「ロレッタ・ジル・ヒーロウ」
──ロレッタ、聞いたわよ? あなた、またダンスのお稽古をサボったんですって? 何を考えてるの。ちょっと、部屋に閉じこもってないで、出て来てきちんと答えなさい。
──いいのよお母様。ロレッタにはロレッタの考えがあるんでしょうから。
──そうそう。女性の価値を決めるのは何もダンスだけじゃないし。個人の自由というやつよ、お母様。
──……何よあなたたち、最近ずいぶんロレッタの肩を持つわね?
──だって、変なことをしたらレザード殿下に……。
──そうそう、怒られるから……ってなんでもない! なんでもないのよお母様! わーわー! わーわーわー!
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……ふう」
お義母様たちの足音が遠ざかっていくのをたしかめてから、わたしはひっそりと息を吐いた。
この間の一見以来、お姉様たちのわたしへの態度が変わった。
わたしをいじめればアリア様が、そしてアリア様のお友達であるレザード殿下も黙ってはいないとなった結果、迂闊に手出し出来なくなったらしい。
かといって無視などすればそれはそれでいじめになるということで、こうして露骨にかばったり、ご機嫌をとってくるようになった。
「お義母様の態度は相変わらずだけど、それでもずいぶん楽になったわね。おかげでこうして趣味に没頭出来ると……」
ウキウキしながらランプに火を灯すと、ジジジッという微かな音と共に、室内が明るく照らし出された。
わたしが座っているのは長時間座っても疲れにくいように設計されたオーク材の椅子、目の前にあるのはどっしりとしたダークウッド材の机。側面と後ろの三方を囲んでいるのは、天井まで届く本棚だ。
本棚に収められているのは恋愛、歴史、冒険、推理、詩に古の英雄譚など。
小さな頃からあらゆるジャンルの書物を読みふけってきたわたしだが、最近はひとつのジャンルに落ち着きつつある。
それは、女性を主人公としたラブロマンスだ。
特にオフィーリア先生の描く女主人公は快活で力強く、悪漢を者ともしない姿が魅力的だ。
そしてそして──ここがとても大事な部分だが、ヒロインたる女性との熱烈なラブシーンが待っているのだ。
「うひ……うひひひひ……っ」
一番のお気に入りは『百合の紋章を抱く誇り高き騎士』シリーズ。
主人公である男装の麗人ヴァレスティ様の凜とした顔立ちと毅然たる振る舞いが素晴らしいのだ。
しかもこのヴァレスティ様、実はとんだ肉食系で、夜になると豹変、愛姉妹の契りを結んだヒロインの肉体を荒々しく貪り尽くしていく。
その際のオフィーリア先生の筆致がまた肉感的でいやらしく、同好の女性たちの間ではある種の艶本として秘かに回し読みされているほどだ。
「うひ……ぐひひひひひ……っ」
おっと、思わずよだれを垂らしてしまった。
大切な書物を汚してはいけないと慌てて拭い取ると、わたしは机の上の本立てからアルバムを手に取った。
挟んであるのは新聞の切り抜き。一面に描かれているのはどれも同じ女性の姿だ。
見出しは順番に「ストレイド男爵家の女傑、真昼の決闘」、「ストレイド男爵家の女傑、またも活躍す。今度は放火犯」、「ストレイド男爵家の女傑、御前で堂々たる振る舞い」。
ドレスで美しく着飾った少女が悪漢どもを相手に大立ち回りをする光景や、国王陛下の御前に騎士の如く跪く姿が描かれている。
「ああ、アリア様……」
アルバムを胸に抱くと、わたしは目を閉じた。
まぶたに浮かび上がるのは、この間の夜の出来事だ。
人気の無い東屋に颯爽と現れ、姉たちにいじめられていたわたしを救ってくださったアリア様のあの手の暖かさ、熱い吐息……。
「しかもアリア様は、わたしに共感を抱いていると言ってくださった……」
あれは第一巻でヴァレスティ様がヒロインに放ったセリフそのままだ。
しかもアリア様自身は『百合の紋章を抱く誇り高き騎士』を読んでいないというのだから、これはもう魂の共振としか言いようがない。
アリア様こそは現世に顕現したヴァレスティ様であり、つまりこの場合ヒロインはわたしであり……つまりつまり……。
「最後に『友達』になってくれとおっしゃっていたけど、あれもたぶん『愛姉妹』のことよね? 男と女ではなく、女と女が結ばれるための聖なる絆の言葉。つまりわたしたちは、もう魂的に結ばれている……っ? あああああーっ!」
感際まったわたしは、ガンガンと机に何度もおでこを打ち付けた。
「ああ、アリア様……次に会えるのはいつかしら……」
真っ赤になったおでこをさすりながら、わたしはつぶやいた。
次のダンスパーティは来月の初め。
だけどそこまでわたしの精神がもつとは思えない。
強烈な飢餓感で、今にも狂ってしまいそうだ。
「……そうよ、別に待つ必要なんてないんだわっ」
いいことに気が付いたと、わたしは思わず立ち上がった。
「こちらから出向けばいいのよ。簡単な話じゃない。となれば……」
善は急げと、わたしは明日の準備を始めた。
おーっほほほほほ! みなさまご機嫌よう!
西園寺・ドンクリスティ・龍子よ!
……あら、予想よりもすごい子だったわね。
アリアったらどうするのかしら……。
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