【閑話】二人の商売人(裏)
ジゼルが買い出しに向かった頃。
少し前に発車した馬車では腹の探り合い未満の何かが行われていた。
「さっきのはなんだい」
「何のことかしら」
「あんたほど優秀な商人がどんな商品か分からず大量入荷を決めるとは思えないんだが」
宿屋ギルドのマスター・ヴァネッサと、満月の湖のマスター・ステファニーは三十年来の知り合いである。互いにギルドマスターになる前からの付き合いだ。
ステファニーは若く見えるものの、ヴァネッサよりも少し若いくらいなもの。
商売人としての経験もかなりのもので、今まで多くの商品を見てきた彼女の目は肥えている。その審美眼は王族をも上回るほどと言われている。
そんな彼女が適当にも見える買い付けを行ったのだ。
ジゼルがいる手前、あまり強くは言わなかったが、疑うなという方がどうかしている。
馬車に誘ったのも、ステファニーの腹の内を聞き出すためだった。
「さすが宿屋ギルドのマスター。鋭いわね」
「ふざけるんじゃないよ。いいかい? あの子に手を出したらあたしも女将も黙っちゃいないからね」
「別に大したことじゃないわよ。『精霊の釜』のジゼルがクビになったって話を聞いた直後に、ジゼルっていう錬金術師が不思議な商品を売り出したって話を聞いたから本人か確かめに来たの」
ステファニーの元に『情報』が持ち込まれたのはほんの数日前のこと。
思わず耳を疑った。信頼出来る筋からの情報だったが、なかなか信じられずにいた。
そして今朝方、お得意様の一人から錬金飴の話を聞いた。
宿屋ギルドのマスターが行く先々で勧めている、不思議な飴と錬金術師の話を。
これは売れるかもしれないと耳を傾け、錬金術師の名前が『ジゼル』であることを知った。まさかと思いながらも居場所を聞き出し、急いで馬車を走らせた。
「王家からの依頼でランプを作っていたことを知っていたから瓶に興味を示していたって訳か」
「初めて目を付けたのはそれが理由だけど、納品されたランプを見て一目で虜になったわ。両親の金婚式の贈り物には彼女に依頼したんだから」
「なるほどね」
「さすがに一つも見ないで決めるほど落ちぶれてないわよ」
ステファニーがジゼルのランプと出会ったのは六年前。忘れもしない。
姫様がとても気に入っているというランプを作った錬金術師、ジゼルに興味を持った。
一つ頼んでみて、いいものならばいくつか追加で注文しようと軽く考えていた。
なにせ錬金ランプの使用可能期間は短い。月に一度は買い換えなければいけないものも多く、姫様は飽き性でも有名だった。
ドレスみたいにすぐ飽きるのだろう。
正直、さほど期待していなかった。
けれど納品されたランプを見て、一瞬で考えを改めた。
透明度も色の使い方も、ステファニーが知っている錬金ランプとはまるで違うのだ。あれは芸術品だ。実用性も非常に高く、一年以上使えることから、リピーターや親しい相手への贈り物として選ぶ客が後を絶たない。
あの姫様が未だにジゼルのランプを求め続けるのがいい例だ。
「そんなに綺麗なのかい」
「ランプとして使えなくなったものもインテリアとして部屋に置いているくらいよ。正直、飴じゃなくてランプを売り出してほしかった」
「そういうセリフは飴を舐めてみてから言うんだね」
「そんなに凄いの?」
「世界が変わるね」
「年間契約したとはいえ、さすがにそれは言いすぎじゃないの?」
「試してみりゃあ分かるさ」
「ふうん。瓶も綺麗だからいいけど」
当面はランプの新規依頼は受けてもらえないかもしれないが、瓶については押せば受け入れてもらえそうな様子だった。
ならばガラス瓶を楽しめるようにすればいいのだ。
耐熱ガラスにしてもらえれば蝋燭や魔石を入れて、ランプのような使い方ができる。
フレグランスキャンドルと合わせるのもいい。
デザイナーに声をかける前に一通りこれらを仕入れておこうと心に決める。
「あたしも二つあるうちの一つは孫にあげるつもりなんだ。あの子、そういうの好きだから」
「言われてみれば、中身は大人が食べて瓶は子どもに、って選択肢もあるわね」
「奥さんに、っていうケースもあるんじゃないか?」
「ああ、数種類作りたい」
「そりゃああんたが欲しいだけだろ。ただでさえ忙しいんだから、当分は遠慮しな」
「分かってるわよ。……シーズンごとに変えてもらおうかなって思っただけ」
ヴァネッサはじっとりとした目を向けるが、ステファニーとしてはかなり譲歩した方だ。
もちろんジゼルの負担になるような真似はしたくないので、ちゃんと我慢する。
だが次々と頭に浮かぶテーマはどうしようもできない。帰ったら一つ残らず手帳に書き留めるつもりだ。
一つ目はやはり、ジゼルのランプを持っている顧客達も満足してくれるデザインがいい。
たとえ売り物がランプでなくとも、ステファニーがジゼルの門出を応援する気持ちは本物なのだ。無理なく長く続いてほしい。
デザインは誰に頼もうかと真剣に考えていると、斜め前から間の抜けたような声が聞こえてきた。
「これ、おいひいですね」
ヴァネッサの付き人である。
宿屋に居た時はキリッとしていた彼女だが、今では右の頬を膨らませている。まるで子どものようだ。
初めて見た時はオンとオフの差に驚いたものだが、馬車の中にいる二人はこの姿にも慣れっこだった。
「もう食べてるの?」
「今日の仕事はこれで終わりですから。リフレッシュです」
「あたしは寝る前に食べるって決めてんだ。これを舐めるとよく眠れる」
「じゃあ私も仕事終わりに食べようかしら」
「それがいい」
「あ、この辺りで下ろしてちょうだい」
「まだギルドに着いてないが」
「『精霊の釜』の代わりに契約する錬金ギルドを探してるのよ。錬金アイテムだけならいいところがあるんだけど、日用雑貨まで納得いくものを作っているところってなかなかなくて」
ギルドマスターが変わった直後にジゼルが解雇されたということは、新しいマスターは彼女の作るアイテムを正当に評価できていない可能性が非常に高い。
情報屋には追加情報が入ったら持ってくるように頼んであるが、動きはなし。
内部にも強行を止める者がいなかったと見て間違いないだろう。
『精霊の釜』は個人主義なところがあるため、一概に悪いこととも言えない。
だが各々が実力を発揮するだけで上手く回っていたのは、前任のギルドマスター・オーレルの手腕が優れていたからに他ならない。
彼は日常的に使用される初級魔法道具の重要性とその売り上げについても熟知していた。ジゼルはオーレルの方針の象徴とも言える。そのジゼルを切り捨てることがいかに愚かなことか。
ギルドを支えていたオーレルと、縁の下の力持ちとして活躍していたジゼル。
短期間で二人が抜けたことで、商品の質は目に見えて落ちていくことだろう。
一ヶ月先かもしれないし、一年先かもしれない。
具体的な数字までは分からないが、落ちてから新たな取引先を探すのでは遅いのだ。
『満月の湖』の売りは商品の真の価値を見抜くことにある。
並べる商品が大手ギルドのアイテムである必要はない。なにより下手な商品を顧客の前に出す訳にはいかない。
「大変だね。まぁ頑張りな」
「新規開拓も嫌いじゃないから。ヴァネッサもお大事に」
ステファニーは止まった馬車のドアを自分で開く。
そしてハラハラと手を振りながら城下町の中へと消えていくのだった。