第八話 遊牧民
1882年 (明治15年) 5月
市太郎とその一行は無事、北京に渡る事が出来た。
この時代、中国は日本の青少年の憧れの地であった。何故ならば、中国大陸に無限の可能性と夢があったからだ。
そして、市太郎達は人の量が大阪より遥かに多い圧倒されていた。
「大阪は大都市だと思っていたが上には上がいたと言うことか。」
「ええ、凄まじい人口ですね…こんなにに人が居れば、鉄道の需要も高そうですね。」
「ああ、いつか中国にも我々の電車が走る事になれば良いな。」
「電車?とは何ですかな?」
本居が聞いて来た。
そうか、まだ日本では電車は知られていないのか…。
「そうだな、電気によって時速100キロをゆうに越える鉄道だ。」
この話を聞いた本居と市太郎について来た社員達は呆気を取られた。何故なら、大和川鉄道で走る汽車の速度は32キロが最大だったからだ。それより格段に速いを電車を想像してしたのだ。呆気を取られるのも仕方がない。
「…そんな物が存在するのですか?…俄には信じられません…」
「今ある電車はまだ、時速13キロが精々だか俺には将来的にはそうなると思っている。」
「…とても夢のある話ですね。」
荒唐無稽な話だが、市太郎ならば本当に出来てしまうのでは?と本居やその場にいた社員達は思った。
「さて、内モンゴルを目指そうか。」
「「はい!」」
市太郎達は内モンゴルに着いてから一週間以上、内モンゴルの草原を彷徨っていた。
と言うのも、乳酸の作り方を知っているのは遊牧民であった。
街では遊牧民に合う事が出来なかった為、自分達から遊牧民を探しに広大な草原に出たのである。
「副社長、一度街に戻りましょう。これ以上進むのは危険ですよ。食料もかなり少なくなっていますし、日も暮れ始めてます。」
本居が言った。
「…分かった。街に戻ろう…」
「ありがとうございます。」
そんな事を話していると、本当に微かに蹄の音が聞こえた。
「聞こえたか?」
「何がです?」
「蹄の音だ。あっちにある、丘の方からだ。」
「いえ、全く…。」
「そんなはずは無いんだが…」
パカラ。
再び蹄の音が鳴った。
「!、聞こえました!」
今度は本居にも聞こえたようだ。
「よし、行くぞ!」
市太郎達は、丘に向かって全力で走って行った。
そして遂に、遊牧民に出会えた。
「お前達はこんな所で何をやっているんだ?」
遊牧民がモンゴル語で話しかけて来た。
「俺たち、乳酸、作りたい、教えて。」
拙いモンゴル語で市太郎が返答した。
「乳酸?ああ、酸っぱい乳の事か。…いいぞ。だが、もう暗い。着いてこい、泊まらしてやる。」
「ありがとう!」
「本居達!作り方を教えてくれるって言ってるぞ!ついでに、泊めてもくれるらしいぞ!」
「「(ふう、)よかった!」」
本居達はもしかしたら、遊牧民が教えてくれない可能性もあり、そうなるとまた、一から教えくれる遊牧民を探さないといけない為、緊張していたが市太郎の言葉を聞いて安心した為、一気にその緊張が解けて座り込んだ。
そのまま、市太郎一行はゲルと言う遊牧民の伝統的な移動式の家に泊めてもらい、次の日の朝に乳酸の作り方を教わった。その後遊牧民と別れ、何事もなく日本に帰って行った。
こうして、市太郎達の大冒険は終わった。
やばい!今回でカルピス回を終わらせるつもりだったのに…
次回、カルピス完成⁉︎
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