あの頃のゴールに私たちはいる
「うちね、ついに食洗機を買ったの」と麻紀絵が言った。
「もう洗いものがきらいで仕方なくって、旦那さんにお願いしちゃった」
「わかるわかる」と紗織が続ける。
「汚れたものを洗うのがいやなのよねえ」
高校時代、いつも一緒にいた女子4人で集まるのは10年ぶりだろうか。化粧っ気のなかった麻紀絵はまるで別人のようだし、いつもしとやかなほほ笑みを浮かべていた紗織は早口でしゃべるようになっていた。
学校帰りにコンビニでアイスを買い、溶けないうちに急いで自転車で海まで行って、ぷかぷか揺れる緑色の波の上に足を投げ出すように座って、くだらないことをしゃべる時間が好きだった。
私たちの話は、新芽のように伸びやかで、可能性があった。
まだ始まっていない恋の話、いつかは結婚にたどりつくのかもしれない恋人の話、これからどうやって生きていこうかという未来の話。もちろん、他愛のない話もたくさんあった。でも、その一粒ひとつぶが、きらきら光っている、そういう話題だった。
だからだろうか、胸の奥がざらっとしたいやな感じがした。ああいう、きらきらした気持ちの行き着く先が、10年ぶりの再会で出てくるのがこの話題なんだろうか、と。それは、私がこのごろ感じていた、行き止まりにぶつかったような気持ちに似ていた。
「マリーの家は? 食洗機ある?」と紗織。
「手荒れもするしいやよねえ」と麻紀絵。
「そうだね、洗いものって、少し面倒くさいよね。あのベタベタしたのがいや」
私はそう答えた。でも、本当は、洗いものはきらいじゃない。
汚れを先に拭き取って、さっとお湯で流せばスポンジを汚さないままお皿をぴかぴかにできる。油汚れならティッシュ。そうじゃなければウェットティッシュ。それでも汚れが落ちないときは、ティーバッグに洗剤をつけて、予洗いをする。それからはじめてスポンジで洗う。
洗いものの面倒くささは、スポンジが汚れてべとべとになり、それがほかの食器や手にもついて、余計に手入れが必要になるところにある。もちろん量が多くて大変だったり、水にさわるのがいやだったり、そういう理由もあるだろうけれど。でも、このひと手間をかけるだけで、ぐっとかんたんになるのだ。
「あたしは嫌いじゃないよ。一つひとつ手で洗ってくのって、なんだか達成感があるんだよね」
ふと、それまでジン・トニックを飲んでいたノンタンが口を開いた。
「えー、ノンタンってやっぱり変わってる」
麻紀絵がころころと笑う。紗織もつられて笑う。
「マリーはさ、本当は洗いもの好きなんだよ。あたし、大学のときマリーん家に1ヵ月くらい泊まってたことあるんだけどさ、すごく楽しそうに洗ってた」
「なんだあ、マリーったら別に変なところで合わせなくてもいいんだよ。気ばっかりつかってたら疲れちゃうよ」
「昔からそうだもんね。私たちといるときくらいさ、もう少し肩の力を抜いてもいいんだよ。空気とか読まなくていいのにー」
みんな、やわらかい表情で笑っていた。
「ねえ、ノンタン。私思い違いしてたのかもしれない」
「……30になる自分たちは、ただ老いていくだけだとか?」
少し赤い顔をして、ノンタンが言った。高校時代には長く伸ばされていた黒髪が、今はきりっとしたボブになっている。メイクはあの頃よりも薄くて、それなのに瞳に力があった。
「ちょっとわかるよ。みんな結婚してさ、あたしもそうだけど、なんというか自分の作っている巣を守りたいみたいなところがあるよね。冒険心とかはもう、きっと出せないんだと思う。そういうのはちょっとさみしい。自分ひとりで、自由に、道を切り開いていくとか、飛び込んでいくとか。もしかしたらもうできないのかもしれないね」
ノンタンはうつむいた。
「ここって、あのころにあたしたちが喋ってたことのゴールなんだよね。みんなよく言ってたじゃん、幸せな結婚するぞ~とか。でも、ゴールではあるんだけど、同時に中継地点でもあって、幸せかどうかはたぶん、最後に決まるでしょ。だったら、その幸せを作り続けることが、今のあたしたちが目指す可能性なんじゃないかなあ」
夜道をうすぼんやりとした月が照らす。お酒のせいか珍しく口数の多かったノンタンは、ちょっと照れくさそうにうつむいて「明日は雨だねえ」と話をそらした。
ノンタンは子どものころから、天気とか自然とかに詳しくて、お月さまがぼんやりと曇ったようになっていたら雨が降るっていうのも、前に教えてもらったことだった。一見すると派手になったように見える麻紀絵の、素朴なやさしさは失われていなかった。おしゃべりになった紗織の聞き上手なところはそのままだった。
私たちは別に変わったわけじゃないのだ。あのころ持っていたものに新しく得たものを重ねているだけ。
たった30年でこんなにたくさんのものを得られるのなら、これから先、もっといろんなものを身につけられるんじゃないだろうか。――そしてそれは、もちろん私の努力次第なのだ。