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√365  作者: 三條 凛花
本編
10/32

私を好きになって

 深夜のコンビニで、おにぎりを2つと、板チョコレートを1枚買う。手渡されたビニール袋を受け取り、ありがとうございました、と小さな声で伝えて店を後にする。今日も、顔を上げることができなかった。コンビニに限らず、お店ではたいていそうだ。だから、先週の飲み会で言われた同僚の言葉にはずっと引っかかっていた。


「リカさんが人見知りなんて考えられない。ノリもいいし、話してて楽しいもの」


 お酒が入っていたとはいえ、お世辞とか嘘で言っているような表情ではなかったと思う。



 コートの襟元を合わせるようにしながら、マンションに戻る。広々とした空間がいいからという夫のひとことで、都心に25畳のワンルームを借りて暮らしている。でも、間違いだったかもしれない、と思う。ベッドにまるまって、こちらに背を向けてふて寝している夫を見ると、どうしてもいらいらしてしまうのだ。


 私は彼を視界の隅に追いやって、リモコンを手に、ソファに沈みこんだ。缶ビールをあけ、変な組み合わせだけれどおにぎりを頬張りながら、録画しておいた海外ドラマを観る。夫が何度か寝返りをうった。そして起き出してトイレに行ったけれど、私も夫も何も口にしなかった。目も合わせなかった。



 再び布団にもぐりこんだ夫の姿が嫌でも目に入るので、暗くした。そうしたらようやく映画の世界に意識を向けられるようになる。そして、ヒロインのブロンド女性に心惹かれた。ーーこの人、この間の映画では見ているだけでいらいらするような嫌な役だったのに、今回はとても応援したくなる。不思議だ。演技がじょうずなのだろうな。

 そう思ったとき、突然、疑問に思っていたことへの答えが降ってきた。


「演じている」。

 そう、私は人との関係を築くために、なにかの役割を演じているのだ。



 お互いに助け合える信頼感のある同僚の役。

 親孝行で周りに自慢したくなるような娘の役。

 東京でバリバリ働いているキャリアウーマンの役。



 高校に入るまでの私は、人間関係がうまくいった試しがなかった。ありのままの自分でぶつかるとうまくいかない。だから、試しにそれをやめてみた、のだと思う。無意識にやったことで、今、答え合わせをしているような感じなのだけれど。


 嫌なことはオブラートにくるんで飲み込んでしまう。そして、相手の気持ちになって、言われたらうれしいだろうな、と思うことを選んで伝える。やってほしいと思っていることを考えて動く。


「そのままの私を好きになって。」


その思いを捨てたら、人間関係は驚くほどよくなった。





 私が店の人に対して人見知りをしてしまうのは、演じる役割が思いつかなかったからなのだ。でも、それならば「感じのいい客」を目指せばいい。


 エンドロールが流れる。

 夫が再び起きてきて、バタバタと乱暴に音を立てながらトイレへ向かった。怒っているときの癖だ。



 小学校のときからずっと一緒の彼の前では、私はどうしても、演じることができない。それならば、役割を考えてみよう。


 物分かりの良い妻?

 同僚にうらやまれるような妻?

 ――よくできた完璧な妻?


 あれこれと思いを巡らしながら、小鍋に牛乳を入れ、弱火にかけた。ふつふつと小さな泡が立ってきたころ、板チョコレートをパキンと割って入れた。

 かき混ぜると、少しずつチョコレートの茶色がマーブル模様になって、滲んでいった。


 無言でベッドへ戻ろうとする夫に、ほかほかと湯気を立てるホットチョコレートを差し出す。


「ごめんね」は、言えなかった。

 

 夫は無言で隣に座った。


「観たいのがあるんだけど、眠くなるまで観ない?」


 まだ少し棘のある声で彼は言った。私は頷いた。





「私を好きになって。」


 その思いが消えない限り、私は彼とこうしてぶつかり、お互いにいらいらして、そして最後には仲直りをするのだろう。そう思いながら、私は彼の肩にそっと頭を預けた。


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