大晦日に出会った白い少女
除夜の鐘が鳴り出した。
ぐっと力を込めて窓をいっぱいに開けると、風と一緒に雪が吹き込んできて、重たく乾いた部屋の空気をさわやかに塗り替えていった。熱くほてった頬の上で雪のかけらがじゅわっと溶けていくのがわかる。
窓の向こうに立ち並ぶ家々、その一軒一軒が顔見知りだというくらい狭いこの街だ。大騒ぎになるのは目に見えている。でも悪い気はしなかった。そうなればなるほど、あの人たちはこの街に居づらくなるのだから。
愚かしいと思うかもしれない。でも私にはこれしか思いつかない。明日からも、学校に行くくらいだったら。かんたんなことじゃないか。
窓のへりに座る。この下には雪に隠れたコンクリートの地面がある。途中に出窓があるからクッションになるかもしれない。でも植木鉢の上なんかに落ちたら痛そうだ。そもそも、すぐにラクになれるものなのだろうか。高所恐怖症の私にとっては、それこそまっ暗な口を開けた闇のように恐ろしく思えるけれど、3階の、この程度の高さで。
そう思い至るとふいに足ががくがくと震えだした。まずい、早くしなければ。除夜の鐘が鳴り終わらないうちに。気持ちが高ぶっているうちに。震えがひどくなる前に!
どれくらい、時間が経ったのだろう。確かに飛んだはずだったのだ。何が起こったのかわからず、恐る恐る薄目を開けた。
最初に見つけたのは「目」だった。
逆さまに浮いている女の子。真冬だというのにまっ白なノースリーブのワンピースを着て、長い髪をしっとりと下ろしている。何よりも特徴的なのはその、虚ろな目。すべてを諦めたような目だった。
そして彼女を取り巻く空間もまた不思議だった。空が下で、地面が上にあり、大樹が浮いていて、崩れた家が飛んでいる。
私の意識がはっきりしたのを確認したようだった。次の瞬間、彼女は「今日は大晦日でしょう。いつもと違うの。特別な魔法を見せてあげる」と、口元だけを笑顔の形に繕ってそう言った。
「だれ?」
「質問は禁止。それから”今”のあなたに選択の余地はないわ」
彼女がぴしゃりとそう言うと、口が重たく縫いつけられたように、開かなくなった。それを見届けた彼女は淡々と、事務的に続けた。
「まずルールその1。
あなたには明日から365日、毎日違う女性の人生を送ってもらいます。
そうね、あなたの存在は霊のようなものだと考えてくれればいいわ。その女性の人生に対して、なんの干渉もできない。ただ感覚や感情は共有します。
ルールその2。
体験する人生は、すべて29~30歳の女性のものよ。あなたのちょうど2倍生きていることになるわね。思考もライフスタイルも、何もかもが違うわ。
ルールその3。
記憶は毎日消去されます。たとえば1月1日に体験した人生のことを、あなたは2日にはすべて忘れている。干渉することはできないのだから、もちろんメモなんかを残すことはできない。
これは毎日をフレッシュな気持ちで迎えてほしいというこちら側の配慮だということを理解して。もっというと、あなたの自我のようなもの、それ自体が失われた状態と言ってもいいわ。他人の人生を送っている間、あなたは、あなたとして考えたり、感じたりすることはできない。
それから最後に。365日の人生を体験し終えたら、すなわち、1年後の大晦日の夜に、あなたの1年分の記憶がすべて戻ります。
あなたが選択するのは、その後よ」
そこまでをひと息で言い切ると、彼女は少し疲れたように「もういいわ、行って頂戴」と追い払うような仕草をした。
顔色は青白く、やつれて見えた。
そこで私の意識は遠のいていったのだった。
深い海の底へ向かってとろとろと沈み込んでいくような感覚だった。水面のほうだけが明るく、そこに向かって手を伸ばしながら落ちていくような。
そして、次に目覚めたときには……。