白色のイヤリング
「痛てて、まだほっぺがヒリヒリする」
「う〜、酷い目にあいました。アルシエ様め……」
俺とノエルは涙目で赤くなった頬をさすっていた。まだじんわりと痛みが残っている。
しかし、吊られた時も思ったが、アルシエ様はとんでもないバカ力のようだ。あのたおやかな腕のどこにあんな力があるのだろう?
俺たちにこんな仕打ちをしたアルシエ様は、平然とソファーに腰掛け、優雅に食後の紅茶を楽しんで――いや、ちょっと待って欲しい。そんなものを淹れた覚えは無いぞ?
「あの〜、その紅茶はアルシエ様が?」
「ええ、そうです。好きなんですよ、食後の紅茶。あなたたちの分もあります。遠慮なくどうぞ」
テーブルの上を見れば、いつの間にか俺たちの分の紅茶も用意されていた。
(……さっきまで無かったよな? また奇跡か何かだろうか?)
ピンクのバラが描かれた色彩豊かなデザインのティーカップに、湯気を燻らせた薄いオレンジ色の紅茶がなみなみと注がれ、フルーツのような甘い香りを漂わせていた。
何度か紅茶を飲んだことはあるが、この香りは嗅いだことがない。俺の知らない銘柄のようだ。
「はあ、お手ずから……になるのでしょうか? 何にせよ、ありがとうございます。いい香りですね」
「お気に入りのブレンドなのです。ほら、ノエルも座って座って。冷めない内に召し上がってください」
「ありがとうございます。私も紅茶は大好きなんです。では遠慮なく」
さっきまでアルシエ様に恨みがましい目を向けていたというのに、ノエルは一転して上機嫌となり、ウキウキとソファーに腰掛けた。我が義妹ながら現金なことだ。
俺もその隣に座り、ノエルと一緒に紅茶に口をつけた。
ほんのりとしたコクと苦みが口の中に広がり、爽やかな風味が鼻を抜けていった。
「うわ〜、すっごい美味しいです!」
ノエルが感嘆の声を上げ、アルシエ様は嬉しそうに微笑んだ。
「ふふっ、口に合って良かったです。カインはどうでしたか?」
「正直驚きました。こんなに美味しい紅茶を飲んだのは初めてです」
「それは何よりです。――さて、朝からバタバタとしてしまいましたが、そろそろ今日の予定について打ち合わせをしましょう」
元凶が何を言う、とは思っても言わない。余計な茶々を入れて再度ほっぺをつねられるのはゴメンだ。
大人しく話を進めよう。
「今日はテッド君の“聖別の儀”が予定されております。昨日、アルトさんは朝仕事が終わったらウチに来ると言ってたので、あと1時間後くらいだと思います」
「“聖別の儀”……ですか。たかが、加護者の登録に、これまた随分とご大層な名称が付けられてますね」
「女神様がそんな事を口にしないでくださいよ。ウチの教団の大事な資金源の一つなんで、ありがた〜い感じを出しているんですっ」
聖別の儀とは、エアリス教団が新しく加護者になった者の【祝福】を調べ、加護者としての証を発行する儀式である。
【祝福】とは女神様がお授けになる力、つまり、エアリス教団の管轄なので、加護者の認定も我々僧侶の聖務となっている。
……まあ、ぶっちゃければ、新しい加護者を仰々しい儀式で讃えて煽てれば、調子良くお布施を頂戴できるので、エアリス教団の専売事業としてやっているのである。
「はぁ、左様ですか。私も思うところはありますが、教団の方針には口を挟む気はありません。あなたたちが何をして、何を資金源にしようが自由です。好きにしてください」
アルシエ様は呆れてこそいるが、怒っている様子はなく、どうでも良いと言いたげだ。
(そうだよなぁ、いくら教団に金が落ちても、アルシエ様の懐には入ってこないもんな。そりゃ、どうでも良くなるか)
「……何かまたもや不届きな事を考えているような……? 追求したいところですが、時間が無いので見逃してあげます。ありがたく思いなさい」
アルシエ様がムスッとした顔で睨んできたので、心からの笑顔を返しておく。……何故か眼光が鋭くなった気がする。
「……それより、テッドに渡す物は準備できてますか? 昨晩と今朝は忙しかったでしょう?」
アルシエ様の問いかけに大きく頷く。確かに忙しかったが、それくらいは準備しておいたのだ。
「もちろんです。尤も間に合わせ品ですが。――ノエル、あれを持ってきてくれ」
「はい、兄さん」
ノエルに頼んで、今日テッド君に渡す予定の加護者の証を持ってきてもらうことにした。
聖別の儀で渡す証とはイヤリングのことである。
【祝福】の中には、発動すれば辺りに被害を与えるような強力なものも少なくない。それため加護者は、自分がどのような【祝福】を持っているのかイヤリングで周りに示すことを法律で義務付けられているのだ。
「お待たせしました」
ノエルがテーブルの上に白いイヤリングを置いた。剣の意匠が施されており、それなりに丁寧に作られた木製の品だ。
アルシエ様はそのイヤリングを持ち上げ、まじまじと眺める。
「白ですか」
俺はコクリと頷いた。
「本来なら、勇者であるテッド君には金の宝石付きを身に付けてもらうのですが、こんな田舎に、そんな高価なイヤリングはありません。仕方ないので、テッド君には、とりあえず仮の身分証としてそれをあげます」
イヤリングの色は【祝福】の危険度、意匠は分類を示している。
色は弱い順に青、黄、赤、白。意匠は様々あるが、剣の場合は武器関係だ。
例えば武器関連の【祝福】の場合、木の棒を出せる【祝福】を発現した加護者は青い剣のイヤリングとなり、これが鉄の剣なら黄色、炎を吹き出すなど特殊な能力が備わった剣なら赤色となる。
そして、武器が兵士100人分の戦力に匹敵するほどの強力な能力を持っていたりすると白色となるのだ。
なお、どの色、意匠であろうとも、個人の戦力が兵士1000人に匹敵すると認められると、イヤリングに宝石があしらわれることになる。
仮に俺とノエルがイヤリングを付けるとしたら白いイヤリングとなるだろう。宝石はあくまででも個人の武勇によるものなので、弱っちい俺たちには縁が無いのだ。
「そうですね。この教会に、貴族専用の銀や、王族と勇者にしか許されない金のイヤリングなどあるはずもありませんものね」
貴族様はどんな【祝福】に目覚めても一律で銀のイヤリングになる。平民以下の【祝福】だと貴族の沽券に関わるからであろう。見栄を張るのも大変だ。
それと同じ理由で王族様方は金のイヤリングとなる。
勇者様は特例として金のイヤリングを付けることになる。何せ女神様が指名した魔王討伐の戦士である。一国の王に等しい存在なのだ。……今回は違うが。
「ええ、ましてや宝石なんか置いていても泥棒を喜ばせるだけです。テッド君のイヤリングは王都の大聖堂で作ってもらいましょう」
「それが妥当でしょうね」
アルシエ様はイヤリングをテーブルの上に戻した。
「準備は大丈夫みたいですね。安心しました」
アルシエ様がそう言うと、ノエルが「はいっ」と勢いよく手を挙げた。どことなく機嫌が悪そうである。
「アルシエ様、問題があります!」
「何でしょう? 何か足りない物がありますか?」
はて? と可愛く首を傾げるアルシエ様に、ノエルはブスッとした顔で自分の頬を指で差し示した。
「いえ、コレの事です! こんなにほっぺが赤くなっていたら、私たちが朝っぱらから痴話喧嘩したみたいじゃないですかっ!」
確かにそうだ。まるでお互いに頬を引っ張り合ったみたいに見えてしまう。
アルシエ様も納得顔で「なるほど」と呟き、ポンと手を打っていた。
「……今朝ふとした事で夫婦喧嘩をしたと言えば――」
「いやですっ!」
アルシエ様の言葉を遮り、ノエルの絶叫が響いた。
「勇者様の“聖別の儀”をこんな顔で行っただなんて、一生村の笑い話にされます! お願いですから、今すぐ治してくださいっ! ほら、兄さんも一緒に頭を下げて!」
必死の形相をしたノエルの手が俺の後頭部に回され、無理矢理に頭を下げさせてきた。
(こんな事をしなくても、愛しいノエルのためにならいくらでも頭を下げるというのに……)
ヤレヤレ、強引な恋人である。
「アルシエ様、俺からもお願いします。可愛い義妹に恥をかかせたくありません」
頭上から深々としたため息が聞こえてきた。
「はぁ〜、罰だったのですが仕方ありませんね。顔を上げてください。治してあげます」
「「ありがとうございますッ!」」
こうして俺たちのほっぺは治療された。
これで俺とノエルは準備万全。心穏やかに礼拝堂でアルトさん一家の到着を待つことができたのであった。
【おまけ】
・昨日のこと
「そう言えばアルシエ様。昨日、テッド君は【祝福】を得たことを最初隠そうとしていたのはご存知ですか?」
俺が何気なく尋ねると、アルシエ様はキョトンとした顔で首を傾げた。
「いえ、知りませんでした。おそらく、ちょうど部下を折檻していたタイミングだったので見逃したのでしょう。しかし、何故テッドは【祝福】を隠そうとしたのですか? 得なことなんて何も無いでしょう?」
アルシエ様の言う通りだ。俺たちみたいな事情でもなければ隠し立てしても良いことなど無い。
もっと単純で、バカバカしい理由だったのだ。
「いえ、それがですね、本人曰く、『秘められた力があるとか、真の実力を隠すとかカッコいいじゃん』だそうです」
「……何ですかそれは」
呆れ果てるアルシエ様。その気持ちはよく分かる。昨日、俺も同じ気持ちになった。
ノエルにいたっては、ヤレヤレと肩をすくめ、小馬鹿にするようにテッド君を鼻で笑っていた。
「バカですよね。【祝福】の秘匿は重罪ですよ。しかもそれが武器系なら、最悪死刑にもなり得ます。考えが足りませんね」
「そうですね、重罪ですね」
アルシエ様が物言いたげな眼差しを俺たちに向けてくる。勘弁してほしい。
「んんっ! ……まあ、テッド君が【祝福】を得ているのは分かっていたので、俺がカマをかけたり、それとなく脅したりして白状させました」
テッド君が魔物を倒すところを、放牧場の陰に隠れて監視していたノエルが見ていたのだ。
「兄さんが『死刑になるかも』って言ったら泣きそうになってましたね」
「そこまで考えて無かったみたいだし、ちょっと脅し過ぎたかな?」
「いい薬ですよ。テッド君も少しは先のことを考えるべきです」
「違いない」
俺たちがワッハッハと笑っていると、その横でアルシエ様がガックリと項垂れ、ぶつぶつと何かを呟いていた。
「勇者がそんなおバカ……。この先が思いやられます……。いえ、一番のおバカは、そんな子を勇者にしたカインとノエルです……間違いありません……」