信仰心ゼロの兄妹
夜明け前、けたたましい鶏の鳴き声が村中に響き渡る。
その声で俺は目を覚まし、ベッドの上で上体を起こすと、キョロキョロとあたりを見回した。
当たり前のことだが、ここは雲の上などではなく、何の変哲もない俺の自室だ。薄暗くてよく見えないが間違いないだろう。
「変な夢だったな……」
思わず独り言を呟いてしまった。無理もない、夢とは思えないほど現実的だったのだ。
(バカバカしい内容だったし、気にするようなことではないか? ……とりあえず顔を洗って、朝の礼拝の準備をしないと)
そう考え、ベッドから降りると同時に、部屋のドアがコンコンとノックされた。
「兄さん、起きてますか?」
「ああ、起きているよ」
ドアの外から女性の柔らかな声が聞こえてきた。俺にとって何より大事な“彼女”の声だ。
ガチャリとドアを開け、シスター服を着た、顔立ちの整った少女が入ってくる。サラサラのライトブラウンの髪を肩の高さで切り揃え、淡褐色の瞳をした、知的で真面目な、やもすると冷たい性格であると他人に思われるような容姿の女性である。
「おはようございます、兄さん。さっさと身支度を済ませてください。面倒くさい朝の礼拝をちゃちゃっと終わらせて、一緒に朝食を食べましょう。私、お腹が空きました」
……まぁ実際は、見た目とは裏腹に、四角四面とは真逆の性格であるのだが……。
なお、俺は「兄さん」と呼ばれているが、少し訳ありで、彼女とは血のつながった実の兄妹ではない。
彼女――ノエルは3つ年下の義理の妹だ。ノエルは幼い頃に両親を事故で亡くし、行く当てがないので、家族ぐるみで仲の良かった俺の両親が養子として引き取ったのだ。
以来、ノエルとは兄妹として育った。そして、今は恋人として、この教会で生活を共にしている。
「? どうかしましたか? ぼーっと黙って私の顔を見て。そんなに私が綺麗ですか? それとも体調でも優れないのですか?」
ジッとノエルの顔を見つめていたら、心配そうに尋ねられてしまった。いかんいかん、まだ少し夢うつつだったようだ。
「あ、ああ、ごめんノエル。ちょっと寝ぼけてたみたいだ。変な夢を見たせいで頭がハッキリしなくて……。すぐに顔を洗って目を覚ますよ。あっ、ノエルは今日も綺麗だよ」
「ありがとうございます。兄さんも寝ぼけ眼がキュートですよ。――それにしても変な夢ですか……どんな夢ですか?」
ノエルが訝しげに俺の顔を見上げてきたので、彼女の頭に手を添え、髪を梳くように優しく撫でた。気持ち良いのか、ノエルの目が細まった。
「実は、恥ずかしいくらいに子供っぽい夢を見たんだ。何と女神様が現れて、俺に――」
俺はノエルを安心させるように、軽い口調で夢の内容を語った。
しかし、話を聞き終わったノエルは、何やら難しい顔をしている。どうやら気になることがあるようだ。
「う〜ん、確かに可愛らしい夢ですけど、やっぱり気になります」
「何が? もしかして、本当に女神様のお告げだったなんて言わないよね?」
ノエルは俺の言葉を、それは無いとばかりに鼻で笑って、顔の前でブンブンと勢いよく手を振って否定した。
「まさか! サリィちゃんが勇者様に選ばれるのはともかく、兄さんみたいな破戒僧が勇者様のお仲間である訳が無いじゃないですか! 子供たちの夢が台無しになりますよ」
自分でもそう思う。外面は取り繕ってはいるけど、中身はコレだからなぁ。
もっとも、ノエルも似たようなものだが。
「私が気になっているのは別の箇所です。『村に弱い魔物が現れる』、兄さんはさっきそう言いました。兄さん……寝ている間に無意識で【祝福】を発動していたりしませんか?」
「寝ている間に? そんなことは一度も無かったけどなぁ」
ノエルだけは俺が加護者だと知っている。もちろん、俺の【祝福】についても詳細に知っていた。
ここだけの話、実はノエルも国に無申告の加護者だ。ノエルの【祝福】は非常に有用かつ、悪用すれば危険な能力なので、発覚すれば俺以上に自由が無くなる。
俺たち兄妹はこの安穏とした生活を続けるため、世間に【祝福】のことを秘密にしているのである。
「万が一ということもあります。念のために確認してみたらどうですか?」
「うん、ノエルが気になるのなら確かめてみようか」
俺は目を閉じて意識を集中し、自分の【祝福】――《予知》を発動させようとした。
この《予知》は“一か月に一度だけ正確な未来を見ることができる能力”である。もっと詳しく言うと、“一か月に一度は正確な未来を見えて、それ以外はあやふやな未来が見える能力”である。
《予知》を使うだけなら何度でもできるのだが、一度正確な未来を見ると、それから一か月が経つまでは正答率が著しく下がり、不確かな未来しか見えなくなってしまうのだ。
そして何より危険なのが、この《予知》で見た未来は変えられるのだ。このことが国にバレたら、俺は間違いなく捕らえ、死ぬまで国のために能力を使い続けさせられるだろう。
「この前《予知》を使ったのが2ヶ月前。……この感じだと、それ以来《予知》は発動してないね」
どれくらい正確な未来予知ができるかは感覚的になんとなく分かる。今なら100%確実な未来が見えるはずだ。
「これで寝ている間に《予知》を使っていないことが分かったけど、一応、未来を見てみようか」
「それが良いと思います」
「さてさて、本当に今日、村に魔物が現れるのかな?」
俺は《予知》を発動し、未来を垣間見た。脳裏に雷のような速さで未来の光景が流れる。
未来を見終わり、俺は目を開けた。ノエルが興味深そうに俺を見ている。
「どうでしたか?」
俺は強ばった笑みを浮かべた。
「ヤバい、マジで魔物が放牧場に出た。ウサギっぽい魔物をサリィちゃんが蹴っ飛ばしたら、一撃でコロッと死んで、サリィちゃんが【祝福】に目覚めるのが見えた」
「大変じゃないですか!?」
「なんか、凄くピカピカした剣を取り出してた。いかにも《聖剣》って感じのヤツ……」
「……」
ノエルが口をあんぐりと開けて驚いた。俺も同じ気持ちだ。……どうしよう、アレって本物の女神様だったりしたのだろうか?
何にせよ、これは看過できない。俺たちは深刻な表情で顔を突き合わせた。
ノエルはアタフタと慌てている。
「兄さん、マズイですよ! このままサリィちゃんが勇者様になったら……」
「ああ、ダン君と結婚できなくなってしまう。結婚が決まってから、二人ともずっと幸せそうだったのに、あんまりだ」
「それに、ウチに入ってくる予定のお布施もパァです! あのお金で教会の修繕をしたかったのに!」
「……礼拝堂の扉もだいぶガタがきているからなぁ」
少し話がずれた。俺はこほんと一つ咳払いをして話を戻す。
「……サリィちゃんは勇者様になんかなりたくないだろうな……」
俺が呟いた言葉に、ノエルは俯いてしまった。
「……サリィちゃんはダンさんと夫婦になることが夢だと言ってました。望んでもいないのに、強力な【祝福】を押し付けられるなんて悲劇です。……少なくとも、私はそう思います。こんな力なんて、兄さんとの生活には必要ありませんでした……」
「……俺もそう思うよ」
俺たちは【祝福】を得て、要らぬ苦労をさせられている。サリィちゃんのことは他人事には思えなかった。
「……未来を変えちまうか?」
「いいんですか? 世界の命運がかかっているのでは? それに、未来を変えれるんですか? 女神様が関わっているんでしょう?」
「んー、《予知》で見た感じ、かなり大雑把な計画だったから、楽に介入できると思う。あと、未来を変えないと、俺がサリィちゃんの仲間として旅に着いていく羽目になるかもだし……」
ノエルがハッとした顔つきになる。
「それはダメですッ! やりましょう、兄さん! 世界平和より、私たちの幸せですッ!」
良かった、ノエルも賛成してくれたようだ。
さて、俺も腹をくくろう。女神様には悪いが、今回は勇者からお供まで、何もかもが人選ミスだ。このまま黙って“使命”とやらを受け入れる訳にはいかない。
「よしっ、そうと決まれば早速作戦を立てよう。時間は少ししかないぞ」
「はい、今日は朝の礼拝は無しです! 面倒ごとを持ち込んだ女神様になんて、祈ってあげませんッ!」
ノエルの目が据わっている。相当腹を立てているみたいだ。
(ノエルは昔から怒らせると怖いからなぁ)
余計なことを考えてしまった。今はサリィちゃんのことに集中しないと。
俺は大急ぎで服を着替えながら、ノエルと作戦を練るのであった。
【補足】
・カインについて
本作の主人公。
18歳。ブロンドの髪に蒼眼の青年である。
仕事中はいつも人好きのする微笑みを浮かべており、相談事にも真摯な態度で対応するので、村人からの好感度は高い。信仰に篤く、穏やかで真面目な神父と思われている。
勿論これは彼の処世術であり、実際は信仰心など皆無、紛れもなくエアリス教の神父である。
自分とノエルの幸せが最優先で、その他は二の次三の次。今の生活を快適に過ごすために外面を良くしているだけである。
《予知》の【祝福】に目覚めた加護者だが、周囲には隠しており、知っているのはノエルだけである。