アルシエ様のお気持ち
アルシエ様の夜討ち朝駆けに加え、突然の同居宣言。立て続けの大騒動に、俺とノエルは朝からゲンナリとした気分である。
元凶のアルシエ様は、俺が案内した部屋に家具を設置しているところである。楽しそうに鼻歌まで歌って、人の気も知らず、実に上機嫌なご様子であった。
アルシエ様がパンッと手を叩くごとに、何も無い場所に絨毯やベッド、テーブルが造り出されていった。気がつけば壁紙まで華やかな柄に変わっている。
神話で語られるような神の奇跡がウチの教会で乱発されていた。
「アルシエ様、この部屋だけ貴族様のお屋敷みたいなのですが……。いえ、文句は無いのですけど、何か違和感が……」
「文句が無いのなら気にしないことです。自前で家具を用意しているのですから、好きにさせてください」
「……はい、仰せのままに。差し出口を挟みまして、大変申し訳ございませんでした」
結局はそう言うしかない。アルシエ様は女神なのだから。
しかし、恭しく頭を垂れた俺に、アルシエ様は変なものを見るような目を向けてきた。
「……今さらカインに畏まられると気持ち悪いですね。ノエルもそうですが、多少は気を楽にしても良いですよ。あなたたちに思うところはありますが、憎いわけではありませんし、一緒に暮らす以上、私も同居人として横柄に振る舞うつもりはありません」
「はぁ、そうですか」
俺が気のない返事をすると、アルシエ様はしんみりとした口調で言った。
「……神にいきなりそんな事を言われても困るでしょうね。ただし、これだけは覚えていてください」
こほんと咳払いを一つし、アルシエ様はプイっとそっぽを向いた。その横顔はどこか気恥ずかしそうである。
「――私は、自ら望んでここに住むことにしたのです。あなたたちの監督を部下に任せず、私自身が行う程度には、あなたたち兄妹を気に入っているのですよ」
そう言うと、アルシエ様はムスッと黙り込んだ。よく見れば耳がほんのりと赤くなっている。
そんな彼女の態度に俺は大いに困惑した。
(アルシエ様が俺たちを気に入っている? 神託に逆らってあれだけ迷惑を掛けたのに?)
昨日今日のアルシエ様の大激怒は記憶に新しい。一般的な常識に当て嵌めても、俺とノエルは神に叛いた大罪人だ。許されるどころか、好かれるなどあり得ない。
(どうして……? はっ、もしかして!? いや、まさかそんな訳……でもそうとしか考えられない……)
混乱する頭で俺は一つの解を弾き出した。到底信じられないような仮説だが、この矛盾を解消する答えはこれしかない。
(つまりアルシエ様は……)
「カイン? 先程から眉間に皺を寄せて何か考え込んでいるみたいですが、どうしたというのですか? まさか、いまさら、私がここに住むことに文句がある訳ではないですよね?」
アルシエ様が怪訝な顔で覗き込んでくる。
俺は覚悟を決めて彼女に仮説をぶつけることにした。間違っていたら失礼極まりないが、このモヤモヤを抱えて彼女と生活はできない。ここでハッキリとさせてしまおう。
「いえ、それについては何も。ですがアルシエ様、つかぬことをお伺いしてもよろしいですか?」
「ええ、まあ、いいですが……何ですか、そんな真剣な顔をして? 敬虔な神父みたいで気持ち悪いですよ?」
大きく深呼吸をして気持ちを整え、俺は意を決して口を開いた。
「実はアルシエ様はマゾヒストだったりなさいますか?」
「…………はい?」
アルシエ様の口がポカンと開いた。
もう後には引けない。俺は勢いに任せて理由を説明した。
「だってそうではないですか! 普段の礼拝だって真面目に祈らない、女神様のことなんて金儲けの道具としか思ってない、あまつさえ神託にも背く。そんなロクデナシである俺たちのことを気に入っているとおっしゃるんですよ。そんなの、アルシエ様が、不敬な扱いをされて悦ぶマゾヒストであるとしか考えられないではないですか! 実に、俺たちロクデナシ集団、エアリス教団が崇め奉る女神様に相応しい倒錯した性癖です!」
アルシエ様は数瞬呆けていたが、我に返るとわなわなと体を震わせ憤怒の形相で俺を怒鳴りつけてきた。
「ッ!? あなたはバカですか!? バカでしたね!」
「ぐえっ!?」
アルシエ様は俺の襟首を片手で掴み、そのまま身体ごと俺を吊り上げた。とんでもない膂力である。
「私は、あなたたちが神の思惑を何度も超えた事を評価したのです! 良い悪いは別として、カインとノエルが成し遂げたことは偉業と言うべきことであり、私は感動して、そんなあなたたちと――ああ、もうッ! 何を言わせるのですか!」
真っ赤な顔のアルシエ様がガクガクと俺を揺さぶる。早口で何事かを捲し立てているみたいだが、首が締まって意識が飛びかけているので、よく聞き取れない。
(今日は……こんな目にばっか……あって……。あっ……また……いしきが……)
「兄さん、アルシエ様、もうこんな時間です。早く朝食を食べないと――アルシエ様、何をなさって!? 兄さん、兄さん!? 生きてますか!? 死なないで!?」
落ちる直前、ノエルの「いやぁぁぁ!」という絶叫が聞こえたような気がした。
「気を楽に、とは言いましたが、侮辱してよい、とは言ってません。紳士を自称していたでしょう? アレが女性に投げかける言葉ですか?」
俺は居間の床に座らされ、アルシエ様に小言を言われている。
「それと、カインは貧弱過ぎます。ちょっと揺さぶっただけで気絶するなんて弛んでます。少しは鍛えませんか? さっきみたいに回復させますので、短期間で効率的な訓練ができますよ?」
ノエルに聞いた話だと、気絶した俺をアルシエ様が介抱してくれたらしい。……と言っても、一回手を叩いただけだが。
道理で首を痛めていないわけだ。心なしか体調も良いような気もする。奇跡って便利だ。
「謹んでご遠慮申し上げます。俺はまだ死にたくありません」
「訓練で殺したりしませんよ……。それに、死者蘇生は私の主義に反します。ちゃんと一歩手前で治療しますから死ぬことはありません」
もっと酷いじゃないか!
そんな目に合うくらいなら、いっそ一思いに殺して欲しい。
「……それを聞いて、俺が首を縦に振るとはお思いではありませんよね? 断固拒否させていただきます!」
「情け無い……」
アルシエ様がジトッとした目で見つめてくるが、俺の意思は変わらない。
少しだけ睨み合った後、根負けしたアルシエ様が大きなため息をついた。
「はぁ〜、向上心がありませんね。それでは人類の進歩に貢献できませんよ?」
「神様視点のスケールで語らないでください。元より貢献する気もありませんし、『しろ』と言われても困ります」
俺たちが無駄に壮大な話をしている間に、ノエルがテーブルの上に朝食を準備してくれた。
「お二人とも、お話しはそれくらいにして朝食を食べませんか? 時間も時間ですから、後がつっかえてますよ?」
ノエルが呆れたような口調で助け舟を出してくれた。
彼女が言ったように、今日は(アルシエ様のせいで)色々あったからスケジュールが詰まり気味なのだ。
「そうですね、急いでいただくとしましょう。ほら、カインも」
「はい、アルシエ様」
アルシエ様に促され、俺も席に座る。
今日の朝食はパンとハムとチーズの盛り合わせだ。
……いつもと同じメニューだが、はたしてアルシエ様にお出ししても良いものだろうか?
本人(神?)は気にして無さそうだが……。
俺とノエルがご機嫌を伺うようにチラ見したことに気がついたのだろう、アルシエ様は平然とした様子で、
「私は贅沢をしに来たのではありません。あなたたちと同じ物を食することに何一つ不満はありませんよ」
と言って下さった。
……文句を言ってくれたら、お帰りいただいたのに……。
くそっ、寛大な女神様めッ。
「カイン、不埒な事を考えている気配がしますよ」
「いえいえ、そんなまさか」
「ならば結構。さあ、食べましょう」
俺とノエルは手を組んで、食前の祈りを唱え……唱え……何か気まずいな。
横を向いたらノエルと目が合った。
「あの……兄さん……」
「皆まで言うな、同じ気持ちだ」
向かいでは、同じように手を組んだアルシエ様がニヤニヤ笑っている。
「どうしました? 早く唱えなさい」
「「……はい、アルシエ様」」
俺とノエルは眉間に皺を寄せながら祈りを口にする。
「「……偉大なる女神、シュール・エアラ様、今日も我らに生きる糧をお授けくださり、ありがとうございます……ッ」」
「はい、どういたしまして」
「「……我々は女神様の御慈悲に感謝し、日々を清く慎ましく生きていくことを誓います」」
「誓ったのでしたら守りなさいな」
「「……ッ、女神様の御威徳があまねく世界に広まりますよう、我ら一同、女神様のしもべとなり、民草を助け導きます」」
「励みなさい」
「「そのためにも、この食事により、先ずは自らの身を養うことをお許しください」」
「許しましょう」
「「……いただきます」」
「いただきます」
何か釈然としない。
【補足】
・アルシエが奇跡を起こす時に手を叩く理由
アルシエはノーアクションで奇跡を起こせますが、予備動作が無いと周りにいる人が心構えができません。
ずっと昔、部下たちに「いきなり発動されると心臓に悪い」と苦情を言われてから、手を叩くなど、何かしらの行動をするようになりました。
アルシエには大勢の部下がいます。ごく一部は今後の物語に登場する予定です。
・アルシエの態度について
アルシエの態度は初登場時と比べると少しずつ柔らかくなっています。特に「アルシエ」と呼ばれてからは顕著……に記述したつもりです。
筆者の力不足を痛感しております。
【おまけ】
・いただきます
これはアルシエ様が来て、まだ間もない頃のことである。
「アルシエ様、これから食前のお祈りは『いただきます』だけにしましょう。目の前に当の女神様がいると、素直な気持ちでノエルの料理に感謝できません。あと、口先だけのお祈りに茶々を入れないでください」
「私も兄さんに賛成です。食事の度に嘘をついて、モニョっとした気分になるのは嫌です。せっかく兄さんのために心を込めた料理が台無しです」
俺とノエルが口を揃えて提案すると、アルシエ様は微妙な表情で頷いた。
「……あけすけに言ってくれますね、このなんちゃって聖職者どもは。……まあ、正直、私も最初の一回は愉快でしたが、二回目からはあまり気乗りしませんでした。同じ食卓を囲んでいる相手に“偉大な女神”とか“女神様のしもべ”などと言わせていると、何かこう……虚しい気持ちになってくるのです」
理解できる気がする。よっぽどの厚顔無恥でないと耐えられない所業だろう。
「アルシエ様、やめましょう」
「賛成です」
こうして、食前のお祈りは「いただきます」のみ、ということが俺たちのルールとなった。