第五話 保険会社
1881年 (明治14年) 4月
「…保険会社ですか。…大坂海上保険会社とは何が違うのですか?」
吉井営業部長が質問して来た。
「そうだな、海上保険は船の貨物や造船中の船舶、運航中の船舶に対して保険をかけるんだが、保険会社は人や家、鉄道などにかけるんだ。」
「なるほど、一般家庭向けという訳ですね。いやー、よかった。」
「?、何が良かったんだ?」
「…実は部下が顧客に船の以外にも保険はかけれないのか?と頻繁に聞かれていたらしく、もどかし思いを何度もしたらしくてですね。」
三宅が申し訳無さそうに話した。
「ああ、なるほど。…提案してくれてもよかったんだぞ?」
「はあ、ここ最近は摂津海運のお仕事でお忙しいそうだったので遠慮していましたが、今度からは積極的に提案させて貰います。」
「期待しているよ。」
そう微笑みながら市太郎は言った。
こうして、日本初の保険会社が誕生した。後の現代日本では、日本最大手の保険会社となる。
因みにだが、史実では日本最初の保険会社は、福沢諭吉の門下生である阿部氏が創設した明治生命だ。
…それともう一つ新しい事業を起こそうと思ってる。」
「何の事業ですか?」
「重工だ。」
「重工…となると船でも作るのですか?」
「まあ、いずれは作りたいが船ではない。…汽車だ。」
「あー、副社長おっしゃていましたね。海外から輸入した汽車が高すぎると。」
「そうなんだよ。あいつら俺の足下を見てぼったくりやがって。…だから、アイツらがまともな値段で売ってくれと言うなら、自分達で作れば良いじゃないと言う発想だ。」
「…なんとも、力技な発想ですね…」
三宅か苦笑いしながら言った。
「…別に、何も考えずに言ってるのではない。汽車の整備は我々がやっているのだから、基本的な構造は理解しているはずだ。まずは、既存の汽車の模造品を作り、ノウハウが最低限ついたら開発に進もうと考えている。」
「…ですが、かなりの金がかかりますよ?どこからその金を持ってくるおつもりで?」
「第四十二銀行だ。親父の経営している銀行だが、今は俺が代わりに頭取をやっている。いくらでも金を出せるぞ。」
「…後で怒られても知りませんよ…」
懲りない市太郎に、三宅は呆れなが言った。
後日談ではあるが、北海道から帰って来た市兵衛にこの事が知られてた次の日、市太郎が顔中に痣をつけて出社した姿を多くの社員達に目撃されている。
そうして、日本で民間企業として初めて鉄道車両を製造する事になる企業、大坂重工が誕生した。この大坂重工は後に鉄道車両だけでなく、軍需産業や造船などの事業に参入して行くことになる。
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