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√365  作者: 三條 凛花
本編
26/32

かすみ草とジン・バック

 運命だと思っていたものが罠だった。恋が醒めたのはそれが理由だった。




 20歳になったばかりのころ、私は恋をした。晴哉くんは、それまでに好きになっていた人と違って、容姿が良いというわけではなく、目立つタイプでもない。男の人を花にたとえるのもどうかと思うけれど、かすみ草のような人だった。控えめで気が利いて、そっと支えてくれる。背が高くて色白で、文学青年といった出で立ちなのに、意外にも小学校からバスケ一筋という人だった。


 晴哉くんとはサークルで出会った。1つ年上だけど、浪人生なので同級生のように接している。私は自分でも面食いだという自覚があるので、はじめて出会ったとき、彼をいい人だなとは思ったけれど、好ましい男性だとはまったく思っていなかった。


 ところが、私がなにか困っているとさっと助けてくれたり、家まで送ってくれたり、行きつけのお店で偶然出会ったりしているうちに、少しずつ惹かれていった。サークルの先輩たちの飲み会に呼ばれていってみると、たいてい彼がいて、話す機会が多かったのもある。


 私が料理好きなのがわかると、大学から徒歩5分という近さも後押しして、家飲みの会場はわが家になることが増えた。そういうときも、買い出しに付き合ってくれたり、重たい荷物を持ってくれたり、一緒にキッチンに立ってくれたりするのは決まって彼だった。だから、みんなが楽しんでいる間に私たちだけ働いていても、そんなに気にならなかった。


 少しずつ飲み会に集まるメンバーが減っていったのはいつからだっただろうか。それも2人ずつ。サークル内でお付き合いをはじめる人が少しずつ増えていって、気がつくと、私と彼の2人での飲み会ばかりになっていた。


 彼は誠実だった。2人きりだからといって変なことはなにもなく、みんなで集まっていたときとは違い、22時前になると帰っていく。歩いていくその後ろ姿を見送るのが心寂しいと思うくらいには、彼のことが気になりだしていた。

 彼に好意を持たれていることには気づいていた。私も彼とお付き合いしたら楽しいかもしれないと思っていた。でも、告白は自分からするよりも、してもらえたほうがうれしい。そう思って、待っていた。




 同じサークルのノアと友梨佳が遊びに来たのは、お盆休みの明けた夏の夜だった。実家への帰省から戻ってきたばかりの私は、連絡を受けて、純粋に喜んだ。女子だけでこうして集まるのは久しぶりだ。20時ごろに家にやってきた2人に、こんなときのために用意している多めの寝間着とタオルを2人持たせて出かける。近所の銭湯で汗を流し、コンビニでお酒と食べものを買い、家に戻った。せっかくお風呂に入ったのに、少し歩いただけで汗が吹き出すくらい蒸し暑い夜だった。



 バーでアルバイトをしているノアは、ジンとジンジャエールを混ぜてカクテルを用意してくれた。


「ジン・バックっていうの。本当はレモンジュースも入れるんだけど、コンビニになかったから簡易版ね」


「あたしは甘いほうがいいんだけど」


 友梨佳が口を尖らせる。私もそれに同意だった。料理が得意な彼女は、コンビニで買ってきたポテトチップスとツナとゆで卵でポテトサラダを作っていた。ゆで卵はコンビニで売っているので、殻をむいて、スプーンでざくざくと潰す。それから砕いたポテトチップスに、水切りをしたツナと、マヨネーズを加えて、よく混ぜる。

 私は料理好きだけれど、レシピがないと何もできないタイプなので、とりあえず間接照明だけにして雰囲気を作っておいた。カフェ・ミュージックのCDも流してみる。


「――2人とも、話を聞いたら、こういう辛いお酒のほうが飲みたくなるよ?」


 ノアは挑戦的に笑う。友梨佳と私は肩をすくめた。




「実は、竜也と別れたの」


「どうして?」


 友梨佳と私の声が重なった。つい昨日も街中でデートをしていたのを見かけたのに。


「ムカついたから」


 ノアは吐き捨てるように言った。


「サークルの新歓の後にさ、男子だけで飲みに行ったの覚えてる?」


「うん」


「そのとき、どんな話が出てたと思う? あいつらはね、ノートにさ、サークルの全員の名前を書いてたの。上の段に男子、下の段に女子。それでね、誰が誰を狙うのかを話し合ってたんだって。そうして決めた相手にそれぞれアプローチしてたってわけ。私はあっさり陥落」


 友梨佳の顔が青ざめる。


「狙うって……。そんなの、かぶったりとかしなかったの?」


「したよ。そういうときはあみだくじで決めたんだって。負けた人は『いいな』と思ってた人に一切アプローチしちゃいけない。それがルール。発案したのはケンジ先輩。友梨佳をいいなって思ってて、他に取られたくなかったから、牽制の意味で考えた仕組みらしい。ふざけんなって感じ」


 そう言うとノアは、ジン・バックを一気に喉に流し込んだ。


「佐々木先輩がサークルの男子に無視されてるの知ってる?」


 私たちは首を振る。


「先輩は、友梨佳のことが諦められなくて、決め事から降りたんだって。普通に友梨佳に連絡してくるでしょう? こないだもデートに行ったって話してたよね。――だからみんなは怒って無視してるんだって」


「……なにそれ」


 友梨佳はぽつりと言った。友梨佳もジン・バックをあおる。少し咽る。雪のように白い頬がほんのりと桜色に染まっていた。


 そのとき、私は理解した。どうしてあの人に告白されないのかを。

 ノアはエキゾチックな彫りの深い顔立ちで、凛とした美人だ。友梨佳は色白で華奢で、守ってあげたくなるような雰囲気をしている。長いまつ毛に縁取られた大きな瞳が印象的だ。一方の私は、面食いだけど、自分自身は容姿がいいわけじゃない。どんなに化粧で化けて、その上贔屓目に見ても、中の上といったところだ。化粧っ気のない幼い顔立ちも、背が低いところも、低くて丸い鼻も。――何も魅力的なところがない。


 たぶん、晴哉くんの狙いたい人はだれかとかぶったのだ。そうして、私をあてがわれた。感じた好意はうそじゃない。だから、話していくうちに好きになってくれたのかもしれない。でも、こんな始まりはいやだった。


「それからさ、晴哉くんとリッカがよく会うのも仕組まれてた。あたしたちから情報を聞いて、それをあいつに流してたんだ。リッカが喜んでたのに水を差すようで悪いんだけど――。協力するっていうようなかわいいもんじゃないよ。あの人たちにとっては、あたしたちの気持ちはゲームみたいなもんなんだ。現に、美彩ちゃんと立川先輩は付き合ってすぐなのに、先輩はもう浮気してるって」


「――私、サークル辞める!」


 友梨佳が泣きながら言った。


「あたしも」


 ノアが続く。私は、真っ白になった頭で、よくわからないまま、頷いていた。――もともと大してなかった自信が、がらがらと音を立てて崩れていくのがわかった。それからしばらくの間、私は、鏡を見ることさえできなかった。




 あれから10年が経った。今の私には、彼らのしたことを「バカだなあ」と思う余裕がある。言い出しっぺの先輩たちは悪質だと思うけれど、本当に「いいな」と思ってアプローチしていた人もいたんじゃないかと思えるのだ。


 あのとき集まった3人は、今でも定期的に会っている。それも友梨佳が結婚したので、あとわずかの間のことかもしれない。


 ノアは割といろいろな人と付き合っては別れてをくり返している。そのたびに泣いているけれど、すぐに切り替えて新しい恋に向かっている。友梨佳は、あのあと、佐々木先輩とお付き合いをはじめた。1度別れてしまったけれど、よりを戻して、先月結婚した。私は社会人になってから2回ほど付き合っていたことがあるけれど、結婚までいくことなく三十路に突入してしまい、そろそろ焦り始めている。3人の中では1番結婚願望が強かったのだ。


 そのとき、バーのドアから誰かが入ってきた。相手がだれか予測できた私は、慌ててジン・バックを流し込む。勇気をもらうために。あのときは辛くてきらいだったお酒は、今では私にとってなくてはならない相棒になっている。でも、今日は、グラスを持つ手が震えている。


「久しぶり」


 懐かしい声に振り返る。驚きはなかった。いつになるかはわからないけれど、聞いていたから。


「――ごめん、今日も情報をもらってここに来たんだ」


 そう言って彼は苦笑する。晴哉くんは、ずいぶん様変わりしていた。日に焼けて精悍な感じになった。眼鏡もやめたみたいだ。相変わらず自分のことを棚に上げて、彼の容姿を素敵だとは思わないけれど、いい感じに年を重ねているのがわかる。でも、困ったようにはにかむその表情は、10年前と変わらない。




 佐々木先輩から、晴哉くんが会いたがっていると連絡をもらったのは、友梨佳と先輩の結婚式の後だ。本当は彼も先輩のゲストとして声をかけられていたのだけれど、海外出張と重なっていたらしい。先輩は「ケンジのくだらないゲームは最低だったけど、守谷がリッカちゃんに一目惚れしたのは本当だ」と言ったのだ。

 そのとき、私は、救われた気がした。





「偶然じゃないことなんて、知ってるよ」


 私はつとめて平静を装って返す。彼はばつの悪そうな顔をして「まだ独身で、今は恋人もいないって聞いた」と続けた。


「だからなんですか?」


「――よかったら、友だちからお願いします。リッカちゃんに告白できないまま終わったから、気になってた」


 晴哉くんは一息でそう言うと、私に向かって手を出した。ますかけの手相の、大きなてのひら。本当は触れてみたいと思っていたその手は、少し、震えていた。

 私は驚いて彼の顔を見つめた。想像していた言葉とは違ったのだ。ごまかすようなことを言われると思った。あるいは、謝られるか、運命を予感させるようなもの。彼のはにかんだ顔はどこかぎこちない。声にも緊張の色があった。




 あの晩、男たちの決め事について教えてもらってよかったと思った。でも同時に、知らないままでいたかったとも後悔した。何も知らないままだったら、そのまま進めたからだ。それくらいには私は彼のことを好きになっていた。

 10年で気持ちは何度も変わった。彼を思い続けるようなことはなかった。何度も好きな人ができた。でも、心のすみには彼がいて、たまに思い出しては胸が痛んだ。


 おかわりしてあったジン・バックを一気に流し込む。彼の瞳をまっすぐに見つめて、私は、その温かい手を取った。

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