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√365  作者: 三條 凛花
本編
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女正月

毎年、母が小豆のお粥を炊く朝があった。


雪が夜明けのまだすみれ色の空を照り返して青々としているような朝だった。そう考えると、ちょうど、今時分のことなのだろう。母がお粥を炊く理由は知らない。そして私は物心ついてから、それを一度も完食したことがない。


 子どものころにひと口だけ食べたそのお粥が、とにかく甘かったことは鮮烈に覚えている。それで拒絶した。お菓子以外の甘いものは嫌いだったから。もっというと小豆そのものが苦手なのもある。



 その朝、目を覚ますと母はもういなかった。祖父の介護に向かったのだろう。父は2年前に他界し、兄弟も家を出ている。この家には母と私のふたりきりだ。


 外に出ると鼻の奥がつーんと痛んだ。吐き出す息が白く凍る。背中をすぼめながら、小走りで車に乗り込む。

 この時期は憂うつだ。冬の朝はいつもよりさらに早く家を出なければいけない。雪のためにスピードを落とさなければいけないし、渋滞しがちだ。


 何より気が滅入るのはこの暗さだ。私が家を出るころは、まだ、空が少し暗い。

 明けていく時間の海を眺めながら走るのも悪くはないけれど、車のエンジンをかけ、道路に滑り出すまでは「やっぱりふとんの中に戻りたい」という気持ちになってしまうのだ。そして、そういう思いは年を経るごとにますます強くなっている。


 案の定、渋滞にはまってしまった。暖房が効きすぎているのか、頬が熱い。ラジオから「今日は小正月です、女正月とも呼ばれていて……」と由来の説明が流れてくる。そして、母が毎年炊いているお粥の正体が、どうやらこの日の行事食だということをはじめて知った。

 そして「元日が男のための正月っていうの、なんだか嫌だな」と思った。



 今の会社に入って、そろそろ7年になる。

 上の世代は何人かいるけれど、私のあとに入った女の子はいない。私はいつまでも、朝一番に出社し、社員全員の机を磨き、貼りつけた笑顔で迎え、「まだ結婚しないの?」などという軽口を受け流し、全員分のお茶を淹れて回らなければいけない。


 最近は、役員の昼食したくという雑務まで加わった。

 したくといっても、届いたお弁当をそれぞれの席に並べ、指定のあった好みのインスタント味噌汁を用意することなのだけれど。

 これを、自分の昼休みを削って行う。ここでも「誰かいい人はいないの?」というやりとりを受け流す必要がある。


 夕方、定時で会社を出た。車のシートに倒れ込み、ふう、とSNSを開く。東京に出た友人たちの投稿を見ると、毎日が華やかそうでうらやましくなる。父の反対を押し切ってでも東京の大学へ進めばよかった。田舎なんて出会いもない。周りは知っている人ばかりだし、なんでもすぐにうわさになってしまう。



 家に帰ると母が台所に立っていた。「遅くなったけど、今朝は作れなかったから」と出されたのは小豆粥だった。


 正直なところ「またこのおかゆか......」と思った。それなのに、どうしてだろう。吸い寄せられるようにそのひとさじを口に運んだ。思っていたより甘くなくて、疲れた心に染み渡るような、潤してくれるような、優しい味。気がつくとお椀は空っぽになっていた。


「珍しいじゃない、あんたがこれを食べるなんて」と母が目を丸くした。


「もう私がやりたいだけで毎年用意しているから、期待していなかったけど、食べてくれるとうれしいねえ」


 私も、自分でも不思議だった。


(これは絶対にきらいだ)


 そういう気持ちが長年頭のなかにあって、口をつけなかった。でも、食べてみたらおいしくて、おかわりしたくなった。



 何でもそうだけれど、頭の中で思っているだけでは変わらないのだ、きっと。ーー転職なんて自分には無理だと思っている、その気持ちも。


 その夜、私は東京行きのチケットを買った。



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