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√365  作者: 三條 凛花
本編
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さじかげん

家族が増えたら、寂しさや不安はなくなるものだと思っていた。それは間違いだった。ふとした瞬間、薄氷の上を歩いているような、張りつめた気持ちが襲ってくることがある。家族が増えるごとに、胸の苦しさが増していく。



1つ年上の夫からプロポーズされたのは、17歳のときだった。

場所は地元の海。ヒトデや貝殻がたくさん落ちている、ロマンチックさのかけらもない漁港。磯の匂いの中で。BGMはうみねこの鳴き声。大学への進学で悩んでいた私に、付き合おうとか、好きだとか、そういうのをすべてすっ飛ばして「高校出たら、俺と結婚しろよ」と彼は言った。


 地元で一番の進学校に通い、そこでもトップの成績を取っていた私が進学をやめた。それは狭い田舎町ではちょっとしたニュースになった。


「どうして学歴もない、あんな男と! それもこんなに早く結婚するなんて、親不孝者が!」と、掠れた声でいう父の顔は真っ赤だった。

 母は「私たちが近所の人になんて言われると思う? 恥ずかしいと思わないの」と肩を震わせた。


 それまで、一度も口答えをしたことがなかったけれど、私は妙に冷めた目で彼らを見つめて「私が勉強をしていたのは、ほかにやることがなかったからだよ」と言った。


「遊びに行かせてくれなかった。テレビも見せてくれなかった。ほかにやることがなかったから、勉強するしかなかったんだもの」


 先生、両親、友だち、いろんな人に説得され、それを断り、疎遠になり、祝福はされず、それまでこつこつ積み上げてきた勉強をすべて放り出す代わりに、私は自由と愛を勝ち取ったのだった。



 29歳になった今の私には4人の子どもがいる。上の子は10歳になった。決して裕福ではないし、毎日がせわしないけれど、家のなかはいつもにぎやかだ。


 でも、子どもたちが全員眠り、夫が帰ってくるのをリビングで待つときなど、ふと、怖くて、泣き出したくなることがある。夫が事故にあったらどうしよう。子どもたちが帰り道に誘拐されたら? 学校でいじめにあったら……?


 家族を失うことや、家族がいやな目に遭う。それは100%ないとは言い切れない。そうした未来の不安を考えると、胸がぎゅっと締めつけられるような感覚に息苦しささえ覚えるのだった。


 ただ、こういうものはホルモンバランスの変化でやってくる不安のようだ、と最近ようやくわかってきた。「自分が自分じゃないような感覚(強すぎる怒り、不安、悲しさなど)」に気づくことさえできれば、あとはなんとかなるのだ。



 まずはコップ一杯の飲みものをゆっくり飲んで、気を落ち着かせる。うーん、と大きく伸びをする。子供部屋をこっそり覗きに行く。たいてい、これだけで少し気持ちが落ちつく。


 些細な、おまじないのような儀式だ。でも、この傾向に気づけたことで人生は大きく変わったと思う。

ふいに不安でたまらなくなり、それがどうしてかわからずに過ごすのは辛い。先が見えないし、攻撃的になったり、悲観的になったりして、そのまま動き出すことでよくない結果を招くこともある。


 あるいは、何もしたくなくなって、子どもたちの大量の洗濯ものを溜めてしまったり、洗い物を後回しにしたりして、少しずつ家事のリズムがずれていく。そうすると、最低限やるべきことが終わっていないので、少しずついろいろなものが狂っていくのだ。


 だから、自分の不安レベルに異常さを感じたときは、「今はそういう時期なのだ」と自分に言い聞かせ、そうした負の感情を恥じることなく受け入れることで、一度足を止められるようになった。



 今日もまさに、そういう気持ちに襲われていた。

 きっかけはテレビのニュース。息子と同い年の子どもが、痛ましい事件に巻き込まれていたのだった。

短いニュースが終わるころには鼻の奥がつんと熱くなり、形の分からない不安で胸がいっぱいになっていた。

 やがて、顔も知らないその子どものことを思うと、涙が止まらなくなった。


 昔、母親がニュースを見て泣いている姿を見て不思議に思っていたけれど、子どもが生まれてから、私もやはりこうしたニュースに敏感になった。それまでは遠い世界のことにしか思えなかったのに。


 おそらく、その事件の様子が、自分の子ども(あるいはその子の年齢まで成長した子どもや、その子の年齢のときだった子ども)の顔で脳内再生されるからなのだと思う。字面でしか追えないそのニュースに、心と肉体を持つ、生身の子どもの姿を投映することで、はじめてその事件がリアルになる、といえばいいだろうか。

 それではじめて、被害にあった子どもがどんなに怖かったか、苦しかったかが想像できる。親の気持ちも身近になる。だから感情移入してしまうのだと思う。


 ややあって「自分の子どももこうした事件に巻き込まれたら……」という不安が頭をもたげてきた。でも、それが不安というにはあまりにも重たい感情であることに気がついた。


「いつものやつだ」とつぶやいた。


 私は頭をぶんぶんと振って、ティッシュで涙を拭い、勢い良く立ち上がった。それからキッチンに向かい、水出しの紅茶をグラスになみなみと注いで、一気に飲み干した。


 タイマーをセットする。まずは排水溝のネットや三角コーナーのネットなど必要なものを用意し、お茶碗にこびりついたごはんつぶを水につけて浮かせ、フライパンに残った油をぬぐった。そこまでやって、一気に洗い物を終わらせた。


 今もまだ悲しさはある。でも、わけのわからない不安は頭のなかから追い出せたようだった。



「ママ、どうしたの?」


 スカートの裾を引っ張るのは、眠たい目をした息子だった。私はにっこり笑って「大丈夫よ」と彼を抱きしめた。


 家族が増えれば増えるほど、不安がどんどん増えていく。今の私は、自分だけじゃなく、5人分の不安を抱えて生きている。

 でもそれだけじゃない。抱きしめた息子の体はとてもあたたかくて、それと同じような幸せを、日々、5人分もらっているのだ。あとは幸せと不安のバランスが壊れないように、さじかげんを調節する。

それだけでいい。


 子どもが成長するにつれ、あのときの両親の気持ちもわかるような気がしてきた。きっと、混乱して、自分たちの中にある感情を整理できずに出た言葉だったのだろう。本当は「こんなに早く結婚するなんて寂しい」と、そう言いたかったのかもしれない。

 だから今週末は、10年以上帰っていなかった実家に、家族で出かけると、決めている。

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