ノール村の風景
「……くれぐれも気をつけてくださいね」
「しつこいですよ、カイン。私なら大丈夫です。ほら、二人とも、とっとと出発しなさい」
あくまでも「大丈夫」と言い張るアルシエ様は、鬱陶しそうな表情で俺たちの背中をグイグイ押してきた。
先程の予知のこともあってとても不安だが、神頼みもできないし、もう諦めるしかないだろう。
「……分かりました。それじゃあ行ってきます」
「行ってきます」
俺は居間のドアを開け、ノエルと共に、アルシエ様に挨拶をする。
アルシエ様は軽く手を振った。
「行ってらっしゃい。遅くなりそうなら《念話》をしてくださいね」
俺たちはアルシエ様に見送られ部屋を出た。
ノール村の教会は村はずれの小高い丘の上に建っている。村の中央にある集会所までは少し歩かないといけない。
「晴れてよかったな」
「そうですね。あっ、そうだ! 帰り道にお買い物をして良いですか?」
「いいぞ、何を買うんだ?」
「お夕食の材料……と思っていたのですが、兄さんが一緒なら重たいものも買いたいですね。ちょっと考えておきます」
ノエルはふんわりと微笑み、「あれと……あれも……」と呟きながら指を折り始めた。
いったい、俺にどれだけの荷物を持たせる気なのだろうか?
「……お手柔らかにな」
俺はげんなりと肩を落とし、村への道のりを下っていく。
まだまだ中腹。周囲を見渡せば、丘を下った所にあるノール村と、地平線まで続くだだっ広い牧草地が一望できた。
この村の主産業は酪農である。丘から村までの道の途中にはいくつもの厩舎が立ち並んでいて、ポカポカと暖かい日差しにまどろむ牛や馬たちの姿が見えた。
東側には地元民から「チビ山」と呼ばれている小さな山がある。先日魔物が(アルシエ様のせいで)出た、アルトさん家の放牧場はあの山の麓の一角だ。
なお、「チビ」という名前から察せるだろうが、「デカ山」もある。こちらは教会の裏手、村とは反対方向に半日ほど歩いた先に聳え立っている。
国一番……ではないだろうが、五番以内には入るくらいの標高だと思う。
「ところで、テッド君は今日の集会に来るのでしょうか?」
ノエルがふと呟いた。
普段のテッド君だったら、退屈な集会になぞ、まず来ないであろう。
「でも、今日の主役だぞ? 来なきゃ話が始まらないだろ? それに、仮に本人が嫌がってもアルトさんが引き摺ってでも連れてくるだろうさ」
「だと良いのですが……」
ノエルは頬に手を当て、「う〜ん」と何やら悩んでいる。
「何か心配な事でもあるのか?」
ノエルは僅かに頷いた。
「はい。以前のテッド君ならいざ知らず、今の彼は勇者です。……確か伝承では、《聖剣》のスキルを発動すると身体能力が向上したはずです」
確かにそうだ。『祝福事典』にもそのような記述があった。
昨日、テッド君は何度かアルトさんやサリィちゃんにしばかれていたが、あの時は聖剣を出してなかった……気がする。
「つまり今のテッド君なら……」
「ええ、嫌な事や面倒な事から易々と逃げ出せます」
親から逃げるために《聖剣》スキルを?
……アルシエ様が聞いたら、どんな顔をするだろうか?
しかし、それならそれで――。
「なあ、ノエル。ちょっと考えたんだが、テッド君がいない方がスムーズに話が進まないか?」
「……!」
俺がそう言うと、ノエルはピタッと足を止めた。そして、小首を傾げて少し思案すると、ポンと手を打った。
「そうですねっ! その方が良さそうです! どうせテッド君が居ても、チョーシこいたり、空気読めない発言をするだけなので、別に要りませんねっ!」
(いや、そこまで言うつもりは無いんだけど……)
ノエルはすっかり明るい表情で、元気一杯、再び歩き始めた。スタスタと俺を追い越し、クルッと振り向いて手招きまでしている。
「ほら、兄さん! 早く早く!」
「はいはい」
(まあ、ノエルが笑顔ならそれで良いか)
俺はノエルの後に続いて村へと向かった。
村に入ると、道に沿って建ち並ぶ木の家が目に入る。
デカ山から良質の木材が採れることもあって、ノール村の建物は基本的に木造建築だ。
例外的に教会は石造だが、それも外側のみで、床などの内装は全て木材である。
「あら、お二人さん! 相変わらず仲が良いわね、お買い物?」
道行く中年女性に話しかけられた。40くらいのすらっとした長身の女性である。肩のところで切り揃えた髪をヘアバンドで留めた、きっぷのいい女性である。
「リンダさん、こんにちは。今日はほら、集会に」
俺がそう言うと、その中年女性――リンダさんは、「ああ」と得心顔になった。
「そういえばそうだったね。ウチの旦那も集会所に行ってんだった。忘れてたよ」
そう言ってリンダさんは「アッハッハ」と快活な笑い声を上げた。相変わらずカラッとした女性である。
「そんじゃあ、こんなとこで無駄話に付き合わせられないね。またな、お二人さん。今度ウチの店で何か買っていっておくれよ」
「はい、その時はお世話になります」
「失礼します」
リンダさんに別れを告げ、俺たちは真っ直ぐ村の中を進んでいく。
途中、村人たちと挨拶を交わしながら歩いて行くと、目的の集会所はすぐに見えてきた。村で一番大きな建物である。こじんまりとした家ばかりのノール村では特に目立った。
集会所の入り口までたどり着く。建物の中から、ガヤガヤと無秩序なざわめきが漏れ聞こえてきた。どうやらまだ臨時集会は始まっていないようである。
扉を開いて中に入ると、そこには60人ばかりの男衆が集合していた。当然、アルトさんや村長の姿もある。
アルトさんは申し訳なさそうに村長へとペコペコ頭を下げていた。――なお、アルトさんの隣にテッド君の姿は無い。
「兄さん、テッド君いませんね……」
「ああ、そうみたいだな……」
どうやら危惧したことが起きたようだ。
俺たちは周りの人に挨拶をしながら、真っ直ぐアルトさんたちの元へ向かった。
「メルド村長、アルトさん、こんにちは。遅くなったみたいで申し訳ありません」
「こんにちは」
軽く会釈をして二人に声をかける。
俺たちに気がついたメルド村長はこちらを向いて、
「ああ、カイン神父様、シスター・ノエルも。こちらこそ、わざわざお呼び立てしまして申し訳ございません。やはり女神様の事となると、神父様にお話いただいた方が説得力がありまして」
と挨拶を返してくれた。
「いえいえ、これも私どもの勤めでございます。喜んで協力いたしますよ。……ところでテッド君はやはり……」
「へい……逃げられました」
アルトさんは心苦しそうに身を縮めている。
「あのヤロウ、『集会なんて面倒だ』なんて抜かして逃げようとしたんです。俺はアイツの耳を掴んで引き摺って行こうとしたんですが、アイツは聖剣を取り出して、すんげぇ速さでオレの手を避けたんです。……次の瞬間には、二階建ての家の屋根にジャンプ一つでピョンと飛び乗って逃げちまいました……。面目ねぇ……」
アルトさんはガックリと項垂れた。
俺は「まあまあ」とアルトさんに声をかけた。
「そう落ち込まないでください。テッド君には後で私の方からも一言叱っておきますので」
「すんません、手間をかけます……」
そろそろ集会を始めるのだろう、メルド村長が「コホン」と咳払いをした。
集会所のざわめきがピタリと止んだ。集会所内の視線がメルド村長に集中する。
メルド村長は一度グルっと村民を見渡し、声を張り上げた。
「さて、皆の衆! だいたい集まったようだし、臨時集会を始めよう! 議題は周知の通り、ここにいるアルトの息子、テッドが勇者様に選ばれたことについてだ!」
臨時集会は、まず事の経緯を村民に解説することから始まった。
メルド村長は、一昨日の魔物出現から昨日の聖別の儀までを淡々と語り、俺は要所要所で補足を入れた。
そして、メルド村長が話し終わると集会所内は再びざわめき出した。