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公爵家の養女は『兄』に恋をする。  作者: 久浪
第四章『各々の選択』
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別れと約束


アルバート視点。






 シルビアの横顔を眺めていると、シルビアがふとこちらを見て、目が合う。恥じらうように目が逸らされかけ、白い頬に朱が混じる。

 この間から、顔を合わせると必ず一度はそんな反応を見る。

 その度に愛しいな、と思う。

 その感情が素直に心に浮かび、律する必要のないことが、まだ不思議な心地が残っている。


 シルビアに明かしたように、いずれ、『兄』としてでも触れられなくなる日が来るのだと思っていた。

 『兄妹』だった。そして、シルビアの身の上を考えると、王太子の妃に選ばれる可能性が十分あった。

 どれほどの想いを持とうとも、義理の兄である関係は変わらない。分かっていたからこそ、自分の許される範囲で全力で守り、与えられる限りの幸福を得られるようにしてやりたいと思っていた。

 そして、本当に王太子との結婚の話が正式に出てきたときに、改めてその覚悟を決めた。

 夜会のあった日、最後の最後に、手を伸ばした。伸ばしてしまった。


 シルビアが嫌だと言うのなら。ヴィンスがしたようにこの国から出してやろうかと。そんなことを言った。


 『女神』として扱われること、それが影響し、読もうにも読めない先。いっそ国の中枢から離れれば、普通の幸せがあるのではないかと、強烈に思った。

 あのとき、シルビアが嫌だと言えば、自分はしただろうとアルバートは思う。計画したわけでもなく、あのときふっと出た言葉だったが、瞬時に固まった覚悟があった。

 だが、シルビアは受け入れると言ったからアルバートも受け入れ、覚悟を新たにした。

 それが、このように転ぶとは誰が予想したか。

 周りの人間は誰一人として予想できず、言い出した王太子一人の掌の上のようだ。

 まったく、本当に……。


「思いもよらないことが、続くな」


 結婚の話。

 シルビアの告白。

 全てが。


 想っていることを知られていなくて良かった。想われていることを知らなくて良かったと思う。

 知っていれば、自分はどうしたろう。ただただ、どうしようもない心地になっただろう。前よりもっと酷かったに違いない。やはり過去には手を伸ばすことは許されなかったからだ。


 今回の機会に恵まれ、その上で伝えることができ、知ることが出来たことは作られた奇跡であるが、このタイミングで良かった。知られることも、知ることも。手を伸ばし、触れることが許されなければ、ただの地獄と成り果てるのだから。


 好きだ、愛していると明かして、彼女が涙を流した。好きだと言われ、求婚が受け入れられた。

 あの時間を思い出す。きっと、死ぬまで記憶に鮮やかに焼き付いたままになる日だという確信があった。


 全てが愛しいと思う気持ちは、今、勝手に大きくなっているばかりのように感じていた。

 その一言、一言。赤くなる頬が、堪らなく愛しい。

 幸福は幸福でも、種類があるらしい。これまでに感じたことのない幸福だった。

 今まで、一生外に出さないだろうと封じてきた分、表に出すことが公的に許されて、反動が来ているのだろうか。いまいち気持ちの制御が分からなくなっているのは、問題でもあるが、幸せな悩みなのだろう。


「アルバート、待たせたな」


 椅子に腰かけ、珍しくもぼんやりと物思いに耽っていたアルバートは、意識を現実に引き戻された。

 いつかのように、後から入ってきたのはヴィンスだった。

 挨拶もそこそこに、椅子に座り向き合うと、始まったのは予想していた話だった。


「君とシルビアとの結婚の話、このままいけば近い内に発表になる」


 シルビアとの結婚の話が固まった。

 アウグラウンド側とも、正式に両国公式の婚姻として話が進められることになった。

 元より、ヴィンスがこちらに訪れる前に書簡で提案をしており、この滞在中に決め、関係を締結してしまうつもりだったのかもしれない。

 全く、あの王太子は読めない人間になったものだ。


「改めて、シルビアとの話し合いが上手くいったようで何よりだ」


 シルビアとの結婚の話を持ちかけられて以降、また、シルビアと話してからヴィンスと二人で会うのはこれが初めてだった。

 シルビアの部屋で、一度会ったが、そのときはアルバートは自分から話そうとはせずほとんど傍観に徹していた。兄妹で話せばいいと、本心では自分抜きで兄妹の時間を過ごさせたいと思っていたのだが、引き留められたため、主にシルビアを見守りながら同席していたのだったか。


「お陰さまでな」


 と普通の返しをしたアルバートだったが、付け加えで「知っていたのか」と聞いた。友は、何がとは聞き返さなかった。


「いいや。知ったのは、君が来る直前だ」


 シルビアが、結婚の話を受け入れる可能性。好意を抱いていたこと。


「それなのに、俺で良かったのか」

「良かった」


 即答された。


「最善は、君との結婚だと思っていた。君に任せられるのならそれ以上に安心することもなかった。シルビアが君に異性に対する好意を持っていなかったとしても、君はシルビアを不幸にしない。あれほどシルビアを気にかけてくれる心を持っているなら、絶対に不幸にしない。むしろ望ましい生活と、そればかりか幸福を与えてくれる可能性があった」

「そこまで、絶対的に信用されていたとは予想外だ」

「何を言う。当たり前だ」


 当たり前とまで言われる理由が分からず首を傾げたが、ヴィンスは笑っただけだった。

 そのまま、その話を流すように、ヴィンスは当たり前が示すところを言わなかった。


「では、少し早いが、おめでとう。義兄(あに)と呼んでくれてもいいぞ」

「ヴィンス、お前の冗談は相変わらず大真面目にしか聞こえないな」

「君に義兄と呼ばれるところは想像がつかないので確かに冗談だが、事実ではある」


 などと、真顔に近い表情で言ってのけながら、彼は何やらポケットから一枚の紙を取り出した。

 紙は丁寧に広げられ、前の机に置かれ、アルバートの方に差し出される。


「何だ」

「簡単な契約書のようなものだ」

「契約書? 何のだ」


 視線で促され、アルバートは文面に目を落とすと、それと同時に前から説明が。


「正式に婚姻を結ぶまで、シルビアとの過剰な接触は禁止。『手を出す』ことは禁止だ」


 「急ごしらえなので、目を通して異議があれば聞こう」とかいう付け加えは耳を通りすぎていった。

 その前の言葉を聞いた時点で、息を吸ったタイミングではないのに、変なところに空気が入りそうになった。

 紙から直ぐ様視線を上げ、ヴィンスを見た。友は平然とし、説明を続けてくる。


「貴族として当たり前のことではあるな。嫁入り前の未来の伴侶とも、最後まで一線を守る。『手を出す』とはそういう意味だ」

「わざわざ解説してもらわなくとも分かる」

「そうか」


 それは余計な説明だったと、ヴィンスは生真面目に引き下がる。

 この男、あくまで真剣だ。冗談はなく、真剣にこの契約書とやらを差し出してきている。


「一応聞くが、この契約書を作成した理由は何だ。こんなことしなくても、分かってるぞ。お前の言う通り、一般的に守るべきことだからな」

「そうだな。誤解しないで欲しい。私はシルビアが心配なだけだ。君のことは一番信用している」

「……ここで一番が来るとはな。お前の一番は全部シルビアかと思っていた」

「シルビアのことは、そもそも信用するしないの問題がないからな」

「そうかよ」


 ヴィンスの中で、シルビアの存在は他と絶対的な差がある域にある。そうでなれけば、自分の何もかもを賭けて亡命させられるはずもないのだ。

 そう、それほどまでにシルビアのことを大切に思っている、のだが。

 こういう問題含め、らしい。


「君も男だ。そこに誰だというのは、あまり関係ない。シルビアはその辺りに疎いだろうから、うっかり誘惑されないようにしてほしい」

「兄馬鹿が」

「何とでも」


 涼しい顔で受け入れてくるので、アルバートは思わず呆れて、紙をちらりと見る。

 まさか契約書にしてしたためてくるとは……。


「ただ、この前、君があまりにシルビアだけを見つめていたので、君であれ男と認識しなければならないと思い立った」


 ……アルバートは、紙に落としていた視線をゆっくりと友に戻す。

 ヴィンスはやはり、表情を変えず、声音も様子も変えずに言い続ける。


「いつから好きだったのかは知らないが、隠さなくても良くなったとなると、反動でもあるのではないかと思い至ってな」

「……余計なお世話だ」


 自分でも思っていたことを言われ、アルバートは微妙な心地になる。

 確かにこの前、主にシルビアを見守っていたが、友を見ているのも何だろう。だからだ。

 心の内で、広がるばかりの感情を自覚していながら制する術が分からないでいようと、第三者がいる場で明らかな行動を取るほど理性はなくなっていない。


「契約書にはサインしない」


 契約書を押し戻すと、ヴィンスが眉を動かした。


「その代わり、もっと信用出来るやり方に代える。──神に誓おう。何があっても、正式に結婚するまでは一線を越えない」


 アルバートは、ヴィンスを見据え、宣言した。

 何の心配だ。

 こちらとて、許されたからと言って、まずどこまで手を伸ばしていいのか探っている途中なのだ。急く必要はない。急くつもりもない。シルビアに不必要な戸惑いは与えたくないという思いがあるのなら、手は引っ込められるだろう。

 時間もある。時間がある、ということもまた、幸福なことだ。


「大体、過剰な接触の定義がどの辺りか分からないんだよ。軽くサイン出来るか」

「確かに。人によって異なる事項だった」


 抱擁さえ範囲に入れられることはないだろうが……サインするときの癖のようなものだ。曖昧なものは、解釈の齟齬があり得る、と。

 指摘され、ヴィンスは机の上の紙を取り上げ、文面を眺めた。


「結婚、か」


 ぽつん、と呟きを落としたヴィンスの口許に、笑みが滲んだ。


「こんな日が来るなんて」


 水色の瞳が、伏せられる。


「花嫁姿を見られないのは残念だが、彼女が幸せになる道が出来た未来が見えただけで良しとしよう」


 両国間の婚姻とはいえ、使者は来るだろうが、王となるヴィンスは結婚式には出席しない。シルビアはこの国に輿入れすることになり、この国の所属となるのだ。

 誰よりもシルビアの幸せを望む男は、自分が共にいられないことを嘆きはせず、ただ妹の幸せを喜んでいた。

 ヴィンスの手が、紙を机に置く。ただし今度はアルバートの側に押すことはない。単にヴィンスが机に置いた。


「本当に、君に出会えたことは私の幸運だったと常々思ってきたが……シルビアにもそうなっただろう」


 そうであれば良い。これからもそうであり続けるといい。

 そんなことを思いながらも、惜しげもなく自分に会えたことが幸運だと言う友に、数度目の今回言ってやらなければならないことがある。


「ヴィンス」


 紙を見ていた目が、アルバートを見る。

 水色の目を見返し、アルバートは言う。


「俺がお前に会えたことも、幸運だからな」


 友になるとは思ってもいなかった他国の王族は、アルバートの好敵手となり、友となった。ヴィンスが国に戻ろうと、学院での生活と時間と記憶は残り続ける。

 会えて良かったと思える友だ。

 言い返すような言葉に、ヴィンスは少し目を丸くしてから、「それは良かった」といつもの真面目な口調で言った。




 *








 ああ、確かこういうことを示して言われていたのだったか。

 ヴィンスと話しているシルビアを見ていたアルバートは、ついこの間のことを思い出した。


 別れの場だった。ヴィンスが短い滞在を終え、アウグラウンドに戻る。シルビアとヴィンスが次会えるのは、いつかは分からない。


「シルビア、また会おう」

「約束、ですか?」


 シルビアの瞳が、わずかに不安そうに揺れる。

 一度目、そして前回、良くない別れ方をしているのだから、無条件に心配な心地を抱いているのかもしれない。

 ヴィンスが「約束だ」と繰り返す。


「次、近い内にとは言えない。だから、今度は手紙を書こう」


 「シルビアに書くのは、初めてだな」と言いながらも、ヴィンスは微笑み、優しく妹を見る。


「君と私は、兄妹なのだから。離れていようと、その事実は変わらない」


 誰よりも慈しむ、妹に限った微笑みだ。

 かつて、雨が降りしきる中、ジルベルスタイン家にシルビアを連れて来て、別れるときに見たものとも同じだった。

 しかし、状況はまるで違う。

 いつかは分からないにしろ、また『次』がある。音信不通どころか安否不明にはならず、手紙のやり取りが可能だ。

 彼らは、公にも兄妹だからだ。


「──はい」


 シルビアはしっかりと返事をして、安堵したようにも、嬉しそうにも微笑んだ。

 そんなシルビアを、ヴィンスが抱き締めた。


 こんな日が来るなんて、と、ヴィンスがシルビアの結婚に対して溢した。

 言葉自体に関しては、アルバートも同じだった。

 かつて、危険が待つ先に戻る背中を見送ったヴィンス。それからずっと時間を共にしたシルビア。

 アルバートにとっては、別々の時間しか知らなかった二人だ。その二人が公に兄妹としていられる日が来たと考えると、当たり前に許されることになったこの光景もとても感慨深いものなのだ。


「アルバート、君もいずれ、また」


 シルビアとの抱擁を解いたヴィンスが、こちらに手を差し出した。

 二人を傍観していたアルバートは、その視線を受け、手を取った。


「ああ、ヴィンス。また会おう」


 握手し笑みを向けると、不意に友が一歩前に出て腕を回し、アルバートを一瞬抱擁した。


「誓いは信用している」


 一瞬の隙に言われたことに、アルバートは笑った。

 こうして『兄馬鹿』だと称することが出来る面が見られるのも、シルビアを取り巻く状況が平穏だからだと気がついた。


 一瞬見えなくなっていた水色の目が、真っ直ぐにアルバートに向く。微笑んでいながらも、眼差しは強い。


「何度目になるか。妹を頼む、アルバート」

「言われるまでもない」


 もう兄代わりとして頼まれるつもりはないが、お前の妹をこれからも守り続けると約束しよう。

 この命が、尽きるまで。







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