第七話 我慢の限界
1882年 (明治15年) 5月
神戸港が完成するまで、後2年かかるらしい。まあ、そんな事はどうでも良い。俺は今、無性にカルピスが飲みたい。前世でも、カルピスが大好きでよく飲んでいた。今まではなんとか我慢できたが、もうこの欲求を抑える事ができない。
「そう言うわけで、俺はカルピスを作りたい!」
「副社長、いきなりどうしたんですか?…今は会議中ですよ?」
羽田部長が呆れながら聞いてきた。どうやら、心の声が口から漏れたらしい。気を付けねば…。
「良くぞ聞いてくれた!飲料事業に参入しようと今、思ったんだ!」
「…えらく急ですね…。何故、突然思ったんですか?」
「皆んなは思わんか?茶や水はもう飽きたと。」
「思いません。…ですが、確かに新しい飲み物が出来たら売れるかもしれませんね。…ですが、新しい飲み物の当てでも有るのですか?」
「ある。」
「「えっ⁉︎」」
羽田部長だけでなく他の重役達も驚きの声を上げた。
「それは内モンゴルにある。…と言うわけで、俺が今から行ってくる!ついて来たい奴はいるか?」
誰も手上げなかった。まあ、今は色んな事業の規模を大きくしていっているから重役でも忙しいのだろう。…別に悲しんでなんかいないんだからね!っと思っていると、1人手を挙げた。
「私はついて行きたいです!」
そう言ったのは、本居部長で、重役達の中で最も若い男だ。
「よし、良いだろう。…実は船のチケットはもう買ってある。…一週間後出発だ。」
「はい!」
「他の皆んなは、各々の仕事を頑張ってくれ。」
「はい、副社長も長旅お気おつけて。…くれぐれも仕事だと忘れないで下さいね。…本居さん副社長の事を頼みますよ。」
そう、三宅が言った。
「ええ、任せて下さい!」
さて、此処で史実におけるカルピスについて語ろう。
史実では、三島海雲氏が中国で雑貨商をしていた時に、内モンゴル地域でカルピスに似た乳を飲む事になった。そこで、乳酸菌に出会う事になる。三島海雲氏はお腹が弱かったのだが、カルピスに似た乳を飲むと胃腸の調子が整い頭と体がスッキリしたため驚きましたら。
1915年に乳酸菌の研究を開始し、その翌年には乳酸菌で発酵させたクリームを販売した。
だが、そのクリームやそのクリーム(商品名:醍醐味)の後に発売されたラクトーキャラメル(生きた乳酸菌をキャラメルに入れた商品)は牛乳収集の困難さや商品が生菌だったこと、キャラメルの溶解などにより失敗に終わる。
そんな中で、醍醐味をつく過程で残った脱脂乳を乳酸菌で発酵させた物を美味しく、体に良い飲み物として改良されて作られたたのが"カルピス"だ。
こう言う、過程を知らない市太郎はどのようにしてカルピスもどきを作るのか…それは神のみぞ知る。
筆者はカルピスの中でも、濃いカルピスが最も好きです。味が濃くてとても甘いので僕は一番よく買います。
それに普通のカルピスと同じ値段なので、お得な気分にもなれるし。皆さんもよろしかったら、お好きなカルピスについて語って言って下さい。
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