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公爵家の養女は『兄』に恋をする。  作者: 久浪
第四章『各々の選択』
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ジルベルスタイン家





 アウグラウンドからの一行が国に戻り、シルビアはジルベルスタイン家に居住を戻すことになった。

 婚約期間ではあるが、これまでもシルビアの身を預かっていたのはジルベルスタイン家で、これからジルベルスタイン家に嫁ぐことになるからだ。

 城で捕らえられていた男は、アウグラウンドに引き渡された。現状気を付けるべき危険はなくなった、ということになるのだ。


「帰るか」


 迎えに来たアルバートに促され、シルビアはしばらく振りに城の敷地を出た。

 馬車に乗り、窓から過ぎていく景色は騎士団に入ってからずっと見てきた帰り道。


「こうして家に一緒に帰るのも、久しぶりか」


 思っていたことが、聞こえてきて少し驚いた。見ると、アルバートもシルビアが見ていたのと同じ窓から外を眺めているようだった。


「これで、別れる必要もなく、シルビアがいる生活が戻ってくるわけだ」


 続けての言葉は、シルビアに話しかけているのではなく、何気なく呟かれた小ささの言葉だった。


「ああ、そうだ。家に帰ったら、母上が結婚式の衣装のデザインの情報を流行りだの片っ端から集めていたからうるさいと思うぞ」


 こちらを向いたアルバートが、「どうした?」と首を傾げた。

 アルバートの呟きに、瞬きもせず彼を見つめていたシルビアは、慌てて首を横に振った。


「結婚式、の、衣装のデザインですか?」


 聞き返すと、アルバートは「ああ……」と説明を付け加えてくれる。


「結婚に当たって、結婚式の前日の儀式と結婚式は、王家の介入もあるが基本的にはジルベルスタイン家(うち)が仕切る。準備も当然な。儀式は全て決まりきったことだが、結婚式は大まかな流れは決まっていてもその他に選択出来る点がある。その内の一つが衣装だ。さっきも言ったように、母上がかなり張り切っているから勢いに押されないようにしろよ」


 シルビアはとりあえず頷いた。

 衣装と言っても、これまでシルビアが身に付けていたのは養母の見立ててくれたものだ。

 シルビアには洋服の好みというものは、いまいち分からず、養母から意見をもらえるのなら助かる気がする。

 それより、「結婚式の準備」という言葉が出て来て、奇妙な心地になった。


「結婚式……準備……」

「必要以上に気にしなくていいからな。関わってもらうところは出てきて、意見を聞かれるところもあるだろうが、意見を通したいところは通して、よく分からなければ任せておけばいい。今言ったのは、あくまで家に帰れば母上がいるから、だ」

「いえ……気にしているのではなく……」


 それ以前の問題と言うか。


「実感が、なくて」


 もうすぐ、アルバートと夫婦というものになるのだということが。未だに。

 結婚式という、結婚を象徴する式の準備が始まっていることに実感の予感を抱いている段階。

 そんなシルビアに、「いいんじゃないか」という言葉がかけられる。もちろん、アルバートだ。


「意識しろなんて誰も言わない。帰る先も同じで、住む場所が変わらないからそういう点での実感はたぶん皆無だろう。──ただ、変わったことはある。俺は、とりあえずそれでいい」


 灰色の目の眼差しが、目を惹き付けられるような雰囲気を帯びた。

 ──変わったこと、が何を意味するのかはすぐに分かった


「お前のそれは……無自覚なんだろうな」


 目を細めたアルバートが、シルビアに触れた。

 頭を撫で、下に滑らされた手は、頬を撫でていく。

 最近、頭だけでなく、頬を撫でられることが多い。直接肌に触れる温かさは、心地よくもあり、鼓動を速める。


「ヴィンスとの契約もあるが……」


 兄の名前が聞こえてきた。

 何だろうと思わずアルバートを見上げると、彼の顔が下りてきて、額に──。

 一瞬のこと。

 アルバートは元の位置に座り、シルビアは。

 シルビアは一拍遅れて、額を押さえた。触れた熱は一瞬でもう触れていないのに、まだ残っているようで、勝手に心臓がもっと暴れるように打つ。


「意識してもらえれば、嬉しいと言えば嬉しい」


 アルバートは笑って、シルビアを撫でた。灰色の目が、シルビアから離れ、窓の方を見る。


「着いたな」


 シルビアも視線を追って窓の外を見ると、ジルベルスタイン家の邸があった。


 門から敷地内に入り、馬車を玄関につけると、養母が待っていた。


「シルビア、お帰りなさい!」


 降りるや否や飛び込むように抱きつかれ、勢いに負けたシルビアは踏ん張り切れず、後ろに倒れる予感を抱いた。

 が、地面に倒れてしまうことはなく、即座に反応したアルバートが支えてくれた。


「母上、シルビアが倒れる。加減はしてくれ」

「ごめんなさい。嬉しくて、つい」


 養母は少し身を起こし、シルビアに満面の笑顔を向けた。


「お帰りなさい、シルビア」

「──ただいま帰りました、お母様」


 久しぶりに邸の中に入り、使っていた部屋に行った。


「部屋はそのままだから、不便に変わっていることはないはずだ」


 開戦から戻ることのなかった部屋は、そのまま。

 この邸で、ずっと過ごしてきた記憶が詰まった部屋のまま。この先出ることになると思っていた部屋。


「部屋はいっそ、この機会に変えてはどうだ?」

「父上、帰ったのか」

「アルバート、何度も言うがな」

「『お帰りなさい』」

「そう、それだ」


 仕事の関係で、シルビアがさっき帰って来たときにはいなかった養父がいた。


「お父様、お帰りなさい」

「シルビアも、お帰り」


 そしてただいま、と養父は、シルビアを軽く抱き締めた。


「そうそう、それで部屋だ。変えないか?」

「部屋の、何を変えるのですか?」

「位置だ。アルバートの部屋の近く、……そうだ寝室はどうす──」

「父上」


 大きな声ではなかったが、確実に思わず口をつぐんでしまう声音で、アルバートが父親の言葉を遮った。

 そして、自らの方を見た父親に、首を横に振る。


「いや、しかしな」

「父上」


 二度目。


「俺達のペースで進めさせてくれないか」

「ふむ」


 アルバートと同じ色の、養父の瞳がシルビアをちらりと見る。


「確かに。これまでのことを思えば、状況も中々に特殊だ。しかしアルバート、進めるところを進めなければ、ずるずると現状が続いてしまうことがあるからな」

「分かってる」

「ならば、親がその辺りに口出しするのは止めておこう」


「ねえ、お茶の準備が出来たから、お茶にしましょう!」


 遠くから聞こえてきた養母の声に、養父がすかさず返事をして、ひとまず部屋を後にした。

 元より、部屋はわざわざ確認するべき箇所もなかった。


 ジルベルスタイン家での生活が、また始まる。



 *





 ジルベルスタイン家に戻ったシルビアには、やることがあった。

 結婚式の準備だ。

 とは言うものの、シルビアよりも他の人がしてくれることの方が多く、これは絶対にとシルビアの前に出された準備は、結婚式の衣装。

 名高いデザイナーが手掛けた何枚ものデザインサンプルと、新たに一から産み出されたデザインがジルベルスタイン家に届いていた。


「母上、確かに俺にはこだわりはないが、男の衣装なんてどれもほとんど変わらない。俺はこれでいいって言っているだろう」


 結婚式の衣装を決めなければいけないのは、どうやらアルバートも同様のよう。

 ただし、彼は早々に一つの紙を示して「これで」と決定を表した。

 シルビアはどのデザインでも、アルバートなら似合うだろうと思ったため、さすが意思決定が早いと思うだけ、なのだが。


「そんな決め方駄目よ」


 養母の厳しい目が光っているので、すんなりいくことはない。


「アルバート、花婿の衣装も、細かなデザイン一つで、花嫁のドレスのデザインとの相性が変わるものなのよ」

「それなら、シルビアのドレスが決まったときに『最も相性の良いデザイン』を選ぶ」

「そのために、シルビアのドレス選びに参加するのよ」

「参加ってな……。シルビアが気に入ったものを着ればいい」


 アルバートの何気ない一言に、養母の目が鋭く光った。


「──ルーカス」

「心得ているぞ、フローディア。息子に教えることがあるようだ」


 同席しながらも、こちらはにこにこして何も話しはしていなかった養父がにわかに立ち上がり、アルバートに立ち上がるように指示した。


「父上、何だ」

「いいから来なさい」


 訝しげなアルバートは、養父に扉の方に誘導されていく。


「いいか、アルバート。相手の望むようにと思うことは確かに第一だ。だが、相手を尊重するあまり、自分の意見を言わないのは駄目だ」

「意見なら言っているだろう。母上がやり過ぎになりそうなときにな」

「そうじゃない。そういう意見じゃなくてだな……」

「大体、この前口出しするのは止めるって言ったばかりじゃないのか」

「それとこれとは別だ。特に今回の問題は期限が区切られているからな。取り返しがつかなくなってしまう」


 話をし続けつつも、養父とアルバートは部屋を出ていった。


「さてと、ドレス選びを続けましょうか」


 養母が輝く笑顔で言ったので、シルビアは再びデザイン画に視線を落とした。


「どれもこれもいいのよね。これは胸元のデザインが可愛らしくて、こっちはどちらかと言うと美しい。シルエットも違って、ベールもとなると……」


 シルビアには目が回りそうだ。

 普段着のドレスとは違って、結婚式のドレスは一着のみ。

 さすがの養母も、迷ったからあれもこれもというわけにはいかない。

 そして根源として、シルビアはどれにすればいいのかさっぱり分からない。決心できることは出来るのに、出来ないことは全く出来ない。

 何となく決めることは出来そうだけれど、養母がこんなにこれもいいあれも似合うと悩んでくれているので、何となくでは決めるべきではない気がする。


「いっそここいいわねって思うところを伝えて、さらにオリジナルを作ってもらうのもありよ。私のときはデザイナーのデザインがそのまま好みでね、即決しちゃったのよ! まだ取ってあるから、見てみる?」


 養母が着たものがあるのか。興味を引かれたシルビアが素直に頷くと、養母は侍女に持ってくるように云った。

 その間に、養母は、アルバートの分のデザイン画も引き寄せて、シルビアのドレス案とセットで並べて眺め始めた。


「シルビアもアルバートも、性格は全然違うけれど、こういうところにこだわりがないところは似ているのかしら」

「上手く決められなくて、すみません」

「あら、何を謝るの。もちろん自分達のこだわりがいっぱいあって、そのこだわりが詰まった結婚式を計画するのは良いことだわ。でも、私がこれだけ関わることが出来るのは、嬉しいことなのよ」


 養母は紙から目を上げて、シルビアに笑いかけた。


「あのね、シルビア。私は今、とても、とても嬉しいのよ。息子が好きな人の存在を明かしてくれた。その人と結婚する。それだけでも嬉しいわ。それだけでも嬉しいというのに、相手がシルビアだなんて、夢のようよ」


 彼女は本当に、本当に嬉しそうに笑った。


「ルーカスなんて、『シルビアがこれからもうちの子だなんて!』って大はしゃぎよ。娘がずっといてくれることになって嬉しいのは当たり前よ。何より──私の息子、私の娘。あなたたちが二人とも幸せなら、それ以上の幸福はないわ」


 フローディア・ジルベルスタイン。シルビアにとっての、母とは彼女だ。母という意味、実感を与えてくれ、いつでもシルビアを慈しんで接してくれた人。


「あら、あら、どうしたのシルビア!」


 養母が青い瞳を丸くして、放り出すように紙から手を離した。


「いいえ──いいえ、何でもありません」


 悲しいことは何もない。それなのに。


「嬉しいのに、涙が出てくるのです」


 自分の幸せを願ってくれた養母の優しさを感じた。感情がじわりと染み渡ったような感覚を抱くと、前触れもなく急に涙が零れ落ちた。

 この前もそうだったのだとシルビアが言うと、ますます目を丸くしていた養母が、優しく目尻を下げて顔をほころばせる。


「嬉し涙ね。とても嬉しいときに、泣いてしまうこともあるのよ」


 言いながら、彼女はシルビアを腕の中に包み込みこんでくれた。

 手が、シルビアの背中を撫でる。


「シルビアは、アルバートのことが好きだったのね」

「……はい」

「どうして気がつかなかったのかしら」


 養母の腕はシルビアをぎゅうっと抱き締める。


「私が祈ったあなたの幸せは、近くにあったのかしら?」


 声は耳元で囁くように言い、


「好きな人との結婚は、間違いなく幸せの一つだから」


 優しい響きを持っていた。


 やがて、養母の結婚式のときの衣装が持ってこられ、見ているときにアルバートが養父と戻ってきた。

 アルバートは何事もなかったかのように椅子に戻り、養父も座っていた椅子に腰を下ろす。


「……泣いたか?」


 もう涙はないシルビアの顔を見て、アルバートが見破った。


「まさか、母上が泣かせるなんてことがあるのか……?」

「泣かせたのは私だけれど、違うのよ」

「どういう意味だ」

「嬉し涙を流してくれたのよ」


 ちょっと得意気に、嬉しそうに、養母は言った。

 最近短期間に泣きすぎていると思っていたシルビアは、泣いたと気がつかれて気恥ずかしくなったけれど、アルバートは「それならいいが」とすんなり流した。


「で、あれは?」

「私が結婚式のときに着たドレスよ。アルバートにも見せたことはなかったわね」

「まず見る理由がなかったからな」


 ドレスを眺めるように見たアルバートは、シルビアに向き直った。


「シルビア、少しでもこれが着たいと思うものはあるか?」

「……これが似合うぞ、と一つくらい言いなさい」

「……父上、自分のペースでやらせてくれ」


 アルバートは横目で父親を睨み、黙らせた。


「そもそも、シルビアはどれを着ても似合うだろう」


 シルビアに言ったのではなく、父親に対して言い、目もデザイン画を見ての一言。


「あらまあ」


 養母がにこにことし、養父もにこにこして、それに気がつかず、アルバートは真剣に、シルビアを見てデザインを見てと、見比べていた。


 この、温かなジルベルスタイン家で、これからも生きていく。









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