死報
この番号には、決して電話をかけてはいけない。
「時報ってあるじゃない? それか、天気予報。電話でさ、114とか、116とかかけると、今の時間を教えてくれたり、天気予報が流れたりするでしょ?」
現在時刻をお知らせします、ピッ、ピッ、ポーン。ってやつ。
「あれとおんなじでね、自分が死ぬ時の声が聞こえる番号があるんだって」
うそー、とあたしは言った。隣でミミちゃんも「やだー、うそー」と言って笑ってる。ユキちゃんは興味津々で話に聞き入ってる表情。
誰が言い出しっぺだったかな。放課後、怖い話をしようってことになったの。
それで仲良し女子が四人、教室に居残ってつかの間のおしゃべり。
一番最後に話すことになったのが、カナちゃんだった。クラスで一番走るのが早い女の子。
「でね、実際にかけた子がいるんだって。その子が聞いたのは、『いやーっ、助けてー! おかあさーん!』って叫ぶ自分の声だったんだって。で、一週間もしないうちにその子、川原で死体で見つかったんだって。変質者に、首絞められて殺されたの。あたしらとおんなじ小学4年生の女子だったんだって」
「えーっ、うそー!」
「やだやだやだやだ」
「いやぜったい嘘だし。ありえんし」
怖がりながらきゃーきゃー言ってみんなで笑う。ユキちゃんの話も超こわかったけど、カナちゃんのも地味に不気味~。
「ね、あたしらもかけてみない? その番号に」
カナちゃんが、黒目をきらっと光らせた。
「いや無理だって! ほんとにかかったらヤバイもん!」
「かかるわけないよー、そんなんありえんしー」
「でも、ほんとだったらどうするよー?」
「スマホでいいの? そんなに言うなら、カナちゃんが最初にかけてみたらいいじゃん」
あたしが言って、ランドセルからスマホを取り出して見せる。
カナちゃんはにやにや笑いながら首を横に振った。
「スマホじゃだめなんだって。公衆電話からかけるの。10円入れるか、テレカを使ってね」
「テレカとか、いまどき誰ももってないし!」
「すっごい昭和な話だね……」
「てゆーか、あたし公衆電話のかけかたしらなーい」
ミミちゃんが真顔で言った。
はあ? うそー! と反応したのはあたしとカナちゃん。ユキちゃんは、「あたしもしらんし」と両手をひらひら振った。
「だめだよ、公衆電話のかけかたぐらい、覚えとかないと」
「だよねー。あたし、こないだパパから教わった。なんかあった時のためにって」
カナちゃんとあたしは「だよねー」と手をつなぎ合った。同士だ。
「なんかあった時って、たとえば?」とユキちゃん。
「たとえば、スマホが壊れたり忘れたりしたときとか? あとなんか、緊急事態のとき」
「緊急事態って?」
「地震とかの時?」
「それもあるけど、……もっとヤバイ時の話」
あたし、わざとらしく声をひそめて言った。
「……何年か前にさ、ニュースでやってたの知らない? 小学生の女の子が誘拐された話」
あたしが話し出すと、全員がこっちを見た。
「その子、ぜんぜん知らない大学生にさらわれて、そいつの家に何年も監禁されてたの。男はその女の子に、おまえは親に捨てられたんだ、お前の親がお前を人に売った。だから誰もお前を探してない、ってずーっと言い続けて信じさせたんだって。でも、数年後にテレビのニュースで、女の子の家族が映ってね。子供を探してますって、お願いだから見つけてくださいってお母さんが泣いてたんだって。それで女の子は逃げることを決心してね」
あたしはそこで息をちょっと吸って、言った。
「女の子、誘拐された時に持ってたお財布を男に取り上げられたんだけど、スカートのポケットに30円だけ入れてたのをずっと隠して持ってたんだって。その30円を握りしめて、男の家から抜け出して、かなり離れた場所にある道路わきの公衆電話から家に電話したんだって。公衆電話に張られてた番地を読んで、ここにいるから迎えに来てって」
公衆電話の使い方を、その子は覚えていたから助かったのだ。
「それで、女の子は見つかって、犯人は逮捕されたわけよ」
「そっかー」
ミミちゃんとユキちゃんは、そろって感心したように頷いた。
「じゃあさ、公衆電話の使い方をおぼえがてら、かけてみようよ、例の怖い話の呪いの番号に」
カナちゃん、まだやる気なのか……。
「ところでさ、その番号って、そもそも何番なわけ?」
そうだ、肝心の番号をまだ聞いてなかった。
カナちゃんは、急に口調を変えて言った。
「4444、だってさ」
「4が四つとか、なんかもーいかにも嘘っぽい番号だしー」
「っていうか、むしろそこまで並んだら、あたしなら『シアワセ』って意味に取るけどね」
「四葉のクローバーじゃないんだっつの」
「ねー。あったよー、公衆電話」
あたしが指さす。ほとんど意識したことがない公衆電話。そういえばどこにあるだろうねって話になって、歩いてりゃどっかその辺にあるでしょ、ってアバウトに答えたのはカナちゃんだった。
下校路を歩いていると、たまに行くコンビニの隅っこに公衆電話があった。四角いガラスに覆われてて、ドアがあるタイプ。
「おー! ほんとだ」
カナちゃんが嬉しそうに駆けだす。待ってよー、と後を追うのはミミちゃん。
あたしはあんまりやる気がなくて、ユキちゃんと顔を見合わせて後からゆっくり歩いて行った。
「使い方は超簡単だよ。ここに10円玉入れて、かけたい番号のボタンを押すだけ」
カナちゃんが、受話器を上げて説明する。
「ふーん。あたし、家の固定電話もかけたことないんだよね、実は。たまにかかってきたのを取ることはあるけど……」
ユキちゃんは、数字が書かれた銀色の丸いボタンを適当に押して遊んでる。
「じゃ、やろっかー。誰から行く?」
「てゆーか、ほんとにやるの?」
「どうせどこにも繋がらないってー」
「マジで繋がったらどうすんのよ!」
やだなあ、とあたしは思った。でも、カナちゃんとユキちゃんはすごくやる気みたい。
「じゃあ、じゃんけんで順番決めよ」
「どの順番?」
「勝った順」
「えっ、なんでー!」
「だって、負けた子に最初にやらすの、かわいそうじゃない」
カナちゃん論理はほんとよくわからない。優しんだか、キツイんだか。
でも、この場を仕切ってるのはカナちゃんだったので、勝った順でやることになった。
結果、一番はカナちゃん。二番がミミちゃん、三番がユキちゃん。
最後があたしだった。
「ま、あたしが言い出しっぺだから、いいでしょう」
カナちゃんはお財布から10円玉を取り出し、お金を入れる穴に落とした。
受話器を耳にあてて、ピ、ピ、ピ、ピ、とボタンを押す。4を四回。
みんな、なぜか息を詰めて黙り込む。
カナちゃんは、真顔で耳を澄ませていた。
急に、にやっと笑った。
「ざーんねーん」
笑いながら受話器を元にもどす。ちゃりん、と10玉がおつりが出るところから落ちて来た。
「ほらー! やっぱり」
「どこにもつながるわけないじゃんね」
「あー、でもドキドキしたあ」
「ねえ、ついでだから順番にみんなやってよ」
「えー、意味ないし!」
「意味ないからいいじゃん。つながらないってわかったんだから」
「じゃ、次はミミちゃんね」
あたしたちは、きゃあきゃあ言いながら繋がらない番号に電話をかけ続けた。
ユキちゃんが次に4を四回プッシュした時、カナちゃんがユキちゃんの耳元でわざと変な声で、
「タスケテー……・タスケテー……」
「やめてー!」
「もう、ばか」
「おまえしばく、ぜったい後でしばく」
ユキちゃんは受話器でカナちゃんの頭をコンコン叩いた。ミミちゃんはお腹を抱えて笑ってた。
「じゃ、今度はケイコちゃんの番」
もういいじゃん、って思ったけど。この流れであたしがやらなかったらひんしゅくものだなーと思って、仕方なくあたしは受話器を取り上げた。
10円玉を穴に落として、ボタンをプッシュする。
すぐ切ろうと思ったんだけど、その時、カタン、と10円玉が電話機の中に落ちる音がして、耳元で鳴るツーツー音が急に変わった。
トゥルルル……トゥルルル……
え、これって。
どこかに電話がかかってる音、だよね……?
切らなきゃ。いますぐ切らなきゃ。
そう思うのに、なぜか身体が動かなかった。
かちゃ、と小さな音がした。
それから、何か……風が吹くみたいな音? ヒュー、ヒュー、と耳もとでかすかに音がする。受話器の向こうから確かに聞こえる。
あたしはそれが、誰かの息づかいなんだと分かって、背中がぞーっとするのを感じた。
『――ハッ……ハァ……、オ、……ぐぁァ……』
「いやー!」
あたしは叫んで、受話器をがちゃんとフックに叩き付けた。
「なに、どしたの?」
カナちゃんが目を丸くしている。
ユキちゃんも、ミミちゃんも、あたしを不思議そうに見ている。
たぶん、あたしの顔は真っ青になってたと思う。
「え、ちょっと、まさか……なんか聞こえたの?」
カナちゃんが半笑いの顔で聞く。面白がってるという笑いではなく、ちょっとひきつった顔。
「うそでしょ、ねえ……」
ミミちゃんが泣きそうになってるのを見て、あたしはなぜか、急に冷静になって言った。
「――なーんて、ね」
あたしが笑うと、ユキちゃんが背中をばしばし叩いてきた。
「もー! ビビったじゃんか!」
「あー、くやしい、だまされた。超迫真の演技」
「なんだよ、ケイコっちゃんってばー、もー!」
みんな急に安心した顔になって、あたしに抱きついたり、怒った振りしながら笑ったりと、大騒ぎになった。
「あー。もう帰ろ帰ろ」
「あたし6時から塾だよ。めんどくせー」
「うちもだよー」
そうぼやきながら電話ボックスを出ようとした時、ミミちゃんが言った。
「あれ、そーいえばケイコちゃん、10円玉とったっけ?」
おつりが出て来るところには、もちろん、あたしの10円は返ってこなかった。
今度こそ、みんなの顔が凍りつくのを、あたしは見た。
何が聞こえたの、とは、誰も聞かなかった。
カナちゃんはあたしと目をあわそうとせず、ユキちゃんも気まずそうな表情で。ミミちゃんは半泣き顔で目を真っ赤にしてた。
「じゃ、また明日ね」
あたしの家は、ここの道を曲がらないといけない。
三人はぎこちなくあたしに手を振って、そこで別れた。
あたしは横断歩道を渡りながら、さっきの電話の声のことを考えていた。
あの声は、ほんとうにあたしの声なのだろうか。
たとえば電話が混線して、たんに雑音が聞こえただけでは?
でも本当に、あの怪談のとおりだったとしたら。
あたしは最後に、何と言おうとしてたんだろう……?
わからない。どうしよう。どうしたらいいんだろう。
うちの団地に向かって歩きながら、あたしは下を向いてずっと考え続けていた。
どうしようどうしようどうしよう
「おい! あぶないぞ!」
遠くから声が聞こえた。
あたしが顔を上げて横を見ると、目の前に大きなトラックが迫ってた。
あたしが渡ろうとしてた横断歩道の信号は、赤だった。
痛みはなかった。
ただ、息が苦しいのがつらかった。
喉の奥で、ごぼっ、ごぼっと嫌な音が聞こえた。
生温かい液が、鼻と口からいっぱいこぼれだすのを感じた。
「だいじょうぶか、しっかりしろ!」
「すぐに救急車が来るから」
知らない人が、何人も上からあたしを覗き込んでる。
それも、だんだん薄れていった。目の前が、白くなっていく。
ああ、そうか。
この、ヒュー、ヒュー、という風みたい音。
これは、あたしの。
息の音だ。
そして、あたしは。
「お……、かあ、……さ」
あたしは最後に、「お母さん」って言おうとしたんだ。
そうして。
あたしの目の前は、赤く染まりやがて暗くなっていった。
あの番号には、決して電話をかけてはいけない。