第二十三話 蚊取り線香
1888年 (明治21年) 11月上旬
遂にパナマに先遣隊が到着し、ある程度労働環境を整えた後にパナマ運河建設に着手し始めた。
それと同時に、沼地の排水や雑草の刈り取る事によって蚊の繁殖場を減らして行ったが、黄熱病やマラリアに罹る労働者は多かった。
その事態を憂慮した市太郎は、黄熱病やマラリアに感染しないように、蚊取り線香を作る為に日本へ帰国した。
「虫を殺す菊ですか…。」
うーん、と唸りながら五代は考えた。
「申し訳ないないですが、存じ上げません。…ですが、確か上山さんが日本で海外の菊の栽培に成功したとか。」
「上山さん?」
市太郎が聞き返した。
「ええ、そうです。…確か、福沢先生が上山さんにアメリカの植物輸入会社の社長を紹介したと言っていました。その時に、海外の菊の種を手に入れたのでしょう。」
「なるほど!…その、上山さんが何処にいらっしゃるか、ご存知でしょうか?」
「ええと、和歌山に住んでいらしたかと。」
「ありがとうございます!五代さん!」
市太郎は五代に礼を言うと、走って五代邸を出て行った。
1888年 (明治21年) 11月下旬
「上山さん、いらっしゃいますか?」
市太郎が門の外で尋ねた。
はーい、そう小さく声が家の中から聞こえて来た。
ガラ
「えっと、どちら様でしょうか。」
「東亜持株会社で社長をやっております、田中市太郎と申します。…上山英一郎さんでお間違えないでしょうか?」
「はい、私が上山英一郎です。…それで、本日はどのような御用で?」
「はい、海外の菊の栽培に成功したと聞きまして、その菊の種と花を頂けないでしょうか。…勿論、代金は支払います。」
「構いませんが、その菊は観賞用ですよ?」
「ええ、大丈夫です。」
二、三分程してから菊の種と花を持って来た。
「これです。」
「ありがとうございます!…こちらは代金です。」
そう言って、100円(現代価値三十八万円)払った。
「えっ、多過ぎますよ!」
「ははは、私にとってそれ程の価値になるかもしれないので。」
そう言って、その場を後にした。
そして、見事にその菊は除虫菊であった。
1888年 (明治21年) 12月
蚊遣り火のような、粉状にした除虫菊におがくずを混ぜて燃やして、蚊を殺す物が完成したが、夏には季節はずれの火鉢が必要であった。
「市太郎さん、それを夏に使うのですか?」
火鉢を手に持っている市太郎を見ながら武子が言った。
「ああ、そうだよ…」
「…流石に、冬に火鉢は使わないと思いますよ。」
「なら、どうしたら良いんだ…。」
「あの、線香に混ぜたら如何でしょう。」
「線香?あれは真っ直ぐじゃないか…。ん?…そうだった!蚊取り"線香"じゃないか!真っ直ぐなら曲げて仕舞えばいい!」
馬鹿である。
普通、線香に混ぜてあると気づくだろうに、この男は嫁に言われるまで気づかなかったのだ。
市太郎は急いで会社に向かって行った。
そのまま、一気に商品化に成功し、蚊取り線香は夏のお供として長い間、愛されるのだった。
こうして、蚊取り線香が開発されたのである。
因みにだが、この蚊取り線香を製造する会社を東亜製薬と言う。
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