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√365  作者: 三條 凛花
本編
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ハイヒールの野心

昇進が決まった。女性としては最年少だという。上司に呼び出されたとき、平静を装うので精一杯だった。その場で「やった!」と叫びたい衝動に駆られていた。


丁寧な仕事を心がけてきた。レスポンスは早く。同じことは2度言わせない。ミスは徹底的に防ぐ。ヒヤリハットを記録する。日々のひらめきを必ず書きとめておき、ランチ時間にそれを具現化する方法を考える。


中でも一番大切にしてきたのが「相手と仲良くなること」。これは先輩女性の受け売り。その人は当時、女性で最年少の役職者だった。


「これから仕事をしていく上で、試してみてほしいことがあるの。私がやってきてよかったと思うことなんだけど、それはね、相手と仲良くなること」


「仲良くなること、ですか?」


「そう。たとえばさ、宮田さんが誰かに仕事を任せたいと思ったとするでしょう。

AさんとBさんという2人の人が候補にいます。年齢は同じ、仕事の能力も同じ。ただ、Aさんとは話したことがほとんどなく、Bさんは会うといつも話が弾む。


どちらに頼みたい?」


「……Bさんです」


「ね、そうでしょう。

プライベートと仕事は関係ないって考えもあるけれど、こういう状況って結構あるものよ」


今思うと飲み会などにも参加せず、人付き合いを拒んでいた新人の私を、やんわりと注意する意味もあったのかもしれない。相手を落ち込ませたり、嫌な気持ちにさせず、前向きに変えていく力のある人だった。



超就職氷河期と言われる時代に就職活動をした。100社以上受けて、すべて落ちて、夏になり、秋が近づいてきて……。ここもだめだったら違う道を考えようと捨て身で受けたのがこの会社だった。

仕事にはなんの希望も持っていなかったし、早く素敵な人を見つけて結婚して、寿退社したいという気持ちしかなかった。でも、彼女の生き方に惹かれた。かっこいいと思った。私も仕事に打ち込んでみたいと強く願った。


やがて素敵な出会いがあり、とんとん拍子に結婚も決まった。でも、私は会社を辞めなかった。



次の企画の考えが煮詰まってきたので、スマホと煙草だけを持って階下に降りる。


「宮田さん、おはよう」と、1つ上の先輩がひらひらと手を振った。

「昨日のドラマ、観ましたか? 意外な展開でしたよね」と、彼の好きなテレビの話をする。


時計は16時を指している。ビル群の中を日が落ちていく。サーモンピンクの空に、紫色の雲がたなびいている。東京の空は、色が薄い。

ふと、ガラス張りの喫煙室から、外のフロアを眺める。誰もがせわしなく働いている中で、一人ひとりに頭を下げながら、背中を丸めて帰っていく女性がいた。

私が憧れていた先輩だった。去年子どもが生まれて、1年の産休から復職。時短勤務をしている。今はもう役職もない。彼女の姿が見えなくなると、同じ部署の若い女の子たちがひそひそと話すのが聞こえた。胸の奥にざらりとした感触があった。


それから少し仕事をして、私は17時に定時退社をした。誰にも頭は下げていない。やるべきことは全て終わっている。自分の分だけじゃなく、他人の分も手伝った上で。


背すじをぴんと伸ばして、会社を出る。ハイヒールをかつかつ鳴らして、地下鉄の駅へと降りていく。


多少混んでいるものの、電車では座ることができた。 早速、頭のなかで帰宅後の流れをシミュレーションする。まずは朝撮影しておいた冷蔵庫の中身を見てメニューを組み立てる。片手に持ったメモ帳に買うものを書き出す。これで買い物は10分もあれば終わるはずだ。


部屋はきちんと片づいている。掃除も洗濯も済ませてきた。メインのお肉は下味をつけてあるし、野菜も切っておいた。あとはもう一品くらい、ゆっくり時間をかけて料理をし、夫を迎えるだけだ。

私は何もあきらめたくない。仕事も、家庭も。望むものはすべてほしいのだ。


電車を降りるころには、今日から明日にかけてのスケジュールが全て完ぺきに組み上がっていた。ヒールをかつかつと鳴らして、スーパーへ向かう。


そのときの私はまだ知らなかった。そう遠くないうちにヒールを休ませなければいけなくなることも。私が悩むことも。そうして、それでもすべてを諦めずに奮闘したことも。


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