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√365  作者: 三條 凛花
本編
8/32

オルゴールの中の夢

  夜色のオルゴールの蓋を開けると、中からふわっと記憶が吹き抜けてきた。 小瓶に詰められた星の砂。手芸用品店で見つけた、大きなクリスタルパーツ。ポプリの作り方や、素敵な花言葉が散りばめられた、小さな冊子。はつ恋の男の子が、図工の時間に作ってくれたビーズのブレスレット。――その一瞬、私は少女時代に戻ったような錯覚を覚えた。


「ママ、これなあに?」と、その小箱を持ってきたのは息子だった。私の部屋の、クローゼットの奥に隠してあったのだという。もちろん私のやったことだろうけれど、記憶はなかった。



 両親が立て続けに亡くなり、車で20分の実家に、片づけに通う日々を送っている。

 夫は「お金がかかってもいいから、業者にお願いしたら?」と言ってくれたけれど、手を動かしていないと、気持ちがもたないと思ったのだ。「でもさ……」と言いかけた夫に、私はにっこり笑って「プロだから」と答えた。


 両親とはあまり仲が良くなかった。早く独立したくて、ふるさとを離れていた大学生のとき。授かり婚をした。息子は今年8歳に、娘は3歳に、そして私はようやく30歳になる。



 これまで実家にはあまり寄らなかった。きっと小言ばかりだと思っていたから。もっとこう育てなさいとか、きちんと家事をしなさいとか。結婚より前に子どもができたこともあり、夫の悪口も言われるんじゃないかとびくびくしていた。


 でも同時に、そういう気持ちは、やがて落ち着いてくるものだと漠然と思っていた。現に27になったころから、前よりも少しずつ、実家に顔を出すようになっていた。



 とはいえ、実家の玄関扉を開けるときは、いつも、心がくっと硬くなった。ひと呼吸置いてからインターホンを鳴らす必要があった。予想に反して、数少ない訪れのなかで、両親はひとことも小言を口にすることはなかった。ただにこにこと幸せそうに笑っていた。


 ――まだ、29歳だ。友だちのお父さんやお母さんも、ほとんど元気にしている。こんなに早く別れが来るなんて思っていなかった。いや、生活のなかから両親が消えていたとしても、彼らに二度と会えない生活が存在するなんて。頭ではわかっていても、具体的に想像したこともなかった。


 どうしてもっと早く、両親に向き合わなかったのだろう。ものに埋もれた家を片づける中で、そういう気持ちが湧き水のようにあふれ出し続けていた。


「ママ、泣いてるの?」と息子が尋ねる。娘は「ぎゅ、してあげるね」と言って、私を静かに抱きしめた。





 実家の片づけはいっこうに終わらず、気がつくと年をまたいでいた。


「やっぱり、業者に頼んでみない?」


 夫の言葉に、私は首を振る。

 家でじっとしているのが性に合わなくて、東京まで出て、片づけの資格を取ってきたのだ。春からは自宅で片づけ教室をはじめることになっている。自分でやらなくちゃいけない。よく言えば"プライド”、悪くいえば固執だった。


 何度も涙を落としながら、私は実家の片づけを進めた。そのたびに「なんでこんなにたくさんモノがあるの」と呆れ返った。母の日に書いた手紙、私が小学生のころの答案や工作、道端で一緒に摘んだ花を押し花にしたものまで。



 ムダなものがない、自分の家に帰ってくると、ほっとする。でも、どこか寂しい気もする。

 この部屋には、あのオルゴールの中に詰まっていたような「宝物」がない。もちろん、大切な人たちがいる。かけがえのない幸せな出来事もたくさん積み重ねてきた。


 でも、久しぶりに見つけたとき、きゅっと胸をつかまれるような、そんな大切な「もの」が、私にはいくつあるだろう。他の人にとっては価値がなくても、自分にとっては捨てられない、そんなものが。あのオルゴールの中身以上には見つからないんじゃないだろうか。


 そして気がついた。ーーそうか、あの家にある、たくさんのガラクタのようなものたちは、父や母にとって、私のオルゴールの中身と一緒なんだ。



 いつものように実家を出る。空は薔薇色に染まっていた。


 車のバックミラー越しに見える、家のそこここに、幸せな思い出が亡霊のように浮かび上がって見えてくる気がした。両親の声まで聞こえてきそうだ。自分の親不孝が悔やまれて鳴らなかった。


 エンジンをかける。家とは反対方向に車を向ける。


「ねえ、ママ、どこに行くの?」


「あなたたちに、オルゴールを買うのよ」と私は答えた。



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