奇跡のような新生活
鶏の鳴き声が聞こえ、俺は目を覚ました。昨日とは比べものにならないくらい清々しい朝――と言いたいが、何やら教会の中が騒がしい。
ドタドタと誰かが走る音がするし、ノエルの叫び声まで聴こえてきた。
俺が、すわ一大事とベッドから飛び起きようとした瞬間、寝室のドアがバタンッと大きな音を立てながら開けられた。
「カイーーーンッ! よくもやってくれましたねッ!」
部屋に髪を逆立てた女神様が怒鳴り込んできた。必死に食い止めようとしてくれたのだろう、女神様の後ろでアタフタしているノエルが見えた。
女神様は昨日と同じワンピース姿だ。髪も輝いていない。
「よくも、よくも、よくもーッ!」
女神様は肩を怒らせて俺に近づき、ベッドに飛び乗って俺に跨ると、鬼気迫る形相で胸ぐらを掴んできた。
なにこれ、超怖い、命の危険を感じる!
「ひぃ、め、女神様、おはようございます。ど、どうか御心をお鎮め――」
「鎮められますかーーーっ! これを、どうやって、鎮めろと言うのですかーーーっ!」
女神様が怒りに任せて、ガクガクと激しく俺の胸を揺さぶってきた。
あっ、やばい、目が回る、意識が……。
「カインも、ノエルも、テッドも、どいつもこいつもーーーっ!」
「女神様、女神様、おやめください!? 兄さんが気絶してます! ちょっと、女神様、聴こえておられますか!? お願いです、やめてください!?」
「このロクデナシどもーーーっ!!」
目覚めて早々、俺は意識を失ったのだった。
俺とノエルは居間の床に跪いている。
女神様はソファーに座り、腕を組んで俺たちを見下ろしていた。青筋こそ立てているが、先程のような興奮は収まったらしい。口調も、恐ろしく冷たいだけで、激しいものではなかった。
「……史上最低の勇者です。カイン、ノエル、あなたたちのせいですよ」
「えっと……テッド君はそこまでの事をしましたか?」
女神様をここまで怒らせるとは……。
だいたい予想はつくが、あの子は一体何をしたんだろう?
女神様は眉間に皺を寄せ、忌々しそうに口を開いた。
「あなたの時と同じように、テッドを夢の世界に招きました。私が彼の前に姿を現すと――彼はいきなり私の服の裾を捲り上げようとしてきました」
「うわぁ……」
スカート捲りのつもりだろうか? 初っ端からやらかすなぁ。夢の中とはいえ、立派に性犯罪だ。
ノエルも信じられないという顔でドン引きしているぞ。
「私は身を翻して彼の手を躱し、やめるように言いましたが、彼は私の言葉を聞こうともせず、次は胸を触ろうとしてきました……。何を言っても無駄だと悟った私は、鎖で彼を縛り上げました。……こんな目にあったのは初めてです」
「その……テッド君は夢だと思っていたのでしょうね。私みたいな紳士はともかく、女神様みたいな美女が思春期男子の夢に出てくれば、若い欲望が暴走するのも無理ありま……いえ、その、スミマセン、睨まないでください」
ノエルにまで睨まれてしまった。ノエルだって、こうなる事は予想していただろうに……。
そう、テッド君は人一倍異性に興味深々な男の子なのだ。
スカート捲り、痴漢、水浴び覗き、彼が色気付いてから行ったセクハラ行為は枚挙にいとまがない。
村でもたびたび問題になるが、まだ未成年なので、ギリギリ、エロガキとして大目に見られているのである。
「さて、一番の問題はここからです」
女神様の目つきがさらに鋭くなった。声もどんどん冷え切っていく。
「私はテッドに勇者の使命を伝え、カインを供にして魔王討伐に赴くよう神命を下しました。そう、私の、神の命令です。それなのにあの子供は、あろうことか私の命令を拒絶しました。何と言ったか想像できますか? 『魔王討伐には行くけど、カインの兄貴は連れて行かない。俺はハーレムパーティの勇者になるんだ』、だそうですよ? ふざけるな、と思いませんか?」
心なしか空気が重く感じる。俺とノエルはダラダラと冷や汗を流した。
「あ、あはは、テッド君も男の子だなぁ」
「そ、そうですね。性欲しか頭にないのでしょうか? ほんと、困った子です」
バンッ!
女神様がテーブルを力強く叩いた。
「「ひっ……」」
思わずビクッと飛び跳ねてしまう。
女神様は俺たちを蔑むように見下ろし、
「カイン、ノエル、あなたたちはこうなると予想してテッドに勇者の任を押し付けましたね」
と憎悪を込めて言った。
俺とノエルは恐怖に耐えかね、バッと顔を背けてしまった。
「……やはりですか。……山ほど言いたいことがありますが、先に結論を伝えましょう。私もテッドを翻意させるため、健康に害を残さない範囲であの手この手を尽くしましたが、彼の意志は曲げられませんでした。パーティ内の不和は、魔王討伐に深刻な悪影響を及ぼします。よって、非常に腹立たしいですが、カイン、あなたを勇者の供とすることを諦めます」
俺は内心でホッとした。これで旅に出なくて済む。
隣のノエルからも安堵している雰囲気が伝わってきた。【祝福】なんかなくても、これくらいは感じることができる。
(良くやったぞ、テッド君! 俺は信じていた! さすがは、『都会に出て、沢山の美女を侍らすビッグな男になる』のが夢と言っていただけはある!)
小躍りしたいくらいだが、まだ女神様の御前だ、神妙にしなくては。
俯いて笑いを噛み殺していると、頭上から女神様の苛立たしげな声が聴こえてきた。
「ですが、このまま、あなたたち兄妹がのほほんと暮らし続けることは許しません。こんな事になった責任を取ってもらわなければ、私の怒りが収まらないのです」
「「へっ!?」」
顔を上げると、女神様は意地悪そうに嗤っていた。
「カイン、ノエル、あなたたちには勇者を補佐することを命じます。《予知》と《念話》の【祝福】ならば、この村から出なくても勇者に助言できるでしょう? それと、助言以外にも、諸々のトラブルが起きたら、あなたたちにも解決の手伝いをしてもらいます」
「「そんなっ、女神様!?」」
「今度こそ拒否は許しません! これは贖罪です! しかも、あなたたちに最大限譲歩した上での、です! 神罰を受けたくなかったら、大人しく命令に従いなさい」
女神様の目がマジだ。これを拒否したら、どんな目に遭わされるかわかったものではない。
チラッと横を見ると、ノエルと目が合った。
「兄さん、やるしかなさそう……」
「だな……」
俺たちはコクリと頷き、床に額をつけた。
「「謹んで拝命いたします」」
「よろしい!」
女神様は上機嫌になったようだ。声が一転して明るくなった。
「では、私もここで暮らしますので、部屋を用意しなさい。広さは問いませんが、日当たりの良い部屋が望ましいです」
「「……は? 今、何とおっしゃいましたか?」」
とんでもない幻聴が聞こえた気がする。いや、幻聴でないとしたら、嘘か冗談だろう。そうであって欲しい。
一縷の望みをかけ、女神様を見上げた。だが、俺の希望はすぐさま打ち砕かれた。
「ここに住む、と言ったのです。あなたたちは目離しできません。きちんと役目を果たせるよう、この私自ら監視してあげるのです。自分たちが聖職者だと言うのなら、泣いて喜びなさい」
……最悪だ、俺とノエルの二人っきりの生活が……。
ノエルも同じ気持ちなのだろう、おずおずと手を挙げて、控えめに女神様へと抗議していた。
「えっと……女神様のお気持ちは大変ありがたいのですが、なにぶん古くて寂れた小さな教会ですので、女神様に相応しいとは……」
「それを言ったら、この地上の何処にも神に見合う建物など有りませんから、どの建物を選んでも不合格になってしまうじゃないですか。それに、そもそも教会は“神の家”、つまり“私の家”です。分かったら、つべこべ言ってないで、早く部屋を準備しなさい。今日から忙しくなるのですよ」
「うぅ……、かしこまりました……」
ノエルは諦めて、すごすごと引き下がった。
ちくしょう、この女神様、俺たちのしょげた顔を見て溜飲を下げてやがる。ニヤニヤ笑いやがって、なんて性格の悪い女神様だ!
「ああ、それと、もう一つ言うことがありました」
女神様はポンと手を叩いた。
「私のことを“シュール・エアラ”ですとか、“女神”などと呼んでいるのを他人に聞かれると面倒でしょう? ですから、私のことは“アルシエ”と呼びなさい」
「アルシエ……様……ですか?」
「はい、そうです!」
俺がアルシエ様と呼ぶと、何故か女神様はとても嬉しそうに微笑んだ。
思わず見惚れてしまうほどの輝くような笑顔だった。
「ちょっと、兄さん?」
はっ! いかんいかん、ノエルの目の前だ!
「フフッ、あなたたちは本当に仲が良いのですね」
女神……いや、アルシエ様がクスクスと笑い、ノエルは恥ずかしそうにそっぽを向いた。
アルシエ様はひとしきり笑うと、キリッと表情を引き締めた。
「さて、カイン、ノエル、これからよろしくお願いしますね。今度こそ、誠心誠意、役目を果たしてください」
「「はい、アルシエ様!」」
こうして、アルシエ様が加わり、俺の新しい生活が始まったのだった。
【補足】
・アルシエについて
本作のメインヒロイン。外見は17歳の少女だが、実年齢は計測不能。
カインとノエルに文句を言うため、現世で活動するための体を“神の奇跡”で造り、「夢の世界」からノール村にやって来た。
現在の肉体は普通の人間と同じもの。ただし、かなりハイスペックである。
「夢の世界」とは自由に行き来ができる。
実年齢の割に老成しておらず、外見相応の振る舞いをしているのには理由がある。
奇跡を起こすことで何でもできる。