青梅アンダンテ
「あー、丁寧に暮らすってやつね? ハルちゃんママ、そっち系の人なんだ?」
その瞬間、わたしたち親子は、冷水を浴びせられたようにぴりっと固まり、それからわたしはかあっと体の表面がほてるのを感じた。
幼稚園の帰り道。娘と寄ったスーパーで南高梅を見つけた。袋を持ち上げるとこの時期ならではの懐かしい香りがふわっと広がった。今年はどんなお砂糖を使おうか。できたシロップはどんなふうに飲む?
娘の遥香とそんな話をしながら、南高梅と、それから青梅と両方をカゴに入れ、お砂糖売り場に向かった。帰宅後の楽しみで頭がいっぱいだった。彼女に出会うまでは。
「ハルちゃんママ!」
娘と同じクラスの”璃々華ちゃんママ”は、わたしたちの姿を見とめると、足を止めて、ひらひらと手を振りながらこちらにやってきた。 ふと横を見ると娘の身も固くなっているのがわかる。わたしと同じように。わたしも、そしてたぶん娘も、この親子とは相性が悪いようだった。
なにを話していたのか、あまり覚えていない。でも、わたしたちのカゴに入ったたっぷりの梅たちに気づくと、彼女はふっと笑ってああいったのだった。
そして「梅酒とかさあ、買ったほうが早くない? 作ることに意義があるってやつ? それとも節約系? どっちにしても、雑なウチにはハードルが高いわあ」と、ころころと笑いながら続けた。
悪意はないのかもしれない。ただ単に、思ったことを言っているだけなのかもしれない。買ったほうが早いというのもわかる。でも、わたしは娘と一緒に毎年梅を漬けるのが好きなのだ。遥香が生まれた年からずっと習慣にしてきたことで、この時期が来るたびにわくわくする。
シンプルに言えば、これはわたしたちの「趣味」だ。
わくわくしたきもちでいっぱいになっていたのに、それを一つずつ、じわじわと黒く染められたような、いやな気分になり、わたしたちは無言のまま家路についた。
家に帰ると、遥香が無言で梅の袋を開けた。わたしはボウルにたっぷり水を張った。遥香がそこにぽちゃ、ぽちゃ、と梅の実を落としていく。
「遥香、青梅のほうだけでいいのよ」と、南高梅の袋も開けようとしていた娘に言った。青梅はアク抜きが必要で、1~2時間は水に漬けておく必要がある。でも、南高梅はその必要がない。むしろ、漬けてはいけないと本で読んだ。
夕方、遥香が踏み台を持ってきて、キッチンの洗い場に立った。ボウルの中の梅をひとつずつ、きれいに洗っていく。私はそれをキッチンペーパーで丁寧に拭き取る。
ダイニングテーブルの真ん中に梅がたっぷり入ったボウルと、からっぽのボウルと、計量器と、チラシで折った小さなごみ入れと、洗って乾かしホワイトリカーを含ませたペーパーで拭いて消毒しておいた保存びんを3つ、それから氷砂糖と黒砂糖、グラニュー糖、きび砂糖、お酢、りんご酢を置いた。
そして、竹串が2本。
それぞれ手に持って、もくもくと梅のへたを外した。へたと実のすき間に差し込むと、南高梅のほうはおもしろいようにポロポロ取れていく。青梅は少し力がいる。
ヘタをごみ入れに移し、ヘタを外した梅の実は空っぽのボウルへどんどん入れていく。ややあって、遥香が口を開いた。
「ママ、璃々華ちゃんママは、自分ができないから、あんなふうに言ってるんだよ」
うつむいた瞳に涙が滲んでいるのを感じた。
大人のわたしでももやもやした気持ちになるのだから、娘の年ごろだったら、もっとそうなのだろう。
「それはわからないわ。興味がないだけかもしれない。できないじゃなくって、やらないのかも。遥香だって、ピアノは好きだけど、運動するのはきらいでしょう。自分からはやろうと思わない。それと同じなのよ」
わたしは、自分に言い聞かせるように話した。遥香は納得がいかない様子だった。わたしも本当は彼女の「ハードルが高い」という言葉、そのときの表情からは、拒絶や馬鹿にした感じを受け取っていた。
「じゃあ、梅の実とお砂糖をおんなじ量だけ入れて。こっちが遥香のびんね」
私はマスキングテープとマジックを遥香に渡した。まだあまり上手ではない文字で、楽しそうに「はるかのうめしろっぷ」と娘が書いている。年中さんになったころから、遥香の専用びんを用意するようにした。これが思いのほか好評で、毎日、楽しそうに上下をひっくり返している。
「遥香はねえ、今年は黒砂糖だけのシンプルなのにするの」
「じゃあママはりんご酢ときび砂糖で作ってみようかな」
こうして迷う時間も楽しい。
彼女と話して、そのニュアンスから、なんとなく自分が恥ずかしいことをしているような気になった。でも、それは間違いだった。誰になんと言われようと、自分が楽しいと思うものは楽しい。それでいいのだ。
私は空色のマスキングテープに「ままのしろっぷ」と書いた。