三文芝居
「カイン神父様、本日はありがとうございました……」
「礼儀も知らない子で……お恥ずかしく……。私たちの躾が足りないばかりに……」
聖別の儀が終わると、アルトさん夫妻がイスから立ち上がり、頭を下げて礼を述べてきた。
二人ともまだ心の整理がついていないようで、声はオドオドとしているし、顔色も悪い。息子が勇者となったショックはかなりのもののようである。
あまつさえ、途中テッド君は女神様にセクハラをしたことを告白している。叶うなら消えてしまいたいくらいの気持ちだろう。
「いえ、私は神父としての義務を果たしただけですので、お気になさらず。その……テッド君の振る舞いには思うところがありますが……私の方からは何とも、女神様がどう思われたか……う〜ん……」
俺が腕を組んでいかにも「困ったぞ」という顔をすると、アルト夫妻はサーッと顔を青ざめさせた。
二人は泡を食って女神像に駆け寄り、その脚に涙ながらに縋りついた。
「あんたも来なさいっ!」
「ぎゃあっ!」
サリィちゃんも、テッド君の耳を引っ張りながら二人に続いた。痛そうである。
「女神様、どうかお許しを!?」
「なにとぞ、なにとぞお願いします。厳しく叱りつけますので、どうか我が子を見捨てないでください」
「不敬の罰は姉である私が受けます! ですからどうか、過酷な旅にでる弟に女神様のご加護を下さいまし!」
「バカやろう! それは父親である俺の役目だ! 女神様、責任は全て俺にっ!」
「ギャー! 痛てぇよ、姉貴! 耳、千切れるって!」
『ダメです。絶対に許しません』
一家の必死の訴えも虚しく、すげなく却下されてしまった。一片の慈悲も感じさせない、厳しい口調である。
『手厳しいですね』
『私はセクハラをする男が大っ嫌いなのです。使命を果たしてもらうための助力だけはしますが、それだけです。二度と話したくもありません。それに、肝心のテッドが謝ろうとしていないじゃないですか!』
そうなのである。テッド君は「痛い痛い」と喚くだけで一切謝ろうとはしていないのだ。
『アルトさんたちも幾度となく叱ってはいるんですけどね〜。村の女衆からも制裁を受けているんですけど、あれだけは治らなくて』
『どうも彼は嘘をつきたくないらしくて、悪いと思ってないから、ごめんなさい、と言わない。何度でもやるから、二度としません、とも言わないみたいなんです』
『クズですね』
アルシエ様はそう吐き捨て、それっきり押し黙ってしまった。話はお終いのようだ。
(テッド君の場合は正直が美徳にならないからなぁ。もうちょっと要領良く生きれないもんだろうかね?)
テッド君の将来も色んな意味で心配だが、今は、彼のために祈りを捧げる家族を安心させてあげよう。
……いつまでも女神像に縋りつかれていると片付けの邪魔なのだ。
俺はアルト一家のそばに寄り、優しく慈愛に満ちた声を意識して、ゆっくりと語りかけた。
「皆さん、ご安心ください。女神様は慈悲深き御方。テッド君の振る舞いにお怒りになられたとしても、皆さんが真摯に反省する姿をご覧になって、きっと御心を鎮められたことでしょう。大丈夫、テッド君は女神様のご加護を頂けますよ」
その後、幾らか言葉を尽くしたおかげでアルトさんたちは表面上は落ち着くことができたのであった。
「それではカイン神父様、今日のところはこれで帰ります。後日、相談に伺わせてもらいますので、どうかよろしく」
「はい、メルド村長。その時はよろしくお願いします」
「サリィ、また後で。お義父さん、お義母さん、失礼します。テッド君もお疲れ様」
「ダン、今日はありがとう」
「へへっ、いいもん見れただろ? 来て良かったな、ダンの兄貴!」
儀式も終わったので、みんな別れの挨拶を交わして帰り始める。時刻はもうすぐお昼。少し時間が掛かってしまったが、無事に終わって良かった。
「それじゃあ俺らも失礼します。ほら、テッドも帰るぞ」
「……あ〜、親父たちは先に帰っててくれよ。俺、ちょっとカインの兄貴に聞きたいことがあんだ……」
アルトさんも家族を引き連れて帰ろうとしたが、テッド君はここに残るらしい。……おそらく例の件についてであろう。
丁度いい、俺もそのことについて話し合っておきたかったんだ。
「あっ? 今すぐか?」
「まあまあ、アルトさん。私なら問題ありません」
「はあ、神父様がご迷惑でないのでしたら……。おい、テッド、昼食までには帰ってこいよ」
「おう、わかってる」
アルトさんはテッド君を置いて先に帰った。村長親子も帰ったので、礼拝堂には俺とノエルとテッド君しかいない。
「それで? テッド君は何を聞きたいんだい?」
アルシエ様に尋ねたところ、夢の中でテッド君に俺が加護者であると伝えたそうだ。ただし、言ったのはそれだけ。予定では【祝福】の内容など詳しく教えるつもりだったらしいが、テッド君のセクハラに嫌気がさし、話半分で切り上げたそうだ。
だから彼は、俺の《予知》についても、ノエルが加護者であることも、アルシエ様が先に俺へと神託を下したことも知らない。
そのためテッド君はチラチラとノエルの方を伺っている。昨日、他ならぬ俺自身が脅したように【祝福】の隠蔽は重罪なのだから。
「その……、大きな声じゃ言えないんだ。耳を貸してくれよ、兄貴」
「? いいけど、いったい何だい?」
俺は何も知らない体を装って耳を近づける。
テッド君は躊躇いがちに口を開いた。
「さっきは言わなかったんだけど、俺さ、夢に出てきた女神様に兄貴を旅の仲間にするように言われたんだよ。……兄貴が実は加護者だって言うんだ。ホント?」
「ッ!?」
俺は“いかにも驚愕してます”という表情を作り、テッド君からバッと身体を離した。
「女神様が……そう仰られたのだね?」
セリフを挟み、ヨロヨロと一歩二歩後退りしてから、観念したかのように床に膝をついた。我ながら名演である。
「兄さん!? テッド君! あなた、何を言ったのッ!」
《念話》での打ち合わせ通り、ノエルは動揺したフリをしながら駆け寄って俺の肩を抱いた。そして親の仇のごとくテッド君を睨みつける。
我が恋人ながら鋭い眼光。テッド君もタジタジである。
「いや、俺は、その……っ」
「ノエル、やめなさい。テッド君は何も悪くないよ。……テッド君、私が加護者であることはノエルも知っているよ」
ノエルが顔色を変えて俺の方を向いた。
「そんなっ、どうしてその事をテッド君が!? 私たちしか知らないはずなのに!?」
「女神様がお伝えになられたそうだ。……私に勇者の仲間になれと仰せらしい。ふふっ、やはり女神様に隠し事はできないな」
「うそ……兄さんが……。兄さんが旅に出たら、私は一人でどうやって生きていけばいいの? お願い、私を一人にしないで!」
感極まった様子のノエルが胸の中に飛び込んでくる。俺も力一杯に彼女を抱きしめた。
テッド君は狼狽えている。口をパクパクさせ、何かを言いたげだが、雰囲気に呑まれて切り出せないらしい。さっきまでの空気の読めなさはどこいったのだろう。
「ノエル、ダメだよ。これは女神様の決定なんだから従わないと。私もノエルを置いていきたくはない。でも、危険な旅にノエルを連れては行けないんだ……」
「兄さんッ、兄さんッ……ううぅ……どうして兄さんが……」
ノエルは俺の胸に顔を埋め、イヤイヤと首を振っている。こういう仕草も愛おしい。役得だな。
『演技過剰でワザとらしいです。セリフも白々し過ぎて真っ黒な腹の底が見透かせますね』
熱のこもったリアルな演技のつもりだったが、たった一人の観客には不評のようだ。
(我ながら王都の国立劇場でも披露できそうな演技だと思ってたんだけどな)
「あ、あのっ! 兄貴は旅に行かなくても大丈夫っ! 俺っ、ちゃんと断ったから!」
意を決したテッド君が大声で口を挟んできた。
「えっ……? それはどういう事だい?」
「女神様には兄貴を連れてけって言われたけど、俺、一緒に旅をするなら女の人とが良いんだ。……兄貴が真面目なのは知ってるけど、どーしてもそこは譲れなくて、女神様に『嫌だ』って言ったんだ……。なあ、兄貴は俺の夢を知っているだろ? それに男なら俺の気持ち、分かってくれるよな?」
さすがのテッド君も女神様に逆らうのが不味いとは思っているらしい。声が震え、縋るように見つめてきた。
天にツバ吐く行為に、俺はショックのあまりワナワナと震え出した。もちろん演技である。
「テッド君……女神様の意に背くなんて……。あぁ、でもっ、ノエルを一人には……っ」
俺はノエルをそっと離し、酷く困惑した風を装って、ヨロヨロと女神像の方に向き直る。誰がどう見ても“信仰と愛の板挟みに苦しむ神父”そのものだ。
ここでクライマックス。女神像に向かって真摯に祈りを捧げる。
「女神様、私はどうすれば……」
『もうどうでもいいです。好きにしてください、このロクデナシども』
「!? テッド君! 今、女神様のお声が聴こえた! 私に『このノール村でノエルと過ごすように』と仰せだ。恋人を想う私の姿に胸打たれたそうだ。ああ、女神様、ありがとうございます!」
突然のありがたい神託に、ノエルとテッド君の表情が明るくなる。
ノエルはともかく、テッド君は俺が嘘をついているとは微塵も思っていない。日頃の行いが良いおかげだな。
「ホント!? 良かったじゃん兄貴!」
「グスッ、なんと慈愛溢るるお言葉! 女神様に感謝を! 仰せの通り、兄さんと一生添い遂げます!」
『ノエル、願望が混じってますよ』
『すいません、アルシエ様。つい本音が』
ひとしきり喜びを分かち合ったあと、テッド君には俺の【祝福】について口止めをした。
テッド君は、「絶対に誰にも言わない。男の約束だ」と言ってくれた。こういう時、嘘を言わないテッド君は信用できる。ひとまずは安心だろう。
テッド君を家に帰し、これにて作戦は全て終了。あー疲れた。
【おまけ】
・聖別の儀が終わって
テッド君を見送り、俺とノエルはホッと一息をついた。結果は上々。当初の予定通り、テッド君だけが旅立つことになった。これで一安心だ。
『お疲れ様……と言うのは癪に触りますね。私としては計画を台無しにされた訳ですし……』
やさぐれたアルシエ様の声が聞こえてきた。彼女の立場ではイヤミの一つも言いたくなるだろう。
だが、アルシエ様はフゥと軽くため息をつくと、急にどこか達観したような、それでいて熱を秘めているような口調に変わった。
『……しかしまあ、希望通りになって良かったじゃないですか。せっかく本来の計画を台無しにしたのですから、このまま頑張ってください。私はそれを見たいのです』
『……いいのですか?』
アルシエ様の口調に戸惑い、我ながら情け無いことを口走ってしまった。もう既に引き返せないというのに……。
案の定、アルシエ様に失笑された。
『何を今更。あなたたち二人が望んだことでしょう? 最後までやり遂げてください。私が最初に思い描いていた最良の結果ではなくても、そちらの方が価値ある結末だと思いますよ?』
『“価値ある結末”? 俺とノエルにとってですか?』
『……まあ、それはともかく、早く片付けをして戻ってきてください。もうすぐパスタが茹で上がります。あんまり遅いと伸びてしまいますよ』
俺とノエルは顔を見合わせた。どうやら聞き間違いではないらしい。
『アルシエ様? 今、“パスタ”と聞こえましたが、もしかして昼食を作ってくれているのですか?』
恐る恐る尋ねると、あっけらかんとした返答が返ってきた。
『そうですよ? 台所にあった食材を勝手に使いましたが問題無いですよね? チーズたっぷりのクリームペンネです』
『料理、できるんですね……』
『意外です……』
『神は多芸なんですよ。ほら、早く帰ってきてください』
アルシエ様の手料理……果たしてそのお味は……?
「ノエル、急いで片付けよう。凄く気になる」
「賛成です、兄さん。自信満々な様子が期待できる気もしますし、逆に不安なような気もして判断がつきません。早く食べてみたいです」
俺たちは頷き合い、手早く礼拝堂を片付けるのであった。