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√365  作者: 三條 凛花
本編
22/32

魔法が解けて

 魔法が解けたのは突然だった。

 隣で寝息を立てているこの人は、私と同じで年相応に老けていて、年の割に子どもっぽい、どこにでもいるようなただの男。――そう、気がついたのだ。


 いや、厳密に言えば、気がついたというのはうそだ。もっと前からわかっていたことだった。知っていてもなお、自分にとっての夢を守りたかった。彼が時たま見せてくれる少女らしい幻想だけにすがって生きていたかった。




 私は今、クリームシチューを作っている。昨日、中学時代の親友の結婚式に参列したのが理由だ。


 当時はあまりいい思い出がなかったので、びくびくしながら行ったのだけれど、あのとき怖いと思っていたバスケ部の男子たちは優しく親切で子どもの写真を待ち受けにしたスマホを見せてくる。苦手だったクラスの女子たちはふっくらして家庭の楽しさを語っていた。


 それは、未知の世界だった。知っている人たちが、別人に見える。いつの間にか、私だけが”ネバー・ランド”に取り残されたような、そんな気分。



 中学時代、いじめに遭っていた私は、なるべく遠くに行きたいと、県外の私立高校を受験した。うちの収入を考えると背伸びが必要なところで、それでも両親には送り出してもらった。


 その高校は私服で通うことができ、きちんと勉強に励んでいれば髪型やメイクにも文句は言われなかった。だから、地元に帰ると同級生が幼く見えるくらい、高校の同級生たちは大人っぽく見えた。私もいつしかそこの色に染まっていった。帰省してばったり出会っても、馬鹿にする人はいなくなった。

 彼とは、そこで出会った。




 少女漫画のような恋をした。

 私はいまだに、彼以上に整った顔立ちの人に出会ったことがない。地味な自分。誰よりも素敵な彼。そういう恋にありがちな、女子の妬みからも守ってくれた。いつも支えてくれる。一緒に出かければさっと車道側に寄ってくれ、私の荷物を自然にするっと自分の手に持っている。そんなふうに女性らしく扱ってもらったのもはじめてだった。

 彼は、私のすべてだった。


 突然仕事を辞めてきても。新しい仕事を探してくれなくても。そんなことで気持ちが変わるのなら、私は彼の見てくれだけを愛していたことになる。そう思って支え続けてきたつもりだった。彼が転職するのでも、地元に帰るのでも、どちらでも私はついていこうと思っていた。でも、もう、限界だ。


 なんの未来も見えないこの人生に、疲れてきた。私は彼の見てくれだけを愛しているのではない、とは思う。でも、私の記憶にある優しく、男らしく、頼りになる彼は、過去の中にしかいないのだ。



 だから、最後の晩餐をつくっている。

 玉ねぎは櫛形切りに、にんじんは乱切り。じゃがいもはひと口大に切る。レンジで軽く火を通してからバターで炒め、ぐつぐつと煮込む。別の鍋で豚バラ肉をゆでて油を落とす。シチューのルウと豚バラ肉を加えたら、牛乳を多めに入れて煮込む。最後にバターを少し。練乳もちょっぴり。




 男子寮と女子寮の中間地点に、共同で使えるキッチンがあった。休日の夜、ここで一緒に料理をするのが私たちの決めごとだった。クラスメートたちに「夫婦だな」とからかわれ、頬を赤くしながらも否定しなかった彼の姿を思い出す。

 彼の好物だったから、いろんな作り方を研究して、クリームシチューを作った。何度試作を重ねるのも平気だった。楽しかった。幸せだった。いつかこれが、私たちの家庭の味になるんだと、信じて疑わなかった。恋に終わりがあるなんて考えても見なかった。



 彼が最後のひと口を食べ終えたら。私は、別れを切り出す。15年近く一緒に過ごしてきたこの人と離れて、ひとりで、新しい生活をはじめる。――この人がいない生活を、私は本当に立て直せる? 逡巡している間に、彼はスプーンを置いた。私は瞳に薄く張った膜に気づかれたくなくて、うつむいていた。ごくごくと水を飲み干すと彼は「実家を継ぐことにした」と口にした。

 彼の母親はすでに亡くなっていて、継母とは折り合いが悪かった。中学生のころはいわゆる不良で、追い出されるようにして遠い地の高校へ通い出したことは私も知っている。彼が仕事を探さずにいたのは、地元に帰りたくないのも一因だったのかもしれない。

 いずれにせよ、私たちの恋は終わりだ。私もスプーンを置く。口元をそっと拭う。心臓が飛び出しそうなくらいに痛い。別れよう。――そう言いかけたとき、彼は真剣な目をして「結婚しよう」と言った。

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