「レイミア・デア・ストレイド⑤」
時系列的には、アリアたちが船内に侵入してすぐの頃ね。
レイミアはゆっくりと目を開いた。
ふわふわと宙に浮いたような感覚がある。
体が熱く、視界がぐるぐると回っているような気がする。
どうやらベッドに寝ているようだが、自分の知っているベッドではない。
ストレイド家のお屋敷の自室の、たくさんの素敵なものに囲まれたあの空間ではない。
部屋は狭くベッドは固く、海水と消毒用アルコールの入り混じったような臭いがする。
「んー…………と?」
ぼうっとしたままわずかに身じろぎすると、傍らにいた人物がハッとしたように息を呑んだ。
「レイミア! 起きたの!?」
傍らにいたのはヘラだった。
大男にぶたれた顔が、青黒く腫れあがっている。
手荒に扱われたのだろう髪の毛はほつれ、着衣にも乱れがある。
「大丈夫? 吐き気がしたりしない?」
レイミアのことを心配してだろう、身を乗り出すようにして問いかけてくる。
そこには普段の居丈高な感じはまるで無い。
「大丈夫だよー。ヘラお母さまこそ、大丈夫?」
「わたしのことなんかどうでもいいのよっ。まずはあなたのことでしょっ? ねえギース、このコは本当に大丈夫なのっ?」
目を向けると、そこにいたのはくたびれた白衣を着た医者だ。
固太りで赤ら顔の中年で、酒瓶が傍らに置いてあるところを見るに、真っ当な医者ではないようだが……。
「騒ぐな騒ぐな。たしかに打ちどころが悪いと、中にはそのまま目覚めねえ奴もいるがな。そのガキの場合はそこまでいってねえよ。衝撃で朦朧としてただけだろ。しばらく安静にしてりゃ、普通に日常生活に戻れるよ。……まあ、まともな日常なんか、もうおくれやしねえだろうけどな」
面白い冗談でも言ったつもりなのだろうか、医者はおかしそうに笑っている。
「しかしボスにも困ったもんだな。売り物の顔に傷をつけるとか……ったくよう」
「売り物……」
医者の言葉を聞いたレイミアは、自らの頭に巻かれた包帯に触れた。
大男に殴られた傷がじくじくと痛み、熱を発しているのがわかった。
「……レイミア、売られちゃうの?」
レイミアは、鋭く状況を察した。
この狭い空間は、船の中の医務室なのだろう。
ギースという男は船医で、ボスというのがあの大男で、ヘラは男たちの仲間。
レイミアは悪党どもに捕まり、船に乗せられ外国に売り飛ばされていくところなのだろう。
驚きは無かった。
今まで読んで来た本の通りだ。
好奇心は猫を殺し、組織の秘密に深入りした子供は、生きて家には戻れない。
「………………ごめんなさい」
しばらくの間を置いてから、ヘラは謝って来た。
「本当に……ごめんなさい」
顔を伏せたヘラの、ぎゅうっと閉じたまぶたの間から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「わたし……あなたたちのことを騙して……っ。なのにあなたはわたしのことをかばってくれて……それなのに……わたしには、あなたが救えない……救えないのっ」
血を吐くような、慙愧の言葉。
「ううん、大丈夫だよ」
レイミアは手を伸ばし、震えるヘラの頭に触れた。
子供を慰めるように、ゆっくり優しく撫でた。
「大丈夫だから」
騙されたというショックよりも、初めてヘラの素顔が見れた嬉しさのほうが先だった。
こういう事情があるからヘラは自分たちに辛く当たっていたのかという事情がわかって、ほっとした。
「あのね? レイミアはちょっと嬉しいの。だってヘラお母さまに、嫌われてたんじゃないのがわかったから」
「…………っ!?」
レイミアの言葉を聞いたヘラは、ガバリと顔を上げた。
「なんでうらまないの……? わたし、ウソついて、あんなにひどいことをしたのに……なんで……?」
震える手で、レイミアの肩を掴んだ。
「もっと怒ればいいじゃないっ! 殴りつけて、唾でも吐き掛ければいいじゃないっ! なのになんであなたはそんな顔してるのよっ! なんで笑ってられるのよっ!」
凄まじい形相で迫ってくるヘラに、しかしレイミアはなおも笑いかけた。
「あのね? エイナお母さまが言ってたんだって。レイミアには優しいコに育って欲しいんだって、ポカポカ温かくて、太陽みたいな人間になって欲しいんだって」
「そんな……そんな理由で……?」
「それに、ヘラお母さまだって嫌だったでしょ? 嫌いじゃない人に、冷たくするの嫌だよね。それをずっと続けるの、大変だよね。だから、頑張りましたねって。えへへへへ……」
「…………っ」
人間には理解出来ない高次元の存在を目にしたかのようにヘラは驚き、レイミアから手を離した。
「あ、あとね? エイナお母さまはこうも言ってたんだって。姉妹で仲良くして欲しいって。レイミアとアリアお姉さまは仲良しさんだからね。だからきっと、助けに来てくれるの」
「アリアが助けに……? そんなことあるわけが……」
「大丈夫だよ、レイミアは知ってるんだから。お姉さまは優しくて、綺麗で、あと、すんごく強いんだから。世界最強の『掃除人』なんだから」
レイミアがそう言った瞬間、医務室の伝声管が唸りを上げた。
──敵襲だ! 野郎ども起きやがれ!
「敵襲って……え? 本当に?」
驚くヘラに、レイミアはパチリとウインクをした。
「ほら、ね?」
おーっほほほほほ! みなさまご機嫌よう!
西園寺・ドンクリスティ・龍子よ!
さて、無事だったレイミアだけど、船内の攻防はまだ続くわ。
このまま無事に脱出できるといいけれど……?
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