第十八話 持株会社
1886年 (明治19年) 11月
市太郎と武子は日本に帰国した。
「親父、話があるってなんだよ?」
市太郎が市兵衛に尋ねた。
「ああ、お前がこの前言っていた持株会社の設立の話しだ。」
「おお、それで?」
「儂はお前の言うとり、持株会社は必要だと思った。…何故なら、これからは戦術的な目線での経営ではなく、戦略的な経営が必要だと思ったからだ。そして、戦略的な経営は持株会社の方が便利だ。だから、持株会社を設立しようと思う。」
「親父、理解してくれたか。」
「それでだ、儂は持株会社の会長に就任する。お前は全ての会社の社長につけ。」
「まあ、仕事内容は変わらんからいいが、親父…なんで急に持株会社を創る気になったんだ?」
「…相変わらず感が良いな。儂は会長に就任してから3年で辞めるつもりだ。そして、お前が会長に就任しろ。」
「親父!どう言う事だ!」
「まあ、落ち着け。…儂はな政治家になろうと思っとる。」
「政治家…そうか、選挙活動の為に国会開設の一年前に辞めるのか。」
「そう言う事だ。」
「分かったよ、親父。…ところで持株会社の名前どうすんだ?」
「ああ、東亜持株会社にしようと思う。」
「なら、ついでに幾つかの会社の名前も変えないか?」
「ああ、そうするか。」
そして、正式に持株会社が設立され、市兵衛や市太郎が立ち上げた会社を整理する事となった。
帝国産業持株会社
・第四十二国立銀行→東亜銀行
・大和川鉄道→東亜鉄道
・大阪海上保険会社
・摂津海運
・大坂重工→ 東亜重工
・大阪保険会社→ 東亜保険会社
・関西貿易会社
・東亜不動産
・大阪飲料→東亜飲料
となった。
1886年 (明治19年) 12月
「今年も、あと少しで終わる。その為、東亜グループの決算会並び、事業の状況を報告して貰う。…まずは東亜銀行からだ。」
中崎頭取が立ち上がって、報告を開始した。
「はい、当行では住宅ローンによって融資額がかなり増加しました。他には、平安銀行を買収する事にも成功いたしました。」
「次は東亜鉄道だ。」
「はい、無事阪神方面への延伸に成功致しました。次の延伸先は京都になる予定です。」
と、東亜鉄道の三宅社長が報告した。
「摂津海運では、命令航路を次々に開通さており、来年度も増加すると思われます。」
摂津海運の鹿田社長が報告した。
「東亜重工は電車の研究を行っておりますが、難航しております。ですので、欧州から1両程見本として購入する予定です。」
東亜重工の三好社長が報告した。
その後、他の企業も状況を説明していった。
全体的にグループは成長していっているようで、市太郎は安堵するのであった。
会社名を提案して下さったら、採用するかも知れないので提案してして頂けると嬉しいです。
結構、社名は勢いで決めているので…
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