聖別の儀
「ウチの村から勇者様が誕生するとは……。これは御領主様へご報告しなければならないだろうな」
メルド村長が重々しく口を開いた。相変わらずダンディな声である。
「遠からず国王陛下の御耳にも入るだろう。……忙しくなるな。――カイン神父様、エアリス教団への連絡は任せても?」
「はい、もちろんです。北方教区長のスモーク司教様にこのことを連絡し、王都の教皇猊下にお伝えしていただきます。……ですが、歴史書では過去に勇者様が任命された際、『夢の中で女神様は、当時の国王陛下と教皇猊下に勇者を選定したとお告げになられた』とあります。もしかしたら今回もそうかもしれません」
メルド村長は腕を組み、深々と息を吐いた。
「……話が早いのは結構だが、こちらにはこちらの準備がある。いきなり国や教会の御使者様がいらっしゃっても、この村では満足に受け入れることなど出来んぞ。勘弁して……失礼、つい女神様への不満を口にしてしまった。女神様、どうかお許しを」
メルド村長はサッと顔色を変えて、その場に跪き、礼拝堂正面に安置されている女神像に向かって一心に懺悔し始めた。真面目なことである。
『謝罪は受け入れますが、既に国王と教皇には連絡済みです。数日中には使者がノール村に到着するでしょうね』
(良かったですね、メルド村長。女神様は許してくれるみたいですよ。……忙しくなることに変わりはありませんが……)
しかし、いい加減、儀式を始めたいもんだ。使者が来るというのなら俺も忙しくなるのだ。
ちくしょう、アルシエ様め、俺たちののんびりとした生活を返しやがれ。
……とまあ、今さら愚痴ってもしょうがない。まずはメルド村長を立たせよう。
「ご自分をお責めになるのはそのくらいになさってください。どうかご安心を。寛大なる女神様は村長を必ずお許しになられるでしょう。――先ずは、今やるべきことをしましょう。さあ、テッド君、聖別の儀を始めるから教壇の前に立ってほしい」
俺が声をかけると、テッド君は、待ちくたびれたと言いたげな顔でテコテコとこちらに歩み寄って来た。
「うん、わかった。で? 何をすれば良いんだ?」
「大丈夫、難しいことはしないから。私に何かを尋ねられたら、全部に『はい』と答えれば良いよ」
「なーんだ、簡単じゃん」
そう言って、テッド君は教壇の前にだらしなく立った。
俺も教壇を挟んで彼の真向かいの位置に着く。
先程まで取り乱していたアルトさんたちは、複雑そうな表情で参列者席から彼を見守っている。
メルド村長も立ち上がり、アルトさんたちの横に座った。
なお、さっきまで置いてあった『祝福事典』はノエルがどかしてくれている。
俺の背後にある女神像が全員を睥睨していた。
「人に仇なす魔物を打ち倒した勇敢なる戦士テッドよ。女神シュール・エアラ様は貴殿の武勇と正義の心を嘉したもうて、貴殿に【祝福】をお授けになられました」
聖別の儀は魔物を倒した全員が受けることになる儀式だ。なので、学の無い平民でも困らないように簡単な流れとなっている。
さっき言った通り、今日のテッド君の仕事は俺の問いかけに「はい」と答えるだけ。
そして俺の仕事は、出来るだけ厳かな感じになるように決まりきった文言を読み上げるだけである。楽な仕事だ。
(しかしテッド君よ、始まって直ぐに眠そうな顔をするのはどうかと思うぞ)
テッド君は、始まったばかりだというのに、もうウトウトしていた。
この先あるであろう王様との謁見や、会議などが心配である。
「貴殿はこの力を女神様のため、国のために使うことを誓いますか? ……テッド君、テッド君、ここで『はい』って言って」
「……へっ? あっ! はいっ、はーい!」
……意識飛んでたぞ。本当に先が思いやられるな……。
「……よろしい。貴殿はこの力を犯罪に使わないことを誓いますか?」
「は〜い」
「よろしい。貴殿はこの力を故意に隠さないことを誓いますか?」
「は〜い」
「よろしい。貴殿こそ信仰篤き真の戦士にして、正義を貫く女神の使徒。ここに、その証としてイヤリングを贈呈します」
白のイヤリングを銅のトレイに載せ、恭しくテッド君に差し出す。
推し頂くようにイヤリングを受け取ってくれたら見栄え的には満点なのだが、テッド君にそれを期待しても無駄だった。案の定、テッド君はイヤリングをヒョイと片手で摘んで受け取ってしまった。
(別にいいけど、俺だけ真面目に儀式をやってるなんてバカみたいだな。打ち合わせでもしとけば良かったかな?)
トレイを教壇の上に置き、両手を組んで祈りのポーズをとる。最後のセリフだ。
「聖別は成されました! 【祝福】の力であまねく世界に女神様の威光を知らしめ、人々を救済する新しき加護者に幸あれ!」
すかさずノエルが思いっきり拍手をする。
俺はアルドさんたちに、一緒に拍手するようにとアイコンタクトを送った。
キチンと伝わったようで、アルトさんたちは他の人の様子を伺いながらパチパチとまばらな拍手を鳴らした。
礼拝堂にちぐはぐな拍手が鳴り響き、聖別の儀は無事に終了した。
きっと、後の歴史書には、このグタグタな儀式も厳かに脚色されて載るのだろうな。
「兄貴、儀式終わった? このイヤリングってもう付けないといけないの?」
「聖別の儀は終わりだよ。でも最後にやってほしいことがあるから、イヤリングはちょっと待って」
儀式はこれで終わりだが、アルシエ様に頼まれたことがまだあるのだ。
「昨日言っておいた“魔石”は持ってきてくれた? アレと聖剣を出してくれる?」
“魔石”とは、魔物の体内にのみ存在する、血のように赤い石である。形やサイズはまちまちだが、基本的に強い魔物ほど大きな魔石が体内にあるらしい。
魔石には特異な性質がある。魔石を武器や道具に組み込むことでそれらに特別な機能が付加されるのだ。
例えば、弓矢に魔石を組み込んだら放つ矢に毒性が付与されるようになったり、鞄に魔石を組み込んだら容量が倍になったりする。
「魔石は魔物にトドメを刺した人――今回はテッド君に所有権がある。普通は武器や道具に組み込むんで、いわゆる“魔武器”や“魔道具”の材料にするんだけど、勇者様にはその他の選択肢があるらしいんだ」
歴史書の受け売りだけどね、と付け足しておく。
「もしかして聖剣が関係あるのか?」
「当たり。聖剣は勇者様自身が討伐した魔物の魔石を吸収できるらしいよ。聖剣を出して、魔石を押し当ててみて」
「おう! 出でよ、キーィイィィン――」
「それはもういいよ」
テッド君が手を高々と突き上げて叫びだしたので、ピシャリと制止した。いちいち喧しい。礼拝堂は静かにする場所だぞ。
「……へーい」
テッド君は不貞腐れながらも、あっさりと聖剣を取り出した。そして、ゴソゴソとズボンのポケットを弄り、小指の先程の大きさの魔石を取り出す。
(……子供の蹴りで死ぬ程度の魔物らしい、小さな魔石だな。俺が見た中で最小サイズだ)
「で? この魔石を聖剣に押し付ければ良いの?」
「ああ、そのはずだよ」
「ふ〜ん、どれどれ」
テッド君はカツンッと魔石を聖剣に押し当てた。次の瞬間、聖剣が淡い銀光を放ち、吸い込まれるように魔石を取り込んだ。
「おおっ! スゲっ、ホントに剣の中に消えちまったよ! 兄貴、コレって何の意味があんの?」
「何でも聖剣の能力が強化されるらしいよ。歴代の勇者様はみんな、これを繰り返して強くなっていったんだ。ただし、魔石を吸収できるのは魔王を討伐するまで。それ以降はできなくなるんだって」
「へ〜、そうなんだ! 俺の【祝福】ヤベェじゃん!」
アルシエ様に聞いたところ、魔石吸収には細かい条件があるのだが、本来それを知っているのは国と教会の上層部のみ。テッド君にはそっちが説明するべきだろう。俺の仕事ではない。
「お疲れ様、テッド君。まさか私が、勇者様の聖別の儀を執り行うことになるとは夢にも思わなかった。一信徒として、とても光栄だよ。テッド君、ありがとう。そして、女神様、私めにこのような役目をお授けくださいましたこと、心より感謝申し上げます。偉大なる御身に永遠の信仰を捧げます」
『心にもないことを口にしないでください。寒気がします』
『これも大事なポーズなんですよ。村の人たちは熱心な信者が多いですから、私も合わせないといけないんです』
ホント煩いなぁ。後ろの女神像みたいに黙っていてほしいよ。
心の中で舌打ちしていると、目の前のテッド君がニマニマ笑いながら鼻の頭を掻いていた。
「へへっ、兄貴にお礼を言われるなんて、むず痒いな」
「……これからが大変だよ。サリィちゃんも言っていたけど、テッド君は数々の過酷な試練を乗り越えなければならない。――さあ、勇者様に私がイヤリングを付けてあげよう」
俺はしんみりとした口調を意識し、寂しげな表情を作りながらテッド君からイヤリングを受け取った。金属製の留め具を調節し、いい感じで左耳に挟めたので手を離した。
イヤリングがプラプラと微かに揺れている。
彼に魔王討伐を押し付けたのは俺とノエルだ。せめてものケジメに、彼にイヤリングを付けた感触をいつまでも覚えておこう。
「よく似合ってる。……武運を祈っているよ」
テッド君は自分の耳についたイヤリングを軽く弄ると、ニカっと歯を見せ、左手を腰に当て、右手で聖剣を天に向かって突き上げた。
「おう、ありがとうな、兄貴。なぁに、そんなに心配しなくても、この勇者テッド様がチョチョイっと魔王を倒してやるさ! アッハッハ!」
おそらく、魔王討伐がどれほどの難行であるか、テッド君には万分の一も想像できてないだろう。
しかし、彼の能天気な笑い声は礼拝堂に明るく響いた。
いつの日か、彼の底抜けさに人々が救われる日が来るのかもしれない。――なんとなく、そう思った。