夏の無音
――降り注ぐ蝉の声は、激しいスコールのようだ。
古びて波打つアスファルトが侘しく形作る山道を、焼け付く中天の陽光と共に責め苛む。
しかしそれは、却って無音にも近かった。
耳を圧し、他の音、気配の存在を完全に断ったそこは、世界から切り離されているとも言えるからだ。
そうだ、きっとそこは隔絶しているのだ――世界と。
だから、私はそこにいない。
……いないが、その場所を見ていた。
そう――見ていた。
その山道を、急な坂を、静かに登っていく無人の三輪車を。
強烈に夏と定義する、陽光が空を焼く音と蝉の声の圧、その支配下にありながら、同時に薄ら寒いほどに静かでもある景色――。
他に動くものとて無く、私すら存在していないその中を、坂道を……無人の三輪車は静かに、ゆっくりと登っていく。
それが何であるか、何を意味しているかなど、私に分かろうはずも無い。
私はただ見ているだけで――存在すらしていないのだから。
そもそも考えることを許されているのか、それすら分からないのだ。
そしてそれでも、三輪車は進む。
静かに、ゆっくりと、だが確実に坂を登る。
やがてそのまま、大きく曲がった道の先、山肌の向こうへ姿を消すだろう。
――ああ。
そこで、私は一つ気付いた。
私は、それを見届けねばならない。
山肌の向こう、三輪車が視界から姿を消すその先を、改めて見届けねばならないのだ。
そして、もう一つ。
私はしかし、その先は決して見てはならないことも知っていた。
何がある、無いの問題ではなく。
ただ、見てはならないのだ――決して。
しかし、見届けねばならないのだ。
しかし、見てはならないのだ。
無人の三輪車は進む。静かに、ゆっくりと。
私はその後を追う。
蝉の声が耳を聾する。
肌を焼く熱気が耳を殺す。
喧噪と静寂が溶け合う。
存在しない私は、隔絶した世界に取り残される。
三輪車が、視界の向こうへと姿を消していく。
ああ、私は――見届けねばならない。
ああ、私は――見てはならない。