ベランダのあなた
四年前の私は、静かに絶望していた。離婚して半年ほど過ぎたころだっただろうか。それまでは散々だった。これからどうしたらいいかまったくわからない。もともと少なかった自信も、夫の浮気で粉々に砕けた。どこにも行きたくないし、誰にも会いたくない。鏡さえ見られない。そういう状況だった。
ようやく気持ちが落ち着いてきたころ、もらったマンションを売り払って、実家に戻った。近所に買い物に行くくらいならできるようになっていたけれど、自分を知る人に会うのは恐ろしくて、いつもマスクで顔を隠していた。
離婚して実家に戻ってきてから、数ヶ月が経った。私は母親に頼まれたものを買いに、スーパーまで歩いていた。日々の買い出しは、両親に強く勧められたことだ。私は枯れ木のようにやせっぽっちになってしまっていたからだ。
相変わらず食事は喉を通らず、お粥やグレープフルーツのようなさっぱりしたものばかりを口にしていた。体力もすっかり落ちている。だから、せめて毎日たくさん歩いてほしいと乞われてのことだった。
スーパーから帰る道々で、ぼんやりといろいろな家に目をやる。
自分が家事をするようになって気がついたのだけれど、私たちは家事を通して、自分の一部を無意識に外に出している。ふつう、家事というのは、家庭の中で行われるものだから、なにか機会がなければ、ほかの家のことはあまりわからない。
でも、自分で洗濯や掃除をするようになると、見える世界が変わってくる。
それまでは、ただ風景の目立たない一部でしかなかったベランダの洗濯ものが、その家の個性になる。外で干すのか、干したものをベランダに運んでくるのか。何をハンガーにかけて、何をピンチでつまむのか。乾きやすい順番に並んでいるのか、別の意味があるのか、あるいは無意識に並べているだけなのか。
そういうものが家々によってはっきりとわかれているのだった。
ふるさとの風景はずいぶん様変わりしていて、この港町の住宅街には不釣り合いなほど洒落た店が経っていたり、古くからあった和菓子店がつぶれていたり、空き地だった実家の前にアパートが立っていたりする。
その中で、いつも目を惹かれてしまうのは右端の部屋だ。ポストはいつもピカピカで、玄関周りにはさりげなく花が飾られている。外用のコンテナがあるからものもごちゃついておらず、たまに目にする洗濯ものは、どれもぴしっとして、真っ白で、清潔な感じがした。どんな人が住んでいるのだろうと思わずにはいられなかった。
知らない人の一部をのぞくようで、なんとなく後ろめたさを感じるのだけれど、そうした風景は目に飛び込んできてどうしようもない。
ある夕方のことだった。その日も母に頼まれた買いものから戻ってきたら、うしろから名前を呼ばれた。何度目を凝らしてもその人がだれだかわからない。長いまつ毛に縁取られたぱっちりとした大きな目に、ていねいに巻かれた茶色の髪の毛。シンプルだけど上質な感じのする服を身にまとった華奢な体のうしろに、ふたりの子どもが隠れている。
「私だよ、小学校と中学校で一緒だった、安奈」。
名前を聞いても、私のなかに浮かぶ姿と、彼女自身を結びつけることができなかった。
安奈は、いつも染みのあるシャツに、皺のついたスカートを履いていて、忘れ物をして先生に怒られてばかりで、机の中身はパンパンに膨れ上がっていて、――そして、クラスではいじめられていた。私は自分もいじめられていた手前、そういうのに加担したくなくて、気にせず話しかけたりしていた。話してみると純粋でいい子で、好感が持てた。とはいえ、こんなふうに人に話しかける子だっただろうか。
それからというもの、私たちは昔のように仲良くなった。安奈もまた、離婚して、子どもたちを連れて地元に帰ってきたのだという。互いの家を行き来しているうちに、私は将来を悲観することや、夫だった人について思い出すことが少なくなっていった。中学時代はズボラだった安奈が、努力して自分を変えていった話を聞いたのもきっかけの一つだった。
やがて、私は地元の会社で働きはじめた。たまに安奈の子どもを預かったりした。私の母に子どもたちをみてもらって、家飲みのようなこともしたりした。
あれから四年。二人とも再婚した。私は東京へ、安奈は沖縄へ住まいを移した。それでも、以前のように疎遠になることはなく、年に二回は会うようにしている。
前の結婚も、その後の日々も、辛い毎日だった。でも、今は後悔していない。悩みながらずるずると最初の結婚生活にしがみつかなくてよかった。心からそう思っているのだ。
今日もスーパーへ買いものに行ってきた。大きくなってきたお腹をなでながら、家々の様子にぼんやりと目をやる。私たちの暮らすマンションが見えてきた。ベランダにぴしっときれいに並んだ洗濯ものを見つけて、ふと満足した。