの仕事があるんだったよね? いつ頃落ち着くのかしら」

「えっと、すみません。私、今日クビになっちゃって。詳しいスケジュールは分からないんですが、例年通りだと二十日後には落ち着いていると思います」

「クビ? 他のギルドに引き抜かれたとかじゃなくて?」

「私レベルでは引き抜きなんて来ませんよ。錬金ギルド所属はもう難しいと思うのですが、当面は宿に置いてもらえることになりまして。錬金術で作ったアイテムを売りながら暮らそうかなと」


 パン屋のおばさんはジゼルが錬金ギルドに所属してから度々依頼をしてくれた。なのにこんな報告になってしまったことが少しだけ申し訳ない。


 頬をポリポリと掻きながら今後の予定を軽く話す。突然の報告に彼女は目を丸くする。


「それって魔法道具の依頼を受けてくれるってことかしら?」

「あ、いえ。錬金術で作った薬あめみたいなものを売ろうと思っていて」

「そう、浄水器の調子が悪いから新しいものをと思ったのだけど……。ジゼルちゃんがいないなら、他の錬金ギルドに頼もうかしら」

「すみません」

「ジゼルちゃんに担当してもらえないのは残念だけど、あなたの仕事が丁寧なことはよく知っているもの。新しく作るものがどんなものであっても誰かを幸せにするって信じているわ」

「おばさん……」


 優しい言葉をかけてもらい、涙で視界が揺らぐ。

 たくさんのパンを載せた番重を持って奥から出てきたおじさんは、ジゼルの顔を見てぎょっとする。


「上がったぞ~。って、ジゼルちゃん、どうした? 悲しいことでもあったか?」

「ジゼルちゃん、ギルドから追い出されたんですって」

「そりゃあ酷いな。なんでそんなことに」

「理由なんてどうでもいいわ。あの男、初めて見た時から気にくわない顔してるなと思ってたのよ。うちに来たら塩撒いてやるんだから! あんな奴ろくなもんじゃないって、あんたの酒飲み仲間にも言っておきな」

「そうだな。塩屋のおやっさんに大陸一固い岩塩を頼んでおく。ジゼルちゃんを虐めておいて市場をまともに歩けると思うなよ……」

「あ、あのお二人とも。私は大丈夫ですから。ショックではありますけど、私が初級アイテムしか作ってこなかったのは事実ですし、当面の生活に困ることはないので……」


 そんなことをすれば死んでしまう。おじさんが言うと冗談に聞こえないのだ。塩屋のおじいさんも一緒になって実行しそうで怖い。


 溢れかけていた涙を擦り、二人を止める。


「そうか? ジゼルちゃんがそう言うなら……」


 ジゼルの慌てようになんとか思い留まってくれたようだ。

 納得はいってないと顔に書いてあるが、ひとまず胸をなで下ろす。


「新たな門出を祝ってオレンジのパウンドケーキを焼くだけに留めておくか」

「本当ですか!? 私、おじさんのオレンジパウンド大好きなんです!」

「うちに初めて顔見せた時に買ってたやつだもんな。明日の配達と一緒に届けてやる。おじさんからのプレゼントだ」

「ありがとうございます! あ、じゃあ私からは錬金飴をお渡ししますね」

「錬金飴?」

「はい! 三種類あるんですけど、その中に腰痛に効くものもあって」


 宿屋の女将さんと親父さん同様、二人も腰痛に悩んでいるという話だった。

 以前からプレゼントする機会を窺っていたのだが、なかなかチャンスがなく渡せず終いだったのだ。


 渡すチャンスができたことと大好物が食べられることが重なり、ジゼルの声は自然と明るくなる。


「腰痛に? そんなすごいものがあるのかい?」

「効果がどれくらい出るかは個人差があるんですが、少し身体が軽くなるはずですよ」

「そりゃあ楽しみだ」


 両手をグッと固めると、二人の表情も明るくなった。

 ギルドマスターに岩塩を投げつけよう計画はこれで完全に流れたはずだ。



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