12.謎の毛玉
窓から注ぎ込まれる朝日に包まれ、ゆっくりと意識が浮上していく。
「う~まぁ~」
着替えて顔を洗って、髪を整える。朝食を食べたらまずは宿前の掃き掃除。
終わったら昨日新たに届いた手紙の返事を書いて、配達ギルドに行かないと。その後は瓶の量産。『満月の湖』からの依頼が正式に決定すれば、別のデザインに手がかかるから、こちらは多めに作っておくべきか。
ぼんやりとする頭で今日やることを整理していく。
「へへっ」
あ、でも飴自体もまだまだ足りてない。瓶ばかりあまり作りすぎても置く場所が……。
なかなかまとまらないのは、先ほどから何か変な声が聞こえてくるから。
「いちばんわぁ、あ~か~」
宿屋に住まわせてもらうようになってから約十年。
いびきや寝言が大きな人はいるが、ジゼルの自室とお客さんに貸し出している部屋とではそこそこの距離がある。
寝起きで他人の声がはっきりと聞こえてくることは一度だってなかった。寝ぼけているのだろうか。
首筋をポリポリと掻きながら部屋を見回した。だが声の主らしき人物はいない。
そう、人はいなかった。
代わりに籠の中に大きな固まりがあった。
大きすぎてかなりはみ出している。
昨晩はなかったものである。おずおずと近寄れば、固まりもとい毛玉が小さく動き始める。
「あ~お~もおいしいよお~」
間違いない。この毛玉が謎の声の主だ。
ふにゃふにゃとまだ眠そうな声を出していることから、大きな寝言だと思われる。
だが人の言葉を話す毛玉なんて聞いたことがない。
目の前のこれが魔物でも獣でも、だ。
ドラゴンや上位精霊などは人語を使いこなすらしい。
だがドラゴンは固い鱗があるし、上位精霊は身体こそ人間よりも小さいがシルエットは同じだという。
籠から溢れ出すほどのもっふり感というかぽっちゃり感はそのどちらでもないと否定している。
では何者なのか。
悩んだジゼルはとりあえず着替えて顔を洗ってくることにした。夢だと思ったのである。
「……まだいた」
謎の生物から目を逸らすことにしたジゼルだったが、掃き掃除が終わってもそれはまだ籠の中にいた。
試食用の方だけでも女将さんに渡したいのだが、飴は全て籠の中。下手に動かして暴れられても困る。
そもそもこの生物をどこに退ければいいのか。今のところ害はなさそうに見えるが、外に逃がして他の店で被害が出ないとも限らない。
どうやってジゼルの部屋に入り込んだのかも謎である。
人と同じ言語を話すことと、意思疎通ができるかどうかはまた別問題だ。
「あ、人がダメでもドラゴンなら……」
ドラゴンは人の言語に限らず、大陸に存在する生物が使う言語全てを理解していると言われている。
謎生物の正体も知っているかもしれない。
行動するならまだ外に人が少ない今の時間がチャンスだ。手近な布をかけ、籠を両手で抱えて持ち出した。
「配達ギルドに行ってきます」
「気をつけてね」
足早に宿を出て、配達ギルドへと向かう。急いでいるはずなのに、いつもよりも時間がかかっている気がする。
カウンターに座るドランの姿が見えると、とてもホッとした。頬を緩めるジゼルに、ドランは何かあったと察したらしい。こちらへと駆け寄ってくる。
「そんなに重いのか? 言ってくれれば引き取りにいったのに」
「ううん。これは荷物じゃないの。なんか、よく分からない生き物で」
「よく分からない生き物?」
「起きたら部屋にいたの。今はまだ寝てるんだけど、何か分からないからむやみに外に追い出す訳にもいかなくて。それでドラゴンさんに見てほしくて!」
混乱でつい早口になってしまう。ドランはそんなジゼルの肩に両手を置いた。
「とりあえずそれは俺が持つから、ひとまず落ち着け」
「あ、いきなり来てごめん。仕事中なのに」
「一番に頼ってくれて嬉しい。行こう。もう起きてるからすぐ見てくれる」
「うん」
促される形で配達ギルドの奥へと進む。龍舎があるのは一番奥。ギルドマスターの部屋の裏だそうだ。
朝から大きな籠を抱えているからか、配達ギルドの人達からは微笑ましい視線を向けられる。
残念ながら籠の中はサンドイッチでもマフィンでもなく、謎生物と錬金飴なのだが。
龍舎に着くと、ドランは自分の身体ほどの大きな鐘を鳴らした。
想像よりも小さくて心地のいい音が響く。すると丸まっていたドラゴンがのそりと動き始めた。
「仕事か?」
「いや、違う」
「ならなんだ……ってああ、ついに番に」
「違う! この籠の中にいる生物の正体が知りたい」
「籠?」
ドランは籠にかかった布を取る。
すると中で寝ていたはずの毛玉がふるふると震えていた。顔や尻尾もバッチリと見える。
タヌキ、だろうか。
「ぼく、おいしくないよぉ」
だがタヌキが人の言葉を話すなど聞いたこともない。
ましてや美味しくないといいながら、ランプに化けるタヌキなんて。
しかもジゼルが錬金ギルドに在籍していた頃、最後に作ったランプである。
依頼者からの注文で、シンプルながらも奥さんとの思い出の花であるカモミールを全面に散らした。ほんのりと香りがする仕組みまで完全に再現している。
改めて、この生物は何なのかと考えてしまう。