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√365  作者: 三條 凛花
本編
11/32

つばきと山茶花

「雪のない冬って、未だに慣れないの」


 道々で見かける赤い花に目をやりながら、私はつぶやいた。


「つばきって、冬に咲くのね。他に花がないし、豪華だから、とても目立つ。」


 私の言葉に、崇は「いや、あれは山茶花だよ」と答えた。


「確かに似ているんだけど、つぶさに観察してみると違いが色々あるんだ。一番わかりやすいのは地面を見ること。どう、何か気づく?」


 地面にはぱらぱらと赤い花びらが散っている。少し薄汚れていたり、変色して縮んだりしていた。


 首をかしげる私に、崇は「つばきはね、花ごと落ちるんだ。一方、山茶花は花びらだけがぱらぱらと散る。だから、まずは地面を見るといいよ」と微笑んだ。それから、「他にもね、葉がつやつやかどうか、実に毛が生えているか、そういう違いがあるんだ。違いがわかると面白いよ」と続けた。




 この人はどうして、花の見分けはつくのだろう。そう思うと、胸をぎゅっと掴まれるような切なさがあった。


 それは、5歳年上の崇と結婚して半年が経ったころのことだった。

 平和な日々を送っている。それなりに仲の良い夫婦だとも思う。でも、結婚式の、彼の挨拶を聞いてから、私のなかの彼への気持ちが少し変質したのを感じる。熱々のコーヒーが、冷めてまずいコーヒーになってしまったような。それでも、高い豆を使ったのだからと無理して飲んでいるような、そういう気持ち。

 そしてその出来事は、大人になってからできた親友を失うきっかけにもなった。





 同期の麻美と私が並んでいると、周りはぎょっとしたものだった。


 私たちは双子のようにそっくりだったのだ。よく見ると顔のパーツが似通っているわけではない。私は団子鼻だけれど、麻美はすっと鼻筋が通っている。麻美は一重だけれど、私は奥二重だ。それでも、顔の系統やヘアスタイル、服装などが似ていたので、社内でも私たちを間違える人がよくいた。

 言うならば、それこそが悲劇だったのだ。



 結婚式のスピーチのなかで、崇は、私を好きになったきっかけをこう話した。


「給湯室で誰かマナーの悪い人がいたんでしょうね。こぼれた飲みものや、ごみ箱に入っていないペットボトルがそのまま放置されていました。でも、僕はそれを片づけることなく、また、他の人もそうだったと思う。しばらくして、会議のために出て、給湯室の前を通ったら、彼女がいたのです。

 彼女は自分に関係ないはずなのに、こぼれた飲みものをきちんと拭き取り、ペットボトルをキャップとラベルと本体とに手早く分けて、ごみ箱に入れていった。

 それから汚れた台拭きをていねいに洗い、優しく振りさばき、干した。そしてハンドソープを泡立ててやわらかい動きで手を洗い、アイロンのきいたハンカチで手を拭いた。

 当たり前のことかもしれない。でも、その流れるような動作から目が離せなかった。家庭を一緒に作るのなら、こんな人がいい。初めて惹かれたのはその瞬間だったのです」


 途中から、血の気が引いていく思いだった。顔を上げないようにした。視界がにじまないようにするので精一杯だった。


(それは、私じゃない……)


 声にならない叫びを飲み込んだそのあと、どんなふうに過ごしたのか思い出せない。一生に一度の、ずっと憧れていた結婚式なのに。




 二次会にも参加するはずだった麻美は、披露宴のあと慌ただしく帰っていった。プチギフトを渡したときの、青ざめた顔が忘れられない。


 つばきと山茶花が見分けられるのなら、どうして、私たちをきちんと見てくれなかったの。崇を責めても仕方のないことだ。みんなに間違われるのだから。でも、それでも……。無意識にため息が口からこぼれてしまっていたようだ。


「荷物、重たかった?」と崇が私のビニール袋をさっと自分の手に移した。私は「大丈夫、でもありがとう」とほほ笑みを貼りつけた。

 あの結婚式以来、胸が焼けるような気持ちになることが多々ある。麻美とは連絡が取れなくなった。



 正直に言うと、崇が私たちを間違って認識したことは許せない。悲しいし、悔しいし、腹立たしくも思う。でも、それでも彼のそばを離れたくない。たとえ間違いから始まった恋なのだとしても。終わったことはもう変えられない。


 だから私は、彼が毎日帰ってきたくなるような家を作ろう。そのときの記憶なんて吹き飛んでしまうような、心地よい関係の夫婦になれるように、最大限努力をしていこうと思うのだ。


「本屋さんに寄ってもいい?」


 そう尋ねると、崇はにこにこと笑った。私は料理の本や家事の本をたくさん買い込んで帰った。まずは形からはじめるのだ。




 あれから数年が経った。子どもが生まれても、崇が相変わらず優しくても、私の胸に空いた小さなちいさな穴は塞がらずにいる。普段は幸せなのだけれど、ふとしたときに空気がしゅうっと抜けていくような感じがあるのだ。

 私は、 忌々しくて見ることのなかった結婚式のDVDを捨てることにした。これさえなければ。そう思えてならなかったのだ。そして最後に、一度だけ見てみることにした。そして、まっ白になって聴き飛ばしていたスピーチの続きに気がついた。彼は続けてこう言っていた。


「つき合ってみたら当初の印象とは違ってびっくりしたんですが、苦手だと言いつつ、料理や掃除、家庭のいろいろなことを勉強して、がんばってくれている様子に感動しました。どうして家庭的な人がいいな、と思っていたかというと、僕自身が割と家事は好きで得意だったからです。結婚する人とは、休日、一緒に料理をできたらいいな。以前から漠然と描いていたその夢は、家事が苦手だった妻が、努力して叶えてくれました」



 間違いから始まった恋だったけれど、でも、彼は、素の私を見つめて好きになってくれたのだと思うと胸が熱くなった。でも、麻美の顔が真っ青だった本当の理由がわかったから、結局連絡はできずにいる。

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