生臭神父は女神様と出会った
本作は以前投稿しました、『夢の中で女神様が俺に「勇者と旅に出ろ」と言ってきた。でも幸せな生活を手放したくないので断ります。』の連載版になります。
第6話までは短編と同じ内容ですが、後書き部分に補足として用語解説を挿入しております。
夜、寝床に入って目を閉じた次の瞬間、俺は雲の上で横になっていた。
いきなり目の前に広がった青空に驚き、ぼんやりしていた意識が一気に覚醒する。
「おわっ!? ……ああ、夢か。びっくりした……」
一瞬慌てたが、こんな非現実的な光景は夢以外あり得ない。
(体は……動かせるな。どれ、起きてみるか)
「よっと」
上体を起こして自分の姿を見てみたが、間違いなく俺の身体だ。着ている服も、いつもの神父服である。
「夢の中でまで神父姿なのか……。我ながら夢が無いなぁ」
このままフカフカした雲の上で寝ているのも気持ち良さそうだが、すっかり目が覚めて(夢の中で“覚めた”も変な話だが)しまったので、せっかくだからと立ち上がった。
見たところ、俺がいる雲は大人が10人くらい雑魚寝できる大きさがある。ちょっと怖いが、どうせ夢だ。それなら楽しんだ方が良いに決まってる。
俺はおっかなびっくり雲の上を歩いてみた。
「雲って柔らかいんだな。肌触りも良いし、このベッドで毎日寝たいなぁ」
何かないかなと周りを見渡しても、青空と他の雲しか無い。だが雲のふちから恐る恐る下を覗き込んでみたら、地上に大きな都市が見えた。
その都市に何となく見覚えがある気がしたので、まじまじと眺めていると、ピンとくるものがあった。
「あ〜、真ん中にあるのは王城か。だったらあそこは王都だな。へえ〜、空から見下ろすとこんな感じなんだ。まっ、俺の夢だし、本当はどうなのか分からないけどな」
一人でくっくっと笑っていると、ふと疑問が頭をよぎった。夢の中なのに思考も五感も冴え過ぎている気がしたのだ。
「なんか妙に意識がハッキリした夢だな……? でも偶にあるんだよな〜、こういう夢」
試しに頬をつねってみれば、しっかりと痛かった。
「あ〜そういう感じの夢か。ポカポカ暖かいし、雲は気持ち良いけど――」
俺はもう一度地上を見下ろした。最悪を想像してしまい、思わずブルッと身震いしてしまう。
「落ちたらシャレにならないな。……真ん中に行こ……」
ゲンナリとした気分でとぼとぼ歩いていると、頭上から鈴のような澄みとおった声が聞こえてきた。
「ようこそ夢の世界へ。ノール村の神父、カイン、我が敬虔なる信徒よ」
「へっ? 誰?」
いきなり名前を呼ばれ、ビクッとしながら上を向く。
「なっ!?」
そこには、この世のものとは思えないほど美しい女性が後光を放ちながら空に浮かんでいた。
その女性を一目見た瞬間、俺の脳裏に衝撃が走った。
「そ、そのお姿は――」
腰まで伸びた輝く銀の髪と、透き通るような白い肌をもち、キリッとした凛々しい顔立ちに、強い意志を感じさせる金の瞳をした妙齢の女性。そして、縫い目のない、ゆったりとした純白の貫頭衣を身に纏っているとくれば間違いない。
何度も何度も聖書で読んだ通りのお姿。王都の大聖堂にも、この方の絵が飾られている。
「女神シュール・エアラ様。――なんとお美しい」
俺は馬鹿みたいに口を開けて、熱に浮かされたように女神様に見惚れていた。こんな美人にお目にかかれるなんて、なんとも素晴らしい夢である。
女神様はゆっくりと雲の上に降り立った。俺があまりにもマヌケ面だったのであろう、女神様はクスクスと笑っている。ますます美しい。
「ありがとうございます。――さて、カインよ。あなたに告げるべきことがあります」
「ははぁー」
女神様は笑顔から一転して真剣な表情で、俺にそう言ってきた。
あまりにも威厳溢れる声だったので、思わず平伏してしまった。
(なるほど、こういう筋書きの夢か)
段々と楽しくなってきた。雲に顔をつけながらニヤニヤ笑ってしまう。
そんな俺を知ってかしらずか、女神様は話を続けた。
「あなたに使命を授けます。カイン、あなたは勇者と共に旅立ち、魔王を討ち果たすのです」
「うへぇっ!?」
素っ頓狂な声が出てしまった。夢の中とはいえ、ちょっと恥ずかしい。
顔を上げて女神様の様子を伺うと、もっともらしげな顔つきで頷いてきた。
「驚くのも無理はありません。しかし、これは既に決められていたこと――あなたの運命なのです。あなたは勇者サ……何故悶えているのですか?」
女神様が訝しげな声で問いかけるように、俺は顔を真っ赤にして、雲の上をゴロゴロと転げ回っていた。
しかし、この女神様、俺の羞恥心をさらに抉る気か? 相手が女神様とはいえ、これは言い返さねばならない。……夢だったら、俺のことは無視して話を続けてくれれば良いのに……。
「だって恥ずかしいじゃないですか! 俺、もう18ですよ! なのに、こんな子供みたいな夢を見て……うわぁ、恥ずかしっ! 勇者の仲間? 魔王討伐? いい歳こいて英雄願望? ヤべぇ、朝になったら全部忘れてないかなぁ……」
「夢? いいえ、カイン。これはただの夢ではありません――神託なのです。今、あなたの目の前にいる私は、あなたの心が夢に描いた幻想などではありません。紛れもなく本物。あなた方、エアリス教徒が崇める神、シュール・エアラです」
そう言って、女神様は優しく微笑みかけてくるが、俺の心はどんどんと冷めていった。
いつまでも寝転がったまま会話するのも(夢とはいえ)女神様相手に気が引けるので、とりあえず胡座をかくことにした。
心なしか女神様の頬がヒクついている気がする? 気のせいか?
「いやいや、本物の女神様は、俺みたいに信仰心のカケラも無いような奴に大事な使命を託しませんよ。俺だったら、もうちょっとマシな人選をしますね」
俺がケラケラ笑いながら、軽く手を振って否定していると、女神様の眉間に皺が寄る。
美人ってのは、そんな顔をしていても綺麗なんだな。
「あなたはそれでも聖職者ですか! 先日、教皇の夢の中で勇者選定の託宣を下した時、教皇は歓喜の涙を流していましたよ! それなのにあなたときたら――」
……やっぱり夢だな。早速ボロが出てきた。
「あー、やっぱ夢だ。あの幼女趣味の色ボケ教皇に真っ当な信仰心なんて残っているわけないじゃないですか。女神様みたいに大人の女性が夢に出てきたら、あのジジイは『悪夢を見た』とでも言うんじゃないですか? いや〜、エアリス教会のトップがアレなんて、恥ずかしい話ですね。アッハッハ」
「……その教皇以下の態度をとっているのですよ、あなたは……。敬えとは言う気はありませんが、神父としての振る舞いくらいは見せてください」
これはまた面倒なことを言ってきた。夢の中くらい自由にさせて欲しいものだ。
俺はヤレヤレと肩をすくめた。
「夢なんだから、素の自分でいさせてくださいよ。ちゃーんと普段は真面目に“神父様”を勤めているんですから。俺は食いっぱぐれないから教会に入ったんです。宗教屋の俺に、勤務時間外の対応を期待しないでください」
女神様が顔を真っ赤にして目尻を吊り上げた。
俺の想像力って凄え! 宗教画じゃあ、まずお目にかかれない表情だ。
「あなたの性根はさておき、私の名前で商売をしていると言うなら、それはそれで取るべき態度があるでしょう!」
……一理ある。なんか、意外と話せる女神様だな。結構好きになってきたぞ、この女神様。
ともかく、飯の種にしていると言われたら俺も態度を改めざるを得ない。
とりあえず胡座をやめ、女神様に向かって跪き、祈るように手を組んだ。
チラッと女神様の様子を伺うと、どうやら少しは険が取れたようであった。善哉善哉。
あとは感謝も述べることにしよう。目は伏せ、出来るだけ真摯な口調を意識して、っと。
「女神シュール・エアラ様、いつもありがとうございます。お陰様で毎日美味しいご飯を食べられる、お金に困ることのない平穏な日々を過ごすことができております。これからもどうか、私たちの豊かな暮らしのため、エアリス教団の懐を潤し続けてください」
ギリッ、と頭上から奥歯を噛み締めるような音が聞こえてきた。それと、よく聞こえないが、女神様は何事かをぶつぶつと呟いているようだ。
「面と向かってよくもまあ、いけしゃあしゃあと言ってくれますね。神罰を……いや、彼は勇者の仲間、重症を負わせたら計画に支障がでます。我慢我慢。しかし業腹ですね。そうだ、道中で彼にだけ過酷な試練を――」
女神様はしばらくモゴモゴしていたかと思えば、ハァ〜と大きな大きなため息をついて、ニッコリと笑った。
「あなたについては諦めました。話を進めましょう」
そろそろ覚めないかな、この夢。
【補足】
・エアリス教会
カインが所属する宗教団体。
唯一神である、女神シュール・エアラを信仰している。女神と初代教皇の会話を編纂した聖書を教義の大元としており、主な宗旨は『民衆の教導と救済』である。カインのいる国に総本山がある。
物語の舞台であるリマーサ大陸で広く信仰されていて、大半の国家で国教になっているため、政治的にかなりの権力を持っている。数々の特権を駆使して国家運営にすら口を挟む、為政者の目の上のタンコブである。
なお、在家信者には敬虔な者が多いが、教団内部は腐敗が進んでいて、ロクでもない人間が揃っている。
出世には賄賂が必須なので、野心的な僧侶は信者から浄財を集めることが一番の業務。上層部はそのお金で豪遊三昧。日夜、活発な経済活動に貢献している。
女神は基本的にノータッチ。勇者認定などの重要事項について数百年に一度の頻度で神託を下すのみで、あとはほったらかしである。
これにも彼女なりの思惑があるらしい。